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February 26, 2005

二重スパイ

目下の僕の課題。それは、Ciscoの資格取得だ。難儀している。

ネットワーク技術者の人には言うずもがなのことなのだけど、シスコシステムズはインターネットを構成する通信機器であるルーターの製造メーカー。しかもルーターで世界的に圧倒的なシェアを誇るメーカーなのだ〜!
本社はもちろん、米国である。

インターネット上で送受信される電子メールや、閲覧されるWebサイトなど。インターネットを流れるありとあらゆる情報は、このルーターと呼ばれる通信機器が伝送を担っている。
あなたが会社や家庭からインターネットに接続しているとしたら、あなたの会社のネットワークの基幹部分、あるいはプロバイダーのネットワークオペレーションセンターの内部にルーターは設置されている。
そして、そこにあるのは十中八九、シスコシステムズ製のルーターだ。

最終消費者に届く製品を作っていないから一般にはあまり知られていない。だけど、シスコシステムズという会社は、インターネットの世界におけるトヨタやNTTドコモなどのようなナンバーワン企業なんである。

そんなわけでネットワークエンジニアは、このシスコシステムズの製品を扱うことが多い。他社製品のことを全く知らなくても、Ciscoルーターを知っていれば一人前とみなされるほどだ。
ルーターといってもコンピューターの一種だから、動作させるためにはプログラムが必要になる。それを僕らの業界ではコンフィグレーション、あるいは日本語で“設定”と呼んでいるのだけど、Ciscoルーターの設定を行えることは必須なのだ。

いま、僕が取り組んでいるのは、Ciscoルーターの設定に関する資格なのだ。
それを取得することは、一人前のネットワークエンジニアであることの証しである。

これが他の業界だったら、その業界の技術の習熟度をはかる資格は公的な団体が認定するのだろう。でも歴史が浅く競争の激しいIT業界では一般に、特定メーカーの特定製品の技術を習得することが技術力の証しとされる。
例えばルーターのシスコシステムズだけではなく、OSやオフィスアプリケーションであればマイクロソフト、データベースであればオラクルと、それぞれナンバーワン企業がはっきりしているわけだ。だから各分野の技術者はそのナンバーワン企業の製品についての勉強をし、その会社にお金を払って資格試験を受験する。

これは非常に巧妙な戦略である。
ナンバーワン企業の製品の製品をまずマスターしないとその業界でやっていけない。そこでみんなが勉強して資格を取得する。その結果、必然的に他社の製品の勉強をする機会はなくなる。業界では他社製品についての知識をもつ人が少なくなるので、ナンバーワン企業はそのシェアを安定して維持することができる。

さらにシスコシステムズは狡猾である。たんに技術者を教育して囲い込むだけではない。シスコは製品を直接ユーザー企業に販売するのではなく、販売代理店(パートナー)を介して販売する形をとっている。そしてパートナーには、この資格を取得した技術者が何名いるかという数によってランク付けし、製品の卸価格を決める。

こうなると、個々のエンジニアの技術力の証しとしてだけではなく、会社としても社員に資格を取得させることが至上命題になるわけだ。なにせCiscoルーターのシェアは圧倒的だから、Cisco認定資格者の数がその会社の競争力を左右してしまう。

巧妙でしょう? ルーターを作る会社は国産(NEC、日立、富士通など)も含めていくつもあるのだけど、シスコシステムズの圧倒的なシェアは揺るがない。
“巧妙”というとネガティブな響きもあるのだけど、純粋に商売として見れば、こういうビジネスモデルを作り上げた人にはただただ頭が下がるばかり。

そして僕の勤務先も、ユーザー企業のネットワークを作り上げるという仕事をしており、このシスコシステムズのルーターを調達してきて販売する。できるだけ安く調達してくることが、受注確度や利益を左右することになるわけだ。
これまで、僕の仕事のポジションがあまり関係なかったのだけど、最近になってこのシスコシステムズ製品の調達、技術評価の部隊に組み込まれてしまった。

説明が長くなった。けど、そのようなわけでネットワーク業界に生きながら資格取得というものとは無縁に生きてきたこの僕も(なにせ持っている資格は第一種普通免許と博物館学芸員(!)と、そしてネットワーク関連では唯一、.comMaster★★)、それでは済まなくなったのである。
僕は、シスコシステムズのルーターについて学習し、関連する同社の資格を4つばかり取得しなければならない。その期限は、3月末—。

やれやれ。

言い訳させてください。
実は僕はネットワークエンジニアといっても、いささか特殊な経歴の持ち主なんだよね。なにせこれまで、インターネットの通信を担う根幹の機器であるルーターの設定に携わったことがないのである。
これまでは専ら無線LANという通信機器に携わってきた。最近では一般家庭のなかで普通に使われるようになってきた無線LANだけど、でも実のところ企業通信のなかではそんなにメジャーな機器ではない。
しかし一貫して関わって来たこともあってそれなりの知識は身につき、昨年は専門書も出版した。

そんな僕にとってルーターは初めて。もちろん、TCP/IPの知識や、RIPの動作くらいは研修で受講する機会がなんどもあったきた。だからそのあたりはだいたい想像がつくのだけど、OSPFとかEIGRPなどのルーティングプロトコルになるとさっぱり。アクセスリストは概念をわかっても、コマンドレベルに落とせない。

シスコシステムズのルーターに関する資格のうち、最も基本的で入門レベルに位置づけられる資格がCCNA(Cisco Certified Network Associate)だ。
僕はこのCCNAに、もう2回も落ちてしまった。
危うし! 危うし! 危うし!

それにしても、無線LANについては専門書を執筆し、社内ではスキルプロフェッショナルの認定も受けた身でありながら、よりによってCCNAに苦戦しているとは……。これは何がなんでもナイショにしておかなければいけない。正直言って、立場がないというものである。

ということで、このブログを読んだみなさんも、口外しないようにお願いします!!
(ちなみに受検の代金ですが、上述のようなビジネス上の理由があるので会社持ちです。その代わり、嫌でもパスするまでは受けなければなりません)。

そんな休日。本当はCiscoのテキストを開いて勉強しないといけないんだけど、なかなか取りかかれない。
部屋にいると、ついついドラクエ8に興じてしまったり(なにせこれも週末にしかやっていないからなかなか進まないのだ)、あるいはマンガや雑誌を読んでしまったり、なんとなくテレビを見てしまったりする。
こういう習性は、学生時代の試験勉強と何ら変わらないよなー。無理強いされることにモチベーションが全くわかず、義務感で自分を律することができず、集中力も維持できないというのは、いまも全く変わらない。

ということでなんとなくHDDレコーダーのメニューを操作したりしていて、録り溜めた番組のリストから選んで見始めたのが、タイトルの通り二重スパイ。
シュリやJSAに連なる、朝鮮半島の南北分断をテーマにした韓国映画であった。だいぶ前、WOWOWで放映されたものだ。もともとこういうポリティカルフィクションは嫌いではないので、録画はしておいて、でもなんとなくまとまった時間がなくて鑑賞はせずにいたのであった。

鑑賞したら、番組をレコーダーから速攻削除。
HDD搭載DVDレコーダーなる文明の利器を購入したのは、本格的なブームになる直前くらいだった。だからディスク容量は限られていて、最新機種に比べると録り溜めておける時間は短い。適度に見終えてさくさく削除しないと、後々予約録画した番組の時に、ディスクの容量不足で録画が番組途中で尻切れになるという悲劇に見舞われる。
永久保存しておきたいような本命の番組の時にそんな目に遭うと、かぁなりガックリする。このガックリ度は、ファミコンのドラクエIIIにおいて冒険の書が消えてしまった時のあの落胆をはるかに上回るだろう。

そんなふうに二重スパイは僕のレコーダーのハードディスクから駆除されたのである。
もしまた見たくなったら、DVDでレンタルしてくればいいんだよね。

そして、僕の貴重な土曜日も終わった。

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タワーリング・インフェルノ

タワーリング・インフェルノです。いまさらなんだけど、できあがったばかりの超高層ビルが、竣工パーティーの日に火事になって燃えちゃうという話。1974年の映画です。

これ、たしか中学生の時にTVで見て、そのインパクトに釘付けになった記憶があるんだよね。
高層階のパーティ会場から隣のビルの屋上までロープを渡して、ワゴンで避難する! ラストでは給水タンクを爆破して火を消す! な、なんという荒唐無稽さ。こういう現実にはありえないアイデアのオンパレードは、パニック映画にはやはり必須ですな。

火事の発生を知らずに情事を重ねていて逃げられなくなり、焼け死ぬカップル。自分だけ逃げようと周囲をはねのけワゴンを奪うが、結局、綱が切れてまっさかさまとなるやつ(まるで蜘蛛の糸のガンダタ)。うひゃうひゃ。いや〜やっぱりこういうやつらが出てこないとねえ。

WOWOWで放送されていたんだけど、むかしのインパクトが強かったのでついついまた見てしまった。
この映画の終幕。詐欺師をしていた男がようやく本気で愛する女性と巡り会ったのに、結局彼女は死んでしまっていた。そして生き残った彼女の愛猫を渡される。まさに、涙なしでは見られない…印象に残るラストシーンだね。


ところで、猫の話が出てきたので、今日はもう少し猫について語ってみる。

僕はペットとしては、犬より猫のほうが好きだ。いわゆる猫派である。

僕にとって、犬は、人間に媚びる姿が好きではないんだよね。彼らは弱い者には威張り、強い者に媚びる生き物のように僕の目には映る。人間が強いから、餌をくれるから従う。
そういうふうに見える。それが僕には許せない。

それに比べると、猫はふだんは人間なんて我関せずというスタンス。こっちが呼んでも振り向きゃしない。ただ腹が減ればニャアニャア鳴いて寄ってきて、寒くなればゴロゴロ言いながらこたつに入ってくる。その現金なふるまいが、かえって好感を持てる。

それに、僕が実家に帰ると、実家で飼っている犬が僕を見て吠えるのだ。
僕はもう10年家を留守にしていて、犬の彼(—名前は何だっただろう? 興味がないので覚えられないのだ)が家に来たのは3、4年前。彼にとってこちらがよそものなのだろう。
一方、僕が大学生の頃から飼い始めている猫のほうは、長らく留守にしていてもちゃんと認識してくれている。

やっぱり猫が好き。

もっとも、犬や猫が自分で好き好んで彼らの習性を選びとったわけではないので、彼らがそのように行動することを責めるのもせんなきことなんだろう。あくまで、僕の好みの問題だ。

それに、犬より猫が好きと述べたばかりでなんだけど、僕は猫にもとりわけ愛情を抱いているわけでもない。
僕が元来、いちばん好きなのは人間だ。そして動物は、好き嫌いはあっても僕の人生を左右するものではないと思っている。動物は動物で、人間とは別の存在だ。

彼らには感情がない。僕はそう感じる。
もちろん、喜怒哀楽といった程度の情動はあるようだ。でも所詮、彼らは他人のそれを自身のものとして感じ取るような、知性を備えた存在ではない気がする。
感情が通じないものに精魂を注ぐよりは、やはり人間を相手にしたほうが何倍もいいな。そう思って醒めた目でペットと向き合っている。

でも、そんなふうに動物を見ていることを、人間の、とりわけ女性に言うとすこぶる評判がよろしくない。人間の女性を相手にする時は、ペットに関する話題には重々気をつけようと思っている(でも、言っちゃうんだけどね。あーー)。

ところで、この前のお正月もそうだったのだけど、もう何年も前から実家に帰るとくしゃみがとまらず、体がだるい。どうやら原因は、猫の毛に対するアレルギー反応らしい。
猫が好きなのに猫アレルギーになってしまうとは! なんということだ、やれやれ。

やっぱり猫も好きにならないほうがいいのかもしれない。

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February 20, 2005

パッチギ!

ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく留まりたる例なし
世の中にある人と住家と、またかくの如し
(鴨長明「方丈記」)


歴史を舞台にした大作が好きだとこの前書いたところだけど、実は近い時代を舞台にしたものも、わりと好きだったりする。

時代で言うと、戦前、戦後から高度成長のあたりかな。まあ、いわゆる“昭和”ってやつだ。
だから、平成6、7年にNHKスペシャルで放送された「戦後50年・その時日本は」なんて、全回ビデオに録っていたりする(おっと、今年はもう戦後60年…このNスペも10年前なんだよな〜)。

それで思うに、NHKスペシャルのようなドキュメンタリーとは違って、フィクションにおける近過去の映像化って、けっこう難しい気がする。

みんな、その風景のなかで生きてきたわけで、つまり大半が覚えている景色を再現するわけだ。
でも、その景色を構成するはずの個々の事物が実のところ、具体的にいつまで存在していたかってことになると、人々の記憶はきわめて曖昧である。

時代にリアルと曖昧さが同居していることが、考証をかえってややこしくするだろう。
そんななかであえてそこを舞台にしている映画があると、素直に足を運んでみたい気分になる。


あと、近過去について思うことというと—。

けっこう前、日本とアメリカが戦争したことを知らない若者がいるということが、新聞記事になっていたのを読んだことがある。まあ記事になるってことは、つまりそれは問題なんだろう。

でも思うけど…知らないのってべつに、太平洋戦争のことだけじゃないし。

つまり戦争があったってことだけじゃなく、戦争が終わった後から今まで何があったかってことも、たぶん多くの若者は知らない。
たぶん、安保闘争とか高度成長とかあさま山荘事件とか、その時代を生きた人にはきわめてリアルなんだろう。
でも、そこからちょっとずれて生まれたとたんに過去のベールに包まれるちゃうんだよね。

たとえば、1970年代生まれの僕が大学生の時に経験したこと。
学生雑誌の企画で、かつての学生運動を取り上げようとしたことがあった。
でも、その時にサークルの仲間と議論してわかったけど、全学連と全共闘の違いがわかっている学生がほとんどいなかったんだよな。これは自分も含めて、なんだけど…あなたはわかりますか?

なので、戦争を知らない若者がいることが特段の問題とは思えないし、仮にそれを問題にするなら、安保闘争とか全共闘とか、あるいは高度成長とかオイルショックとか、はたまたプラザ合意とかバブル景気とか知らない若者がいることだって同じように問題ではないかい。

結局、近過去のことをみんなが知ってる自明のことだと思って、あえて学校の授業で教えないのが悪いように思う。前の世代の人たちは、続く世代が自分たちの生きた時代を知らないことを認識しなければならない。
いまはほとんど民間の口承に頼って伝えられるのみのこれら近過去を、丁寧に伝える機会をもう少し作ったほうがよいのでは、と思っている。

まあ、最近では1969年のアポロ11号の月着陸が嘘だったと信じている若者が少なくないことからも、近過去への正しいまなざしというものは、いかに危うい状態にあるかがわかる。
今後、JRは国鉄だったとか、ソ連という国があったこととか、阪神大震災とか、青山刑事は都知事と同じ名前だったとか、知らない若者が登場しても全然不思議ではないと思う。

近過去は、つねに忘却の危機に瀕している。まさによどみに浮かぶうたかた。佐渡島のトキのごとし。


それでまた、ちょっと論点がずれちゃうんだけど。
僕は出版社から刊行される、日本の歴史のシリーズものを眺めていても我慢ならないことがある。
戦後の扱いだ。
たいていどの出版社のシリーズでも、戦後の歴史は1巻に納まっている

それで思う。
おいおい、戦後ってもう60年もあるんだぜ。
なんでたったの1巻なの?

だって、たとえば明治を基準に考えて、戊辰戦争、明治維新から大正デモクラシー、関東大震災あたりまでを1巻で説明しますかね。
通常これら60年にわたる時代は、3巻くらいにまたがると思う。戦前・戦中の扱いだって、この昭和の最初の20年間に1巻くらいは割いて記述するだろう。

なのになぜ、戦後の60年を1巻で納めようとするのか…不思議でならないよ。
この60年は、そこを生きてきた人にとっては、まだ歴史になっていないのかもしれない。でも、上に書いたように1970年代生まれの僕らにとっては、もう半分以上が歴史なんだ。
そしてその割合は、僕らより下の世代に行くほど増える。

手を抜くな! おろそかにするな!
近過去をなおざりにするべきではない、と僕は言いたい。


と、前口上が長くなったところで、パッチギ!

1968年が舞台だ。昭和でいうと、44年。そして、京都。
上にも書いたように、近過去の風景の映像化ってけっこう難しいと思っている。ついつい背景には目を凝らす
スパイ・ゾルゲとか、この世の外へとか、血と骨とか見た時もそれなりに目を凝らしたんだけど、この映画もそういう楽しみ方ができる作品だと思った。

お話としては、どこかで試写会を見た人の感想にあったけど、大切なことを面白く仕立てて伝える。そういう映画だよね。
基本的にはユーモアに満ちあふれているんだけど、映画のクライマックスにさしかかる場面で在日朝鮮人の老人が吐露する、
「お前ら日本のガキ、何知っとる…知らんかったらずーっと知らんだろ」
このセリフ。絞り出されるような言葉が脳天に響くのですよ。
ずーん。

その点では、「血と骨」と同じ裏韓流映画。ただ明るい、ポップな裏韓流だね。

まあ実際にはそんなこと深く考えず、たんに沢尻エリカのチマチョゴリ姿と京都弁に萌え〜で見るのもよいと思う。
エリカたん…ハァハァ…(;´Д`)

ということで、ハァハァ映画にもケテーイ!

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February 12, 2005

アレキサンダー

歴史を舞台にした大作映画はわりと好きだ。ということで、今日はアレキサンダーである。

歴史大作といえば、この前のトロイは残念ながら見逃してしまったけど、印象深いところではローマ帝国時代の剣闘士を描いたグラディエーターや、アメリカ独立戦争を描いたパトリオット など…。ま、公開されればだいたい足を運ぶ。
なかにはラストサムライみたいに、なんじゃこれは (゚Д゚)ゴルァ!!…と叫びたくなる映画にも遭遇するけど。

映画を見た後は、歴史が好きで買い揃えた世界の歴史(全30巻!)—ふだんは本棚の肥やしとなっているこのシリーズが役立つ時間でもある。
帰宅後に、該当の時代の巻を手に取り、史実をひもとく。映画の舞台になったその時代その国、その人物を取り巻いた状況は、実際のところどうだったのか。
映像の余韻がリアルに残っているうち、そんなことに思いを馳せるのは、映画鑑賞そのものにも増して楽しい行いなんだよね。

さて、「アレキサンダー」だが、世界史上最大の英雄であるアレクサンドロス大王の物語というのは言わずもがな。
紀元前4世紀に生きて、ギリシャの王となって宿敵アケメネス朝ペルシャを倒し、東征して遥かインドにまで足を踏み入れた人だ。そこまでのことをいまの僕の歳にまで成し遂げ(!)、そして死んだ。

しかし、アレクサンドロス大王の生涯を描いたこの映画、見る人によっては現実の世界情勢を重ね合わせてしまう。
なにしろ理想に忠実で無垢なアレキサンダーが「被征服民族を解放して自由を与えた」「父のなしえなかったことを遂げた」と発言する。思わず、お前は彼の国の大統領か、と突っ込みを入れたくなる。

この映画にイラク戦争を見るのは僕だけではないようで、いくつかのブログでもそんなコメントは目にした。
敵の王ダレイオスビンラディンにそっくりだし(しかも山岳地帯に潜伏して逃げ回る!)。占拠したのはバビロンだし。
大王の征服路はまさに現在のイラク、イラン、アフガニスタンの辺りを駆け抜けていっているわけだし。

意図しているのかしていないのかわからないけど、でもおそらくはこの監督流の仕込みなのだろう、そんな見方をしてしまう映画ではある。
語り部のプトレマイオスにも、ラストに「何が理想だ! 彼がやったことは征服と略奪だ」と口走らせているしね。

ま、その辺の感じ取り方は人によって様々としても、歴史大作としてはそれなりに楽しめる作品だと言える。
コリン・ファレルのちょっと優(やさ)男系な表情もgood! トラウマ抱えた同性愛嗜好の大王を演じるにはまさにナイスな配役だったという気がする(しかも、彼の国の大統領にも風貌がそこはかとなく似ているし)。
ストーリーとしては、ちょっと冗長な気もするのが残念だけど。でも、映像としてはガウガメラの戦いを鳥の眼で俯瞰できるし。バビロンの都も圧巻だし。いやあ、期待通りの歴史絵巻を再現してくれます。

つまり、歴史大作の醍醐味とはこういうことなんです。

よく、僕は博物館の企画展に足を運び、そこに並べられた歴史のカケラを鑑賞する。
幾千年の年を経て発掘された土器や金属器や像などの遺物。そうした断片から当時の様子がどうだったのか、一生懸命思いを馳せる。
でも、映画の映像表現は、その、僕が想像しようとしていたものをたやすく目前に繰り広げてくれる。ダイナミックに、そしてとてもクリアに。もちろん、それが本当の歴史の光景ではないのだろうけど、タイムマシンがない以上そんなことを突いたってしょうがない。
歴史学や考古学が明らかにしたものの上に途方もなく膨大な金をかけ、最大限の想像力を駆使してスクリーンに再現する。そんな現代の絵巻物を楽しむ。

これが、たまらないんだよね。


ところでまた全然話は変わる。
ふと、理系と文系のボーダーについて書いてみたくなったのです。

僕は実は文系出身の人間。にも関わらず、いまは技術系の仕事をしている。
すなわち所属している職場は、理系出身の人たちが多数を占める職場である。
そんな環境で仕事をしていて気づけばかなりたっているけれど、いまさらながら理系のカルチャーって文系と違うよな〜って思う。つくづく。

このことは、いつか整理して書いてみたいと思っている。
ここであえて一つだけ、理系の職場の特徴を挙げておくとしたら
 会話に下ネタが少ない
これを指摘したい。

新人の頃、営業部門でOJT(On the Job Training)をした時の記憶をひもとくと、会話のオチはたいてい下ネタで落とすのが定番だった。毎回毎回あまりに見事にそこに落ちるので、感動すらした覚えがある。
それに比べ自分が配属になった技術系の部門では、そんな会話は全くなかった。同じ社内でありながらこの違い! 以来10年、技術系の職場に居続けているが、雰囲気は変わらない。

会社では、社外講師に委託したセクハラ研修が定期的に実施される。けれど、そのような研修はこの人たちには無用なのではないかとさえ思う。
(実際には顕在化しない事例もあるだろうから、研修もそれなりに有効なんだろうけどね…たぶん)。

といっても、これは僕の限られた範囲で見ているだけだから、実際には下ネタが頻繁に交わされる理系の職場というのもあるのかもしれない。

他の会社では、どうなのだろうか?

少し前のこと。学生時代のサークルの後輩の女性が、システムインテグレーターの名古屋の支社に派遣社員として勤めることになった。彼女もずっと学校が文系で来ていて、派遣社員になる前も東京の文系の会社(出版社)に正社員として勤めていたという人だった。

そんな彼女に、職場に下ネタがないよね、という話をしたら、「そうそう」と大きく頷いて同意された。
だからやっぱり、そういう傾向は会社は違えど見られるのだと思う。
そして、彼女にとって初めてとなる理系の職場は、なかなか居心地がよいらしかった。
女性には理系の職場、これオススメかもしれない。僕もそういう方面の話は苦手なほうなので、理系の職場はたしかに居心地悪くない。…のかな?

ま、本当言うと僕は文系といっても経済や法科ではなく文学部の出身だから、文系のなかでもまた特殊な感覚をもつところを出ているんだけどね。
実は文系における文学部のポジションは、理系における理学部と同じである…ということも機会があればまとめてみたいけど、今日はとりあえずこの辺で。

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February 04, 2005

解夏

「貴殿の文章にはうんざりさせられますが、それでも私は貴殿が書き続ける自由は命をかけて擁護します」。

フランスの思想家ボルテールが書いたと言われる一文だ。一般に“言論の自由”の本質を端的に表した文言として語られている。
…といっても、実は僕はボルテールという人のことをよく知らない。それでも、どこかで目にした覚えがあるので、これはそれなりに有名な言葉だと言ってよいんだろうと思う。

最近注目の世間のできごとの一つに、朝日新聞が報道の端緒を切った、いわゆるNHK番組改編問題がある。

僕はかつて就職活動の折に一瞬、報道という職業を志し、朝日新聞社も日本放送協会も両社受験した(そして両社とも落ちた…(T T) )。そんな身としては少なからず耳目を傾けさせる事件ではある。

で、この問題に関する一連の報道を眺めていて、どこかで読んだ冒頭の言葉が頭に思い浮かんだ。
誰の発言だったかと思い、インターネットで検索してボルテールの名前に行き着いたわけだ。

この言葉の通りに世の中が実践されれば理想的なのだろうけど、なかなかうまくいかない。今回の事件がまさにそれをよく表している。
とはいえ、ふだんの生活や職業に関係のないことについて必要以上に思いを巡らす必然性は、僕の側にもないわけだ。ただ、それでも趣味的に好きなものだから頭の片隅で考えている。
そんななかで、にわかにラストニュースを読みたい気分が沸き上がってきた。

ラストニュースとは…?
これは、10年くらい前に連載されていた猪瀬直樹原作、弘兼憲史作画の漫画だ。ちょうど、ソ連の崩壊や政界再編などで報道が熱かった季節だったと思う。そんな時期に描かれた、放送ジャーナリズムが抱える様々な課題を浮かび上がらせた作品である。
ラストニュースとはこの漫画の舞台となる、わずか11分の報道番組のタイトル。その日の最後、夜11時59分から放送される番組の制作現場を通じて、真実を追い求める人間の姿勢を描く。

さっそく関内のCERTEに出かけて、芳林堂で小学館漫画文庫版全6巻を購入してくる。
ペラペラとページをめくる。

10年前の作品ではあるが、内容は新鮮味を失っていない。というか、この漫画と似たことが相変わらず繰り返されていることに改めて驚かされる。
たぶんマスメディアが抱える課題というのは、いつの時代になってもそんなに変化しないものなのだろう。

日は暮れて、道遠し。

そんななかで今回、とりわけ読みたかったのは、「フリーダム・オブ・プレス」と「圧力」のエピソードだ。

“freedom of press”—。日本国憲法で、GHQ案の本来の趣旨によれば“報道の自由”と訳されるべきだったこの言葉。これが何者かの作為により、たんに“出版の自由”という表現になったという。そしてまた、放送の不偏不党と自由を謳った放送法第1条第2項も、より明解だった原案が玉虫色の現条文に改められた。

あくまでフィクションの体裁の範囲内で、現行の憲法と放送法の制定過程をそれぞれ描いている。
こういうことがあると、かつていちど読んだ時に増してますます面白く読める。

しかし、こういう本が気づくと品切れ、在庫流通のみになっている。読みたい人がいざ読みたい時に実際には読むことができない、という状況はなんとかならんものかいな。
出版の自由が確立されても、読書の自由はまだまだである。
(たまたま、CERTEの芳林堂にあったのはラッキーだった)。


さて、2月4日に近所のDVDショップで、一昨年公開された映画解夏のDVDを買う。

いちどレンタルで借りて来て見てストーリーがよかったのと、長崎の風景が素敵な映画だなあと思った。
(僕は風景が綺麗な映画が好きなのだ)。
映画を見た後には、さだまさし原作の小説を読んだ。さらに言うと同じ原作のTVドラマ愛し君へもレンタルして全話見た。

解夏(げげ)という言葉の響きと意味。失明という苦悩に、日常では聞き慣れない仏教の用語を重ねて解きほぐす。そんなお話の編み方が、生きることの深みを描くことに成功していて巧いと思ったんだよね。
(逆にTVドラマはキモだといえるこの主題がさっくり削られていて、物足りなかった。長崎が舞台ということと、ベーチェット病で失明するという点をのぞけば、全く別の話だな…菅野美穂はよかったけれど)。

そんなわけでお金さえあればDVDを購入してもよい映画だなとは思っていたのだ。
ちょうど酒を飲んだ後で財布の紐が緩んでいた時で、奮発して6,300円の支出なり。

ところで僕の職場の先輩にも、長崎県出身の人が一人いる。
(解夏はまだ見ていないとのことだけど…)。
その人は既に家庭を持ち父親となり、最近東京の近郊にマンションも購入した。そんな彼も、長崎に帰りたいという気持ちはいまだ心の底に強く抱いているらしい。

その彼が東京で知り合った奥さんをかつて結婚直前に長崎に連れて行った時の話を、この前酒の席で聞いた。
実家に赴く途中で、二人きりの時に、九州には住みたくないと涙をこぼされたという。
…いやはや、現実は甘くありませんよね。
愛しているというその気持ちのままに、これから失明する男のもとへ東京から全てを投げ打ってかけてつけてきて嫁入りする。そんなことは、実際には起こるべくもない。あるわけないんだぎゃあ。

ゆえにこの物語は成り立つ。その愛に、見る人が思わず感動するんですよね。
(そして人によっては、我が家も石田ゆり子みたいな嫁がほしかったと思うことだろう…)。
ああ、なんともいい映画だ。

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