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September 22, 2004

華氏911

愛・地球博(2005年日本国際博覧会)、いわゆる愛知万博の開催まで半年を切ったそうだ。

僕は愛知県で生まれ育った。
いまからかれこれ10年前の大学時代には、学生雑誌の編集に関わって、名古屋のあちこちを取材して回った。
その当時、県や中部の財界は既に万博開催に立候補する方針を固めていたわけだが、人々の感覚としては
「万博なんていらんがや」
「ほんとにやるんきゃ~」
そんな雰囲気だった。

名古屋・愛知というのは面白い土地柄で、そこそこ人口のある日本第三の都市圏であり、産業も好条件に恵まれ十分な経済規模がありながら、新しいものを受け入れる気風は薄い。そしてあの幻のオリンピックや今回の万博など、行政や財界が推進するイベントは、たいていみんな反対に回る。
「そんなもんやると、道が混むがや」
「人が増えて住みにくくなるでかんわ」
深い理屈がとくにあるわけではない。全く素朴な感情で、開発、発展といった種類のものごとには、まず抵抗を示すのだ。
心情としては僕にも理解できないわけではないが、名古屋が大いなる田舎と評されるゆえんである。

(ちなみに、僕がいま住んでいる横浜には、名古屋で感じたそういう雰囲気はほとんどない。逆に開明的なイメージを住民自身がブランドに思っているようだ。もっとも、横浜という土地のほうがかなり特殊なのかもしれないけど…)。

その後も、会場予定地にオオタカの巣が見つかったり、反対を掲げ当選した無党派議員が自民党に入党し推進派に変節したり、自然保護団体を巻き込んだ再検討で規模を縮小して環境万博に舵を切ったり、最高顧問に招かれた堺屋太一氏が地元の不評を買って辞めてしまったり、様々な紆余曲折があったわけだが(まさに“迷走”としか思えない時もあった)、ついに本当に開催されるわけだ。

首都圏で働いていると、残念なことに東海地方の日常が情報として届くことは、まずない。たまに大きなニュースがあった時にのみ、入ってくる程度だ。ドラゴンズの優勝だって、(信じられないが)みんなひとごとなのだ。
愛・地球博についてもしかり。
しかし僕は、そこで生まれ育ち、学生時代には活動のフィールドとして十分に楽しませてもらった身の上である。この地域としては史上最大規模となるこのイベントが、それなりに注目され、ぶじに始まりそして終わることを祈っている。
せっかくここまで辿り着けたんだから、成功したらいいよね。

ちょうど22日の夜から25日まで、実家に帰省していたので、久々に中日新聞に目を通しながら、そんなことを思った。

その22日の日中に、実家に帰る前に都内で見た映画が華氏911

マイケル・ムーア監督がブッシュを批判した映画として話題になったこの作品も、早くも上映期間が終了してしまいそうな勢いである。そのようなわけで、とりいそぎ鑑賞に出かけた。

この映画を評するのは僕には難しいが、できるだけ多くの人が見るとよいものだと思う。とはいえ、万人が面白がる内容かというと、大いに疑問符がつくものではあるのも事実だが。

最も印象に残るシーンとしては、イラク戦争に送り出した息子が戦死し、その母親が思いを語るところ。思わず涙ぐんでしまう。こういう身近な肉親の死を描くシーンには弱いんだよね。
それならば、最初から子供を軍になど入れなければいい、という考えはもちろんあるのだろう。だが、この映画ではそうせざるを得ない階層の人々が存在する事実—米国社会の構造がテーマの一つとしてあぶり出される。ムーアが連邦議会議員に息子をイラクに送れと突撃するのは、かつての電波少年なぞとは似て非なる行為なのである。

見終わって、ブッシュの戦争攻撃計画の両書を買ってきて読みたくなった。

シネコンを出てから、そのまま車で夜の東名を走り、実家へ。

豊田東インターができたおかげで、東名を下りて3分で家に着くようになった。これも愛知万博を機にした一連の経済効果の一部なのだろうか? ここは将来、第二東名とのジャンクションになるらしく、近所では新たに高速道路の一部になると思われる橋梁も建設中である。

幼き頃より過ごした田舎には似合わぬ巨大構造物—。
200409251438000

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September 20, 2004

アイ,ロボット

モバイルとユビキタスの終焉、という言葉がふと思い浮かんだ。

その理由の一つは、汎用的な情報機器としての、いわゆるPDAという製品群がほとんど絶滅の危機に瀕しているという事実。
市場調査もそれを示すし、個人的な環境としてもMacのスケジューラアドレス帳携帯電話のそれを直接同期できるようにした瞬間から、それまで持っていたCLIEはほとんど無用の長物と化してしまった。
携帯でPDAと同じ情報を持ち運べるなら、誰もPDAなんていらないだろう。

もう一つ、勤め先でPCの持ち出しがかなり厳格に禁止されてしまったこと。これにはかなり象徴的なものを感じる。
もともと禁止されていたようだが、運用としてほぼ随意に、いつでもどこでも仕事をする環境が持ち運べた。今回の厳格化によりそれは不可能になる。自身の職業生活のなかではエポックメーキングと呼べるできごとになる。

もっともそれで困ることは、実際には僕の仕事ではそれほど多くないことに、気づかせてくれるよい機会でもあった。ただ、それまでなじんできた習慣からの移行というのはやはり抵抗があるものである。

このところの相次ぐセキュリティ事故の発生・公表や、個人情報保護法の全面施行を控え、世の中としてセキュリティ重視—ともするとセキュリティ原理主義とでもいってもいい方向に流れやすくなっていると思う。

モバイルでも必要十分な技術的な対策をとれるのかもしれない。だが、対策をしてあれば顧客情報が入ったPCが盗難された事実を公表しなくてもよいのか。顧客からはそれで信頼を失わないのか—。実際に矢面に立たされうる経営者層がモバイルに警戒を抱くことがあっても不思議ではない。
つまり、現場の実務の必要性や、技術の実装を鑑みることなく、問題をおそれてモバイル導入の決裁が下りない、そういう企業は今度増えるのではないだろうか。

思い返せば大学生の時、まるで百科事典のような厚さのあったPowerBook150を抱え、9600bpsの外部モデムを使ってISDN公衆電話で原稿を送った時から、僕のモバイルは始まった。当時文系学生だった僕にとって、それは女の子に知られたらオタクと思われる、けっして喋ってはいけない秘密だった。
その後通信関係の仕事につき、ここ何年かはモバイルに深く関わる仕事をしてきた。それはかなり満足できる経験であり、本当に幸いなことだったと思う。

しかし、そろそろモバイルの旗を降ろす時が来ているのではないか。昨今の僕の周りの風潮は、そんな思いを抱かせるに十分なものがある。
さらば、モバイルとユビキタスの10年—。

…なんて表現したらカッコよいかな?

今日見た映画は、アイ,ロボット
アイザック・アジモフわれはロボットの抄訳を小学生の時に読んだ身としては、タイトルを見た瞬間から、これは見に行かなくては!と思っていたのだ。

アジモフの著作は有名なロボット三原則を備えたロボットたちが、その原則を遵守した行動の結果として奇妙な事態を招いてしまうという、謎解きの要素の強いSFであった。
この映画は、suggested by Isaac Asimov's bookとしているだけで、エッセンスを借りた別のお話に仕立てられている。それはそれでいい。映画が中途半端な程度に原作を踏まえていると、原作を知っている場合には見ていて大変居心地が悪い。それに、サニーの真の意図を探る、今回の新たな謎解きは悪くない。

ただ、明らかにされたNS5暴走の理由というのは、想像がつく範囲のかなり当たり前の理屈であった。もう少しひねった真相でもよかったのでは、と僕だったら考える。でもひねっていない分、一般向きの内容に仕上がっていると言えるのかもしれない。

最も気になるのはラストシーン。そしてサニーとNS5たちは、どうなっていくのだろう。

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September 19, 2004

LOVERS

19日の朝日新聞によると、小泉総理大臣は21日の国連総会での演説で、日本の常任理事国入りの意思を表明するらしい。

日本が常任理事国になるとどうなるのか、大きな変化がありそうな気がするけど、この問題はあまり深く考えたことがない。よく考えないことの賛否はわからない。
ただ、朝日新聞の記事でも指摘されていたことだけど、かつては常任理事国入り慎重派の筆頭だった政治家、小泉純一郎が、この10年の間にどうして考えを改めたのか、どこでターニングポイントがあったのかは気になるところだ。
政治家は、いかにして自身の信条を変えていくのか? 興味深いテーマである。

話は少しずれるけど最近、日本国憲法は本当に素晴らしい憲法ではないかと、思うことが多い。

なぜなら、戦前の不戦条約の条文をベースに国の交戦権を明確に禁止し、さらに軍隊の保有も禁止しながら、専守防衛にあたる自衛隊は保有できており、国際貢献のために国連のPKOに派遣もしている。
さらに最近では人道復興支援のため、自衛隊がイラクに赴いて活動しても問題はないようだ。異論はあるのだろうけど、少なくとも内閣法制局の解釈であればみんな憲法の範囲内の行動である。今後、司法が憲法違反の判断を下せばべつなのだろうだけど、そうでない限り、なんで憲法をわざわざ変える必要があるのか?

この問題について信条を変えた小泉首相が、しかし、常任理事国入りは現行憲法の枠内で、と唱えるのは当然のことなんだろう。

さて、3連休の中日、そんな小難しいことを考えた後に見てきたのは、LOVERSである。

なんでも、HEROと同じスタッフによる映画だそうで、HEROは劇場で予告編を見てその映像表現が気になりつつも、なんとなく見逃してしまった。それで今回のLOVERSは、周囲での評判もかなりいいので(専らチャン・ツィイーがかわいい、との声だったが)、見に行くことにしていたのだ。

そして、鑑賞してわかったことだが、なんと唐の時代の兵隊さんは、忍者ハットリくんも顔負けの技を、みんな備えていたようだ。無精で不摂生な生活を送る僕らと違って、きっと昔の人は運動神経が鍛えられていたのだろう。

たとえば竹の上を飛び跳ねつつ、竹槍を削って投げてくる。すごい!すごい! …とまあ、何かにつけていままで見たことがないオーバーアクションで、スピード感はか〜なり心地よい映画だった。

もう一つ、感嘆したのは、色彩。
登場人物が自在に滑走する背面に広がる風景、竹林や森の木々の表情、そして人物の服装がこれまたいままでに見たことがない彩りに満ちている。綺麗な絵が多い映画だった。

ただLOVERSというタイトルにふさわしく、男女の情愛がうまく描けていたかというと、その方面を論じるのは苦手なのでよくわからないが…結局は組織に裏切られ風のように生きることを決意した男と、組織に属しつつ愛も貫きたかった男の葛藤が、そのまま決闘につながって終わったということか。となると、強いのはだいたい前者だよねえ。

最後に、やっぱりチャン・ツィイーはかわゆい女優さんであることは確認できた。
もちろん、チャン・ツィイーだけじゃなく、金城武もカッコよい。ああ、僕も金城武に生まれたかったヨ…。

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September 13, 2004

ヴィレッジ

僕はMacintoshのコンピューターを学生の頃から使っていて、このブログもMacのSafariというWebブラウザソフトから書き込んでいる。Macを使う人は、相変わらず少数派のようで、「Mac使ってるんだぁ、ふーん」と感嘆されることは多い。

なぜMacを使うのか? ひもとけば大学生の時、友人がMacintosh Classic IIを使っていて、それを廉価で譲ってもらたからだ。それで学生記事やら卒論やらの原稿を書いているうちなじんでしまい、以来そのまま機種を買い替えつつ使っているというわけだ。つまりは慣れというものだ(ちなみにその前は、ワープロ専用機を使っていた)。
最近MacOS Xになって操作が変わったりそれまで持っていたソフトウェアが使えなくなったのは往生こいたのだが、僕はWindowsの上ではメール以外は全く書けないので、よってそれでもMacを使い続けている。

これは自分一人の個人的嗜好であり、習慣の問題であるとは認識していて、パソコンを買おうとする人から機種の相談をされた時に、Macを勧めるなんてことは間違ってもしない。
こんな閉ざされた機械の使い手に、他人を引きずり込む必然性なんてないのだ。

さてさて。僕は今日、午前中休みをとっていた。
それにしても僕のような独身で、さして深追いする趣味もない人間にとっては、休暇は、病気や帰省の時でもない限りさして必要性はない、という気がする。
しかし、年次有給休暇というのは適度に消化していくことが推奨されるのである。それはそれでよいのだろう。
時にはそういうオフも必要なんだろうし。おそらくは。

そこで、その午前中の時間を潰すために見たのがヴィレッジ

ホアキン・フェニックスの演技も見たかったのだが、それよりもM.ナイト・シャマラン監督の作品と来れば、どうしてもどんでん返しを期待して見に行くことになる。

見終えての印象を記せば、このヴィレッジという映画は、たしかにどんでん返しはある。ただ、それ自体が中核ではない。その盛り込み方が、非常にいい塩梅のような気がしている。

思い起こせば、1999年のシックス・センスが僕の最も好きな映画の一つになっているのは、オチの衝撃や、張り巡らされた伏線を読み解く面白さがあったからだけではない。それが医師と少年の信頼が物語の柱であり、母と子、医師と妻、それぞれの家族愛を描いた物語であったからだ。

そしてこのヴィレッジも、そうした何かが描き込まれており、僕にとってはなかなかよいお話と感じられている。

たしか前作のサインも似たようなことを訴えていたような気もするのが、いかんせん宇宙人が襲ってくるというキッチュな設定のまま話が進んでいくのは、ついていくことが十分できなかった。そう、サインでどんでん返しで宇宙人の正体が明かされると思い込み矢追純一的世界をずっと我慢して見て疲れてしまった。そんな人にも、この映画なら安心してお勧めできるというものだ。

森は、閉ざされている。その森に何者かが棲まう。何者かの正体が明かされないので怖いのがブレア・ウィッチ・プロジェクト、明かされて心打たれるのが、ヴィレッジ。

今回もお約束のように、上映後に配られる解読マニュアルがあった。しかしその中身がほとんど、あってもなくてもどっちでもいいレベルのものになっている。このことは多分に喜ばしい。そろそろ、解読マニュアルなしで楽しめるものであっていい。

と思いながら、午後からは会社に行って仕事した。

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September 12, 2004

バイオハザードII アポカリプス

久々に、野分の風の吹き込むことのない休日がやってきた。
空高くとてもよい天気で、公園から眺めるランドマークタワーもふだんにも増して高くそびえ立っているような気がする。暑くもなく過ごしやすい。ふと、FMラジオで聴いて覚えた♪せぷてんばあなど口ずさむ。
こうして、だんだんと秋めいてくるのだろう。

今日見た映画は、バイオハザードII アポカリプス前作では、無意味にキャミソールで戦うミラ・ジョヴォヴィッチの姿に悲劇と官能とそして滑稽を感じさせたものだが、今回はさすがに、下着ではなかった。
そんなわけで、飛び道具より速くジャンプしたりかけっこしたりできる強い女として(マジか? 柳田理科雄の格好のネタじゃないか…)再登場したアリス。しかしビルの壁面を駆け下りるのは、どう考えても無駄足というものである。おい。

映画としてはテンポよく話が進んでいくので、とくにストレスは感じない。原作のゲームをプレイしたことがあるからかもしれないが、僕にとっては面白い部類に入るだろう。

あえて疑問を呈すると、アンデッドは人間の肉が好物なわけで、集団で人間に襲いかかってむさぼったら死体は骨だけになってしまい、結果としてアンデッドが増えることにはならないのではないかと思うけど…。これはどういう考証をしているのだろう。それからこの手の映画で、往々にして核爆弾をお掃除道具代わりに使うってのはどうよ…(たしかバタリアンもこれで解決していたよね。パステーシュ?)。バイオハザードどころではなくなるんだが。

映画のブログはここまでなのだが、本格的な秋を迎える前に、この夏の反省を書いておこう。
今年の夏休みは、本を読もうと思って金額を気にせず何冊もの書物を買い込んだ。実家のある愛知県に帰省した折、車を走らせ近くの喫茶店(もちろんコメダ珈琲だがね)に入って、冷房の効いた空間で冷コーをすすり、ひたすら耽読する。最も贅沢を感じられるオフのひとときである。

でも、1週間の休みで読めたのが結局、神は沈黙せずダ・ヴィンチ・コード(上・下)(これは映画じかけのような展開で一気に読めたのだが、案の定、映画化されるみたいですね) 、「日米関係」とは何だったのかであった。買い込んだ夏目金之助ロンドンに狂せり薔薇の名前(上・下)、民主と愛国などは早くも本棚のこやしになりつつある。かろうじて、夏休み後に手にした広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由は読めたか…。

読書の秋だから、今後も時間を作って読んでいけばいいのだが、一方で映画もこれから、華氏911LOVERSヴィレッッジアイ, ロボットスウィングガールズを見たいと考えている(なかでも、スウィングガールズはぜひ見たい)。久々に見たいタイトルがオンパレードの9月になっているので、それ以外の趣味がどこまで進むことか。
書籍の原稿を入稿して締切りに追われる圧迫感から解放されたかと思いきや、気づけば日経コミュニケーション無線LANの記事のほうが迫ってきて、PowerBookに向わなければならない。おまけに、飲み会に誘われれば行ってしまう。やはり孤独な作業で頭も使う読書という行為よりは、人と会話ができ、酒の力でバカにもなれる催しのほうが楽しいものである。

次の引っ越しの時に、読みもせずこやしになっていた本を安値でブックオフにひきとらせる、なんてことはくれぐれもしたくはないとは思っているのだけど。

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September 05, 2004

ヴァン・ヘルシング

最近、ソーシャルネットワーキングサービスGREEを知人から紹介され、始めてみた。
この雰囲気は、往事のパソコン通信に似ているかも。そう、ネットワーカーがみんな善人で、通信をしているだけで仲間になれたあの頃だ。名刺の片隅に、NIFTY SERVEのIDが書いてあればそれだけで親しみを感じ、話題が盛り上がった、懐かしき良き時代。1990年代初めの話です。
当時、パソコン通信といえば技術的で先端的な仕事をされている方か、コミュニケーションに意識の高い方が集っていた。分厚いシステム手帳に書き込んだアポイントの数とポケベルで呼び出される回数がステータスだと思っていた頃に、パソコンを持ち、モデムをつなぎ、従量制の通信料金を支払って接続していた人たちのだ。かなりのセグメント化された集団だったことは間違いない。
その時の感覚に似たものを感じる、ソーシャルネットワーキングサービスは面白い。そのせいもあって急速に会員が増えているようだ。開始から半年余で会員数が10万人を超えたらしい。じき100万人にもなるだろう。セグメント化された範囲であったゆえの雰囲気は変化し、有象無象の輩が増えることで必然的にトラブルが発生する要因が増すだろう。いずれ何らかの契機があり、コミュニティは変容していく。どのように、どのくらいで変わるのか?
そもそもGREEのオーナーがどのようなビジネスモデルを描いいるのかもまだわからないわけで、ビジネス化の観点でも注目すべきだろう。これからソーシャルネットワーキングサービスの行方をウォッチしていくことにする。

閑話休題。

今日見た映画は、ヴァン・ヘルシング。これもあまり深い考えなく見たのだが、まさにあまり深い考えのない時にふさわしい映画であった。見終わった直後から忘却の彼方へと走り去る。都合のよい偶然の重なりでストーリーが展開していくのも、苦言を呈するほうが間違っているだろう。
ヴァン・ヘルシングが何者なのか全くわからないうちに(最後までわからない)、観客はモンスター退治の物語のなかに投げ込まれる。しかしモンスターといっても全然怖くはない。なにせドラキュラとフランケンシュタインと狼男という、怪物くん的サービス精神にあふれたキャスティングなのだ。全編を通して注目するのは、ドラキュラ伯爵ご本人より、そのとりまきの美女3人。彼女たちが吸血鬼に変身して空を飛んだりまた人間に戻ったりする、その美貌と変幻自在な姿には…(;´Д`)ハァハァ
また、謎解きの要素もあるが、観ていて何が謎なのかわかからないうちに話が進み、何が答えだったのかよく理解できていないのに解決しているのは不満を抱いた。時間がなかったのかな? でも、この内容でこれ以上長くされても困るから、これでよいのだろう。
ラストは、(・∀・)イイ! この手の映画としての期待を、見事に裏切ったこの結末は大好きだ。こうじゃなきゃねえ。

今日は、閑話のほうが長いブログになってしまった(失礼!)。GREEのページがMacのSafariやIEでちゃんと表示されるようになると嬉しいのだけど。

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