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October 23, 2004

宣戦布告

1990年代の前半に流行した漫画に、沈黙の艦隊というのがあった。
いま読み直してみると、それなりに面白い。

日本の政財界がひそかに建造し米海軍所属とした原子力潜水艦が独立を宣言し、類い稀なる操艦技術によって米ソの艦隊をバッタバッタとなぎ倒し、国連を舞台に世界政府の樹立を求めるというストーリーの劇画である。

冷戦の末期に描かれただけあって、核を保有する大国が軍隊を差し出せばそれで世界政府が実現するという明解な世界観が根幹になっている。そのなかで日本は、軍事に否定的な感情を抱く国として、独立した原潜国家やまとを潰そうとする米ソのはざまのなか、自衛隊の指揮権を国連に差し出すことで政軍分離を率先する。

…て、これって日本政府がイラクに自衛隊を送ったりして、海外派遣がリアルになった現在では逆に描けない理想像だよな〜、と思う。
それに大国が軍隊さしだしたって、アルカイダみたいなテロリスト集団とか、ルワンダで起きたジェノサイドとか、北朝鮮の拉致のような国家的犯罪とか、現実にその後の世界を覆った危機的状況には、“The Silent Service”構想じゃなんら太刀打ちできまい。

連載の初期はまだバブルが崩壊していない頃で、日本は米国に従属しちゃだめだ、という気運も強かったのだろう、強硬に対立する米国に、暴言を吐く官房長官などが出てくる。いまとなっては根拠のない自信が、当時の日本にはあったのだなあ、と振り返ることができる。ああ、よい時代であったな。

ということで、ある種の状況を背景に作られた作品というのは、その旬な時期を過ぎると陳腐化してしまう。…ように見えるものだけど、しかし読み返すとやはり面白い作品は面白い。なぜか。
それは作品自体が優れているからというものもあるし、もう一つの読み解き方としては、反映された内容が、むしろいまは忘れ去ってしまった過去の論点を知り得るものとして価値が出るのだ。その時、何がリアルに受け取られていたのかを伺い知ることができるのだ。

DVDを借りて来て見た宣戦布告も、現代のある種の状況を背景に成立した作品であった。
しかし状況をストレートに描き過ぎたせいで、沈黙の艦隊のような名作として後世に残るかというと、それは大いに疑問を呈してしまう。

いわゆる有事立法の成立が、着実に進んでいるだけあって、この映画の内容はすぐに過去のものになってしまうだろう。上映後2年たっての鑑賞だが、既にいくつかのシーンは懐かしさを感じさせる。

ところで、沈黙の艦隊と同じく、過去のある時点において見えた、もしかするとありえた日本を描いた作品として僕が好きなのは、機動警察パトレイバー劇場版ですね。80年代の好景気が永続していたらありえたかもしれない東京の大規模再開発の想像図を、明瞭に見せてくれる。

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October 16, 2004

デビルマン

多彩で複雑な世の中の事象に対して、単純で決まりきったレッテル貼りをすることを好む人たちの、なんと多いことかとインターネットを見ていると思う。

たとえば“サヨク”とか“ウヨク”とか、そういうレッテルを貼っての議論が、2ちゃんねるの掲示板では盛り上がっている。

日教組といえば、“サヨ”というレッテルがあるけれど、実際には僕が生まれ育った県の教職員組合は組織率が100%に近く、おかげで日の丸の掲揚や君が代の斉唱にとくに目立った反対運動などしない
(だいたい労働組合なんて、過激なことを言えるのは組織率が低いからで、組織率が高まれば穏健な体制派になってしまう。あなたの会社もそうだろうが、教職員組合も例に漏れない)。
同様にサヨのレッテル貼りをされるメディアの代表格である朝日新聞にしてみても、特定の分野の記事ではたしかにある傾向があるわけだけれど、個々の記事を読んでいる限りではとくにそう目立って反政府的とか革新的な観点が盛り込まれているとは思えない。

“朝日”の記事全てが反体制的でもなければ、日教組の組合員が“サヨ”とは限らない。
癒しのナショナリズムで取り上げられた、つくる会の運動を支えた保守派市民が迷える子羊であったのと同じように、“サヨク”にもまた完全な“プロ市民”がいるわけではない。
要はデーモンに体をのっとられなかったデビルマンだっているわけし、糞味噌いっしょくたにして一律に語ることは不毛なのだ。

しかしそれらを対象に、勝手な想像を働かせ、ある特定の像を仕立て上げて批判をする書き込みはあまた存在する。
それで何かをやり玉に上げたい人たちの溜飲は下がるのかもしれない。けれども実のところは結局、存在もしない自分たちに都合のよい仮想敵を作って、その都合のよい像に向って批判しているだけだ。
その様は、水車の羽を巨人の腕と勘違いして立ち向かっていくドン・キホーテを思い出させる。

インターネットのなかの言説だけじゃない。実際の日常の判断にもそういうものが多い。
以前、勤め先(第一種の電気通信事業者)で、CATVに関する仕事をしている時もそうだった。

通信サービスに乗り出そうとするCATVを、通信事業の土俵を侵す敵と見る、仲間として手を組む策と考える、はたまた我関せずとしてとくに何もしないと、いろいろな考えの社員がいた。
そうしたなかに、CATVなんて、弱小でいまにみんな潰れる。CATVに、まっとうなサービスはできるわけない。そう決め込んでいる人がいた。
そういう人には、CATVの各事業者と手を組んでビジネスをするなどという発想は、当然のことながら宿らない。

たしかに全国的な規模でサービスをする通信事業者と、CATVでは通信サービスの仕様や品質も、企業としての体制も大きく異なっていたのは事実だ。
しかし、CATVは全国に数100あるのである。そのなかには弱小なCATVがたくさんある。しかしそれと同時に、経営も良好で、サービスを順調に発展させているCATVも同じくらいたくさんあったのだ。

それをCATVはみんな、という表現で一括りにしてしまうのはどうよ、と思った。
要は、数100あるCATVの経営状況、サービス内容、一つ一つを見なければならない。一つ一つそれぞれの事業者を見て初めて、提携できる相手かどうかがわかるのである。

実際にそうした作業を何も行なわないで、CATVはみんな、という思い込みだけで議論する。
それは実りのない主張だ。そして対象を個別に具体的に分析し、歯車を前に動かす人が出てきた時点で、力を失ってしまうものだ。

さて、今日見に行った映画は、デビルマンだ。

映画館が改装してのリニューアルオープンで、上映作品が全て1,000円だったので、昼間から安く映画を見ることができて嬉しかった(ふだんは節約のため、たいていは安くなる夜9時以降の回を見に行く)。

それで映画に関する僕としての感想は…今回はとくにない。
見ていてとくに何も感じなかったのだ。

それは、いま公私共々何かと立て込んでいる時期で、考えなければいけないこと、やらなければいけないことがいくつか迫っていて、あまり落ち着いていないなかで見たというのが大きい。
(しかし公私共々立て込んでいるなんて書くと、近々年貢を納めるみたいだな。そんなことはないよ、もちろん)。

あえて言うと、原作はかなり名高い漫画であるわけで、どうしてもある一定のレベルの出来を期待してしまうだろう。
その期待するものに対して、映画の品質や、役者の演技はそれほど高いようには思えなかった。
だから、何かと立て込んでいるなかで見ている僕の心に届くものがなかったわけだ。

そういう周辺事情がなかったとすれば、そこそこ、2時間の暇潰しにはなる映画だと言うことくらいはできたかもしれない。

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October 11, 2004

赤い月

平成51年。その頃の僕らはいったいどうなっているものなのか——。

最近マンションや、あるいは戸建て住宅を買う知人が多い。考えてみれば僕の同期や先輩は、30代前半から半ばを過ぎる頃の年代だ。

人間、平均的に年貢を納めていれば(国立社会保障・人口問題研究所の調査によれば、男性の平均初婚年齢は28.5歳なのだ)、結婚して数年はたち、もしかすると子供も2人くらいいて、住宅の購入に踏みきるのにはちょうどよいタイミングなのだろう。
僕自身は独身だし、同じ境遇の男どもも、周りには多いけどね。

おまけに僕と同期かその下の何年かの世代は、いわゆる団塊の世代Jr.にあたる。
首都圏の再開発地区や、あるいはこれまで工場など企業の施設があった跡地に、これでもか、というほどマンションが続々と建築されているのは、そうした需要を見越してのことなのだろう。

埼玉県でマンションの購入に踏み切ったある知人に聞いたところ、彼はローンを35年で組んだという。
35年!
たしかに人生を考えるとこの先そのくらいは生きていくだろうし、したがって当然、そのマンションには住まい続けるだろう。
これまでだって35年くらい生きてきたのだ。人生のターニングポイントは、35歳だと言った人もいる。そう、まさに人生の半分としてとらえればちょうどいい年数なのかもしれない。

しかし、考えてみると平成16年の35年後は、平成51年である。契約書には実際に平成51年と記されるそうだ。
時代として考えると、35年は十分に大きな開きがある。
たとえばですよ、昭和16年に日本が置かれていた状況と、昭和51年のそれを考えれば、その間に開いたものの大きさがわかるというものだ。

昭和16年は1941年。昭和16年といえば言わずもがな。日本が真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争に踏み切った年である。僕の父はまだ生まれていない。
昭和51年は、1976年。高度成長が終わった後だ。ロッキード事件田中角栄前首相が逮捕された年。東京は革新都政で美濃部知事であり、成田では反対派と機動隊が衝突していた。僕自身も既に生まれていた。

人は35年よりは長く生きるし、記憶を積み重ねていくのが人という生き物である限りは35年たっても同じ人である。
同じ人物が、ある時は新人類とかナウなヤングとか言われたり(言われないか?)、はたまた守旧派だの化石だと言われたりする。そのくらいの変化はあるだろうが、でも中身はたいして変わっていないと当人のなかでは思っているだろう。
また、おおむかしであれば、時代というものも35年くらいではたいした変化がなかったかもしれない。

しかし民衆の感覚や英雄の行動よりも、それに先立つ構造として科学技術や経済制度のほうが歴史を規定しているのは自明だし、その科学技術や経済制度についての変化はどんどん加速する一方だ。
その加速度のなかでいま、35年という値を代入すれば、その結果はどのようなことになるか。
人生は連続していても、時代のほうがまるで変わっている。そういうことが大いにありえるのだと思う。

僕は最近、時代の変わる区切りは、15年くらいを節目に考えるのがよいのではないかと思っている。
15年もあれば、一つの時代が全く新しい時代へと切り替わってしまうのには十分な時間なのだ。

たとえば、1853年にペリーが浦賀に来航して、開国幕末の動乱、大政奉還を経て1868年に薩長主体の明治新政府が成立するまで15年。また、十五年戦争という言葉が示す通り、満州事変から日中戦争太平洋戦争を経て日本が連合国に降伏するまでも約15年である。
今回の構造不況も、バブル崩壊から景気対策や構造改革などいろいろやって、景気回復の曙光が見えてくるまで15年かかっているように思う。
(まあ、これはまだ現在進行形なのでどこに落ち着くかわからないが、タイムマシンで1989年に戻って、バブルのただなかにいる人に2004年の日本経済のことを話しても信じてもらえないことは確実である)。

やはり15年は、ちょうどいい数字だろう。

しかしだからといって、住宅ローンは15年で組んでもおそらく支払うことはできないので、どうしてもそれよりははるかに長い年数になってしまう。
それに、15年は時代が新しい時代へと変わるのに必要な年数で、新しい時代に移ってからは30年くらいは安定した感じになるような気もするので(なってくれなければ困る)、35年という年数もそれほど無体な数字ではないかもしれない。

でも——正直なところ、平成51年の日本や、世界がどうなっているのかなんて、全く予測がつかないと思いませんか?

さて、連休の最後の日にレンタルビデオ店から借りてきたDVDで、赤い月を見た。
満州を舞台に、女性が子供を守って生き抜くお話だ。

満州国については、この夏にキメラ—満洲国の肖像という新書を読んだので、興味がある対象ではある。
世の中、サークルとか組合とか会社とか、たいていの団体は人なり資金なりがあれば作ることができる。しかし国だけは別だ。いったいどうやったら国を—それがたとえ傀儡といわれるものでも—作ることができるのか。そんな疑問への回答を求めてキメラを読んだ。

その満州国は、関東軍の手により成立したのが1932年で、日本の敗戦で崩壊したのが1945年。だから、15年の間ももたなかった傀儡国家ということになる。
国をなのっていたのに、住宅ローンの支払い年数にも遠く及ばない。いわば、あなたが住まうマンションよりも脆く、崩れ去ってしまったわけだ。

この映画の主演の、常盤貴子という女優は最近なぜか満州づいている。先日もTVドラマで、日本の華族から満州国皇帝溥儀の弟溥傑のもとに嫁いだ、という女性を演じていた。

常盤貴子というと、以前はトレンディドラマに頻繁に出ていたように思うのだが、最近は歴史の重みを背負った舞台や陰のある人間像も演じられることを示しそうとしているのだろうか。
でも、いまのところ僕のなかでは、以前の役の印象を拭い去るまでは至ってないね。同世代の人だからがんばってほしいけど、どうしてもかつて見たトレンディドラマのなかの常盤貴子を思い出してしまうヨ…。

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October 10, 2004

スウィングガールズ

僕に欠けているもの。もちろんそれはたくさんあるのだけど、自分自身があるといいなあと切実に感じているのにも関わらず全く備わっていないものが2つある。

音感と語学力だ。

語学については、僕も中学から英語にふれることになったのだが、当時はそれが実際にどういう場面で必要になるのか、うまく想像ができなかった。そしてそのまま成長してしまった。大学に入ってみると、帰国子女が普通にいたり、あるいはそれなりに頭のいい人はほぼ英語ができたりしていて、そこで初めて、英語というのが社会を渡る上である種の力になるのだ、というのを実感できた。

全ての人間は2つに分けられる。英語ができるものと、できないものだ。

それでも、それを使う必要性が自分の身の上にふりかかってくるとは全然思わなかった。
ところが、社会人になって約10年たって、いまは英語の技術書をあたったりすることは日常だし、そればかりか、なんという因果か海外出張なぞする機会もめぐってくる。
もちろん日常会話もままならないので、ビジネスをめぐる交渉ではなく、技術関係のカンファレンスに出て、最新技術の動向を聞いているという安楽な仕事が多い。

とはいえ現地で、英語のプレゼンテーションを聞きながら、講師に質問したり、懇親会で仲良く会話したりできるといいなあ、と痛切に思う。技術者の交流って、僕らのような仕事をしているとモチベーションを高める、ものすごく大切な行為なのだ。

まあ、こういう話題をすると、では語学を向上させるためにどれほどの研鑽をしているのか、という、また僕にとっては痛い話題になるので、深入りする前に切り上げたい。
(語学でなくて、高校で得意だった日本史の知識が価値をもつ社会だったらよかったのになあ…。でも、そんな社会がいったいどのような経済活動によって成り立つのか、全く想像ができなくはあるけど)。

もう一つ僕に欠けているものについて語ろう。
音感だ。

音感がどこで必要かというと、もちろん音楽は職業上必要としてはいない。業務時間外においてだ。つまりカラオケである。

カラオケに行く機会は、最近はめっきり減ってしまったけど、歌うのは嫌いではない。おそらくは好きなほうなのだろう。それも、ヒットソングをできれば歌いたいと思っている。だからFM放送も聞くし、CDTVだって見る。
しかし悲しいかな、僕は音痴なのだ。
歌えば必ずメロディを外れる。おそらくは聞くに耐えない。だから酒に酔って自分を失っていないと歌えない。本当に残念なことだ。

ピアノがないから買ってくれとか、西田敏行のようなことは言わない。翼がほしいとか大空に飛び立ちたいとも言わず、富とか名誉もそれなりにほしい。しかしそれよりも音痴と呼ばれない程度の音感はぜひほしい。

ふりかえれば音楽も、幼少の僕にとっての天敵の一つだった。楽譜はまるっきり読めなかったし、四分音符と八分音符、どちらが長いのかということも、中学になるまでわからなかった。
楽器の経験といえば、鍵盤ハーモニカリコーダーがあるのだけれど、それすら指先がからまり、演奏もままならない。
中学になってパーソナルコンピューターというものにふれて、そこでMML(Music Macro Language)なる記号の羅列を打ち込むことで、コンピューターが楽器の代用になることは知った。そこで少し楽譜を打ち込むようになり、それまで呪術の護符のように感じられていた音符の意味というものが、ようやくわかった。

そのような身の上である。
そのような身の上で、このところジャズに関する映画を2本ほど見る機会があった。
そして鑑賞しながらやはり、流れる曲のメロディにあわせステップを刻もうとしても刻みきれない自分がいることに気づいてしまったのだ。

どのような映画かというと、一つはこのところと言っても実は昨年なのだが、この世の外へ クラブ進駐軍
終戦直後の日本で、ジャズへたっぴな青年たちが、ジャズを練習して、途中舞台を提供する米軍将校との確執があったり和解したりなど、いろいろ経験しながら、要はジャズもうまくなり人間としても成長するという話だ。
これはなかなかにいい映画だった。

そして今回は、「この世の外へ」からは60年後の日本の東北地方で、ジャズへたっぴな乙女たちが、ズーズー弁を喋ったり雪に転んだりしながら、練習してジャズがうまくなるという話である。10月の3連休の中日に見たスウィングガールズだ。

そこで流れるジャズのスタンダードナンバーを聞いて愉快になりつつ、拍子をあわせようとしてリズムがずれることを恐れてしまう。メロディを口ずさみ、体を揺らして余韻にひたれたらもっとウキウキできるのに。
ああ、悲しきことだ。
僕は二つに分けられたうちの、スウィングしないほうの人間なのだ。

しかしそれは僕の内なる感想として、映画自体は楽しいものだ。
なぜ楽しいものかを語ろう。というかみんなわかっていると思うけど、スクリーンにあふれる女の子たちである。

スウィングガールズの主役を演じるのは上野樹里
すらりと背が高く、明るく清楚な感じの女優さんだ。
彼女には以前から注目していた。それゆえ、この映画は見に行かなくては、と強く思っていたのだ。

上野樹里というと、最近ではこの映画の公開に合わせてAERAの表紙を飾って、ややメジャーになってきた観がある。
前は朝の連ドラのてるてる家族で、三女の秋ちゃん役をやっていたし、その前は図書券のポスターにも出ていた。

そんな彼女を僕が知ったのは、たしか2002年のクリスマス前。東京駅の地下通路に貼ってあったJフォンのポスターだ。
上野樹里が、雪が舞うなか、携帯のカメラで自分を撮って、「イブ、空いてますか」って写メールを送る、というものだった。
当然、僕はその年のクリスマスも暇だった。そんなかわいい女の子から写メもらったらイチコロだよなあ、ええなぁと。上野樹里からメールをもらえる架空の男子に嫉妬を抱きつつ、そのポスターの横を足早に歩きながら通勤していたのだ。

それ以来、上野樹里は僕の脳内彼女になったわけだ。

しかしこの映画を見て一転、上野樹里並に、いやもしかするとそれ以上になるかもしれない、注目の女優を発見してしまった。
本仮屋ユイカだ。

この映画のなかで彼女が演じるのは…眼鏡をかけた、真面目でちょっとネクラな感じの女の子。関口さんだ。
そう、メガネっ娘なのだ。
最近、オタクたちの間で人気になっている(らしい)メガネっ娘。萌えの象徴的存在である。その役回りを朝の次期連ドラのヒロインにも選ばれる、本仮屋ユイカが演じているというと、これ以上の萌えはないだろう。

なんという絶妙な配役。
気づけば上野樹里演じる鈴木友子よりも、メガネっ娘の関口さんの姿をスクリーンのなかでおっかける自分がいた。おそるべし。

よしっ。本仮屋ユイカも、僕の脳内彼女としてつきあうことにしよう!

それから同情に値する存在についても述べておこう。
それは、平岡裕太クンが演じる中村君である。このポジションの男子っているんだけど、女の子に囲まれているから羨ましいように見えて、実はもてない君になってしまいがちなのだ。まあ実際作中の描かれ方もそうだったけど。
僕も幸か不幸か大学時代、まわりに女学生が多い文学部というところにいたせいで、そのポジションに居座る感覚を発達させてしまったから、経験上わかる。フィクションとはいえ、中村君の将来が気にかかる。
そもそもこの映画の監督もたぶんよくわかっているのだろう。なにせウォーターボーイズを作ったりするくらいなのだ。

そう、この映画がウォーターボーイズの監督の作品というのも、上野樹里と並んで見に行った理由なんだよね。

でもウォーターボーイズに比べると、スウィングガールズは設定自体のインパクトがない。ストーリーとしては人に語る時カギとなる言葉がなくて、薦めるのが難しいかもしれないなあ…(一部の層の人にのみ“メガネっ娘”でプッシュできるか)。まあ、あえて薦めるほどのものではないんだけど。

なんだかんだいっても、僕としては、上野樹里が演じる平均的に明るい女の子の姿と、本仮屋ユイカのメガネっ娘姿と、前向きなストーリーと、そして流れるジャズのおかげで、見ていてけっこう上機嫌にはなってしまった一本なのです。

とりあえずサウンドトラックは買って、てもちのiPodに映像中に流れたジャズのスタンダードナンバーを落として聞いてみることにする。
実際にスウィングガールズのみなさんが演奏しているというから、それはやはり耳に萌えというものである。


…今日はかなり散文度が高いブログですね。

パラグラフ全体で一つの方向へ向ってテーマが集束しない文章というのは、僕のポリシーとしてはよろしくない部類(駄文というやつだ)に入るのだが、ここまで書いちゃったからよしとしよう。

散文ついでに天気の記録も書いておく。

連休初日の10月9日は、台風22号が首都圏を直撃した。

僕はふと買いたいものを思い立って、大雨のなか横浜駅に行ってしまったのだ。
買い物も済んで帰ろうとすると、駅のコンコースはひどく雨漏れをしている箇所があるし、電車に乗ろうとしたまさにその時にJRは運休。そこで京急に乗ったら、ふだんは災害に強いはずの京急電車も途中で停まってしまった。
その時まさに台風が横浜市の沿岸を横切っている最中だったのだ。停車した車中にいて、災害を甘く見てはいかんなと反省することしきり。

でも、時速60kmとやけに足の速い台風だったので、けっきょく1時間くらいの停車で済んだ。運転が再開され自宅のある駅に着いてみると、もう雨も上がっていた。

台風直撃のなかを行動したのは2001年、あの忌まわしい9.11テロが起きることになる日の朝、台風15号が鎌倉市に上陸した時以来かな。
あの時はまさに出勤時間帯の上陸だったけど、幸いバスも電車も動いていて、なんとか東海道線で当時の勤務地である品川には出勤できた。そしたら台風のほうもおっかけてきて、ビルを揺らしていたな。

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October 02, 2004

下妻物語

傑作である。

10月最初の休日に、いまさらながら見たのが下妻物語
横浜駅西口のミニシアター、ヨコハマ・シネマ・ソサエティで、レイトショー限定で上映されていたのを見つけ、鑑賞に出かけた次第だ。

これ、本来ならば6月頃に公開されていて、その時にもできれば見たいと思っていた。でも、大作でもなんでもないから(一部では話題にはなっていたけど)わりとすぐに上映期間が終わってしまい、見逃してしまったんだよね。
ということからこの映画、一般にご覧になった人がそれほど多いとは思わない。もし、気になる向きがいれば、ぜひ公式サイト予告編を見るとよいだろう。

茨城県下妻市を舞台にした映画というのは僕にとっても初めてだ。そしてたぶん間違いなく、最後だろう。
案の定、ポップでファンキーでキッチュな雰囲気を思いっきり詰め込んで熟成させた、コクのあるお話だった。でも、ストーリーとしてはあくまでまっとうな友情と青春を描いている。テンポもいいし、深田恭子土屋アンナや、もちろんジャスコもはまり役のように思われる。

僕にとっては訪れたこともない下妻だが、区画整理され広がる田んぼと、そこを貫く農道や、縁側や広い庭のある農家造りの家屋などは妙に懐かしく感じた。
(ただ、さすがに農道に牛はおらんだろ…トラクターは行き交うけど…)。
縁側でだらだら過ごし、不意な訪問者をそこでそのまま迎え入れる構図。これは古い家に育ったことのある人なら心象風景に残っているハズ。

田園に囲まれた地方都市と、そこに住まう人々の日常。デフォルメされているとはいえ、描き方は実に愛が満ちた、楽しい映画だ。
まさに、21世紀ならではの“グローカル”大作と呼ぶにふさわしい作品だろう。

この映画のテーマソングを歌っているのは、Tommy heavenly6。これもとってもいい曲だね。

ところで、気づけば今年も10月だ。もう秋である。
秋といえば、いろいろなおいしいものが食べられるが、やはり外せないのは、秋刀魚だろう。

下妻物語に出てくる農家造りの家を見て思い出したのだが、僕の実家にも、たいていの農家がそうであるように、土間があった。
そして4年半前に亡くなった祖母が、秋になるとよく、夕方薄暗い土間で電球を灯し、七輪と木炭を使って秋刀魚を焼いていた。だから、晩御飯のおかずが秋刀魚の日はいつも、家中が煙たかった。

しかし子供はだいたい、肉料理をはじめとした洋食のほうが好きなものだ。その頃の僕もご多分に漏れず、魚はそれほど好きでなかった。とくに秋刀魚は、苦手なおかずの一つだった。正直、晩御飯が秋刀魚の日は、内心がっかりした。
(でも、聞き分けのいい子供だから、ちゃんと食べたんだけどね)。

その後、サラリーマンだった僕の両親は隣の土地に新家を建て、中学に上がった僕はそこで寝起きし、食事をとるようになった。
いまも秋刀魚を食べる。ただ、秋刀魚はガス(田舎だからプロパンガスね)を使って焼くものに変わった。

ガスコンロで焼いた秋刀魚は、むかし食べていた秋刀魚とはちょっと違う。
もちろんそれはそれで、魚料理の味わいも多少わかるようになった僕にとっては十分おいしいものだ。
そもそも一人暮らしをしていると、飲み屋くらいでしか秋刀魚にありつく機会がない。たまの帰省時に母が焼いてくれる秋刀魚はありがたい。

ただ、同時に思い起こすのは祖母が七輪を使って焼いた秋刀魚の味である。なんというか、ガスを使って焼いた秋刀魚はデジタルだ。標準化され、平均化されている。それに対して、七輪で焼いた秋刀魚は、アナログでアコースティックな味わいがしていた。
いまから思えば、あれは本当においしかった。おいしかったのが当たり前なので、僕はそれに気づかずにいた。

思い出せば、幼き頃は、竹の子、かぼちゃ、柿、祖母がなんばとうと呼んでいたとうもろこしなども嫌いだった。家の畑などで当たり前にとれて、日常的に食卓に並んでいたからだ。
いまは僕も実家を離れ、都会に一人、暮らしている。まわりにはかつてのような自然もないし、おせっかいな家族もいない。休日には誰とも会話をしない日だってざらだ。
時がたち、土地を離れてみると、かつてそこに満ちていたもののありがたみを思い出さずにはいられない。

秋刀魚に箸をつける時、いつもそんなことを思う。

…なんてことを書いてみると、なんだかまるっきり、清水義範時代食堂の特別料理だな。

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