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June 26, 2005

交渉人 真下正義

あるいは、ライブドアの公衆無線LANサービスD-cubicに成算はあるのか、というコラム。

まずは交渉人 真下正義について。

えーと。

物語のなかでつかれる嘘は、少なければ少ないほどよい。その世界を成り立たせるためにどうしても必要なたった一つの嘘だけが許される、といっても言いだろう。

そうであってこそ、物語に真実味が増し、それゆえの面白さというものを醸し出すのだと思う。
これはたとえば、時に荒唐無稽と思われがちな、SFやアニメーションなどの作品においても変わらない原則である。

たとえば、平成ガメラの第1作、ガメラ 大怪獣空中決戦は、巨大なカメの怪獣が存在するという一点をフィクションとし、あとはリアリティに徹した。そのおかげで、キワモノ仕立て、あるいはお子様向けに陥りがちな怪獣映画としては、希有な傑作になった。
あるいは機動警察パトレイバーが、警察組織を描くという、思いっきり体制派の内容に徹していることを評価されながら、このロボットが縦横無尽に活躍できるためには電柱がない世界でないとダメだねと喝破されたり…(これはたしかBSマンガ夜話のトークで明らかにされた)。

交渉人 真下正義を見ていて、思わず叫びたくなった一言。それは…。

地下じゃ携帯の電波は届かないんだよぉおお〜っ。

ということ。

地下鉄の駅も最近では携帯を使えるようになってきて、随分と便利になった。
(名古屋の市営地下鉄をのぞいてね…名古屋の事情についてはこの記事を見よ)。
最近では、これは東京の地下鉄の話だけど、公衆無線LANが利用できる駅も増えてきているようだ。
しかしながら、いくらなんでも駅と駅の間の全く地下の区間において携帯が通じるという話は聞いたことがない。ましてや建設中の区間においてをや。

だよね。

でも、と思い直した。
これはたぶん地下でも携帯の電波が通じるという世界の話なのだ。

ところで、上で機動警察パトレイバーというアニメーション作品の名前を出したのだけど、フリー百科事典サイトウィキペティア同作品の解説によると、「踊る大捜査線などでで知られる本広克行などに強い影響を与えており、特に同監督の交渉人 真下正義は本作品へのオマージュが多々あった。」との記述がある。

ほほう〜っ、いったいどんなところにオマージュが隠されているのだろうと思いつつ鑑賞した。
たしかに警察組織の現実を描くという点において、パトレイバー踊る大捜査線は非常によく似た作品である。
SFアニメーションと、刑事ドラマという違いはあるにせよ、だ。

現場の思いと上層部の無理解、それでいて腐らずに事件解決に邁進する人びとの姿。そしてなんだかんだいっても警察が舞台、大前提として登場人物は“反体制”に走ることも、“体制”を解体することもできず、最終的には巨大な“体制”の一部としてどう生きるべきかが説かれる。
両作品は共通点が多いと僕も思うし、パトレイバー踊る大捜査線に影響を与えたと聞いてもなんら不思議には思わない。

鑑賞したところでは、何がオマージュなのか全てを読み取れたとは思えないけど、たしかにこれは、と思うシーンはあった。

カラスだ。

交渉人 真下正義では場面の切り替わりに、よくカラスが飛ぶ。
たしかにこれは機動警察パトレイバー the movieを彷彿とさせますな。あの映画でも、カラスは欠かせない動物だった。
E.Hobaが飛び降り自殺をするシーンでは肩にカラスを連れていたし、エンドでレイバーが箱船の屋上に上がった時もカラスに囲まれていた。

カラス以外のオマージュが何かあったのかというと、ちょっとよくわからないけど。


電波の話。

地下で携帯は通じるのか、ということを記したので、最近聞いた電波に関するニュースのことを書いておこうと思う。携帯とはちょっと外れるんだけど。

ライブドア公衆無線LANサービス参入の話です。

6月15日に、ライブドアの堀江社長は、公衆無線LANサービス「D-cubic」の事業説明会を開催した。
これは、インターネット上のニュースサイトで取り上げられたし、新聞、TVなどの一般メディアでも報道されたようだから、既に多くの方がご存知だと思う。

山手線内に整備された無線LANアクセスポイントが、月額525円で利用できるという、低価格なサービス利用料金の部分に、大きくスポットがあてられているようだ。
また、同社が販売を行なっているSkypeなどのフリー電話ソフトを併用して、携帯電話の代替にあたるようなサービスになるのではないかという期待もされているらしい。

4-88549-812-0実は、僕はこの無線LANという技術にもう9年ばかりもつきあっているんだよね。
(右写真に掲げたの執筆もした)。

同社が描くビジネスモデルがどのようなものか、そこに勝算はあるのか、ということは大いに気になる。
ただ、そこはひとまずおいて、技術的な観点から面的に展開する公衆無線LANというものにどういう課題があるのかを、記しておきたいと思う。

技術面から見て、同社サービスは見込みがあるものなのかどうか。


まず、なぜこれまでに同じようなサービスができなかったのかを、問うてみたい。

Aironet無線LANというものはそもそも国際的に標準化された技術を使い、製品としても市販の汎用品を用いて構築できる。
その点では、実はライブドアの参入に何ら優位性はない。誰でもできてしまうわけだ。

誰でもできることなのに、どうしていままで誰もなしえなかったのか。

いや、これまでにも参入しようとした企業はいた。

まずソフトバンク東京電力マイクロソフトが提携してサービス開始を表明し、後に結局東京電力だけがサービスの継続を担うことになったスピードネット。これは、標準化された技術ではなかったが、2.4GHz帯においてFH方式の無線LAN技術を活用したサービスだった。主に集合住宅を対象としていた。

スピードネットよりもより今回のモデルに近いのは、MIS(モバイルインターネットサービス)だろう。
人脈的には無線ベンチャー企業のルートと、ADSLの先駆者、東京めたりっく通信に関わった技術陣で開始された事業だ。これは標準化されたIEEE802.11bの技術を使い、電柱にアクセスポイントをとりつけサービスを展開しようとしていた。

しかし、どちらも失敗した。

いずれも、マネジメントの失敗や、十分でない規制緩和、一方で競合するブロードバンド技術の登場という要素に囲まれていたのだろう。
ここではそれらの分析を省き、技術的な観点のみ説明する。

つまり、技術の採用や周波数の利用にあたっての制約はほとんどないにも関わらず、面的に展開しようとする無線LANサービスで、成功したモデルはないわけだ。

唯一続いているサービスを見ると、いわゆる“ホットスポット”型のサービスだ。
NTTコミュニケーションズホットスポットや、NTTドコモMzoneなどに代表される、人が集まる店舗やビルなど、特定空間に限定して提供されるサービスである。

これらもビジネス的に成功しているかはわからないけど、技術的には納得のできるモデルである。

なぜなら、無線LANが使う2.4GHz帯は、誰もが利用できる周波数帯。
極端なことをいえば、無線LANに割り当てられた2,400〜2,497KHzは、いわば日本全国で1億2000万人が共有して使っている形になるわけだ。事業者によって周波数が占有される携帯電話などとの大きな違いがそこある。

誰もが使え、しかも限られた周波数帯を効率的に利用するには、それなりの工夫が必要だ。
その工夫の第一はセル(電波の到達範囲)を小さくすることである。セルを小さくし、それぞれのアクセスポイントからのサービス提供範囲を制約すれば、1億2000万人みんなが使っても干渉や混雑は起こらないかもしれない。
逆にセルを広げてしまうと必然的に他人の使っている波とぶつかる可能性が大きくなり、お互いにとってサービス品質が低下してしまうという結果をもたらす。

面的に展開するサービスが残らず、エリアを限定したホットスポット型の事業のみが継続されているという現実。以上を踏まえれば、これは十分に技術的な必然なのである。

ライブドアは、この技術の制約を乗り越える何かをもってサービスに参入するかというと、そうではない。
オープンな周波数帯を利用し、標準化された汎用技術を採用しているということはサービス参入がしやすい反面、つまりそこにはチャンネルの占有や継続的な提供に関して、同社にとって何の優位性も持っていないことを意味する。

技術的な課題の第一である。


堀江社長は、「D-cubicは孫さんの低価格ADSLのモバイル版」と言っているらしい。
でも、ADSLのような有線をベースにした技術と、無線LANのような周波数にのっかる技術じゃ、根本的な違いがあるんだよね。

帯域の拡大に関することだ。帯域の利用について、ADSLは掛け算だけど、無線LANは割り算になってしまうのだ。
こういうことだ。ADSLの場合、基本的にはポート数を増やせば増やすほど、帯域は増える。いまのADSLの最大速度が50Mbpsとすると、50Mbps×ポート数 の式が成り立ち、ポート数を増やせば増やすほど、利用者を拡大できるわけだ。

これが無線LANの計算式では、こうなってしまう。

 54Mbps÷利用者数。

利用者が増えると帯域が減ってしまうのだ。
ADSLでは利用者を増やすにはポート数を増設すればよかった。それに対し、無線LANでは利用者が増えれば増えるほど割り算の形で、帯域が犠牲になってしまうのだ。
あらあら、なんとしたことか。

これが電波というものの現実である。周波数というのは限られた、きわめて貴重な資産だ。もっとよこせといってもムリで、割り当てる権限をもったのは国家のみ。審議会での議論と、法律の改正が必要になる。
そうした現実を前に、この限られたリソースを効率的に使うには工夫が必要になる。

その第一が、上でも述べたようにセルを限定することだ。
電波が届く範囲を限定すれば利用者の頭数を減らすという結果が見込める。これはサービス品質の向上につながる。


そして次に、無線LANの上に音声が載せられるのかという点についても分析しておこう。

ライブドアがSkype製品の販売元になっていることと関連づけて、この無線LANサービスの上で電話としての利用が可能になること——つまり言ってしまえば、格安携帯電話のインフラになること、が期待されている。

ほんまに無線LANに電話なんかのるんかいな。

N900iL実際のところでは、NTTドコモからは無線LAN上でVoIPの通話を実現するFOMA一体型の端末、N900iLという電話機が法人向けに発売されていて、ワイヤレスVoIPの構築はいまシステムインテグレーター各社にとって注力すべきソリューションの一つになっている。

しかし、これもオフィス内という限られた空間で、セルの範囲を限定することを前提とした話。
その前提の上でもかなり品質確保や安定動作の実現に苦労しているという話を聞く。
こうしたSI各社の声を聞くと、ライブドアのように広域に展開する無線LANインフラで、安定した通話ができるかというと困難は多いだろうと思う。

どういう困難があるかというと、面的に展開する場合、物理層の安定が犠牲になっているということです。

端末は、アクセスポイントの直下では54Mbpsで接続する。しかし、もし100m離れたところにある端末があった場合、1Mbpsのリンクレートで接続してくるかもしれない。物理的なリンクが端末ごとに違うのだ。
さらに同じ距離、同じリンクレートのなかでも、ある端末は電波状態(信号の強度やノイズのレベル)がよく、ある端末は悪い、ということが起こりうる。

音声を載せた場合、処理が条件の悪い端末にどうしてひきずられてしまう。
みんながみんな54Mbpsでリンクし、電波状態も良好であれば安定した通話になるかもしれないけど、他の端末が電波状態が悪かった場合、それまで良好だった端末もそのレベルまで落ちてしまうということがあるのだ。

IEEE802.11bを使うN900iLのソリューションの場合、1台のアクセスポイントで面倒の見られる通話数は、7〜9通話くらいらしい。これを越えると、通話している端末が一斉に音質が悪くなるそうだ。
ライブドア無線LANサービスに現実にどのくらい音声の利用者が出てくるのかわからない。ただ、オフィス内での利用よりもセルがより大きく展開しているなかで、7〜9通話という屋内での技術的な上限を越えることはありえないだろう。

音声だけではない。動画の利用も心配のタネとなる。

実は一定時間、ある程度の帯域を占有する使い方に、無線LANは弱いのだ。
なにしろ良好な状態でのリンクレート54Mbps(実効のスループットは20Mbps程度)をみんなで使う帯域共有型のメディア。つまりはシェアドハブだから。

たとえば数Mbps程度の動画でも、複数の利用者が入ればとたんに処理できなくなる可能性が高い。

これが無線LANの現実である。


つまりライブドアのようなサービスモデルに懸念されることというのは、こういうことになる。

利用者が増えれば増えるほど、利用されるアプリケーションがリッチになればなるほど、実は2.4GHz帯の無線LANは限界を露呈してくるものである。
セルが大きくとられていればその分、限界の露呈は速い。

固定通信の上でのブロードバンド環境に慣れたユーザーは、当然無線LANの上でも、同じ使い勝手を期待するこことになる。しかし、無線LANという技術に内在された限界がそれを許さない。
これは、日本全国誰もが使ってかまわないと許された一事業者によって占有できないインフラを使う以上どうしようもできない制約である。いかにお金の力をもってしても、解決は困難だ。


いずれにせよ、もはや2.4GHz帯で本格的なサービスなんてできっこないわけだ。
それは僕の、この技術に関わって来た実感から断言できるし、現に先行した事業者がいずれも成功を見せていないことからも明らかなことである。

ただ、ライブドアがこれらの限界を踏まえた上で事業に乗り出すというのであれば、D-cubicの税込み525円という利用料金の設定は間違いではないのかもしれない。

制限が多いけど、安いからいいでしょ。
そんな感じのサービスになるんだろうな、たぶん。

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June 25, 2005

バットマン ビギンズ

gamera10年前のの春のことだ。
平成ガメラの第1作、ガメラ 大怪獣空中決戦が公開された時、ひそかに怪獣映画好きであった僕はいそいそと映画館に足を運んだ。

その1995年の春といえば、僕にとっては就職を控えた時期だったんだけど、世間的には1月に阪神・淡路大震災が起こり、3月には東京で地下鉄サリン事件が起こった。そんな時代であった。阪神大震災の記憶は生々しく——というか、その時はまだ記憶にすらなっていなかった。震災は、現在進行形のリアルな出来事だった。

そのような時節に公開された怪獣映画、ガメラ
怪獣映画といえばビルを叩き壊すのが定番なわけだ。劇中のビルや高架が崩れさるシーンを見て、うわぁっ、これは地震で被災した人には見せられないんじゃないか、と、映画館のなかで感想を抱いた記憶がある。


あれから10年がたった。

2005年の初夏、鑑賞に足を運んだバットマン ビギンズ。なんとこの映画には、列車事故のシーンが盛り込まれていた。
しかも、線路を外れた列車が地べたに衝突し、さらに地下駐車場に入り込んで横倒れになったまま疾走するんである。
おおおお、なんという符合。劇場で映画を観る人が100人いれば、その100人ともみんながこのシーンに対して、これは…って思ってしまったはず。

さすがに映画館には、列車事故を想起させることについての注記のコメントがしたためられたポスターがあらかじめ張り出されていた。まあ、かくかくしかじかでこんなシーンがあるけど、製作は事故の前だったし、ストーリー上重要だからそのままになっているよ、という内容だ。
実は、鑑賞時にはそんな貼り紙のことなんかすっかり忘れていたのだけど、実際にその場面が出てくるとああ、このことだったのかと思い出した。そして同時に記憶が飛んで、10年前にガメラを観た時の感想をも思い出してしまった。

ま、こういう偶然による、時事の出来事との符合というのは、時折起こるものなんだよね。
たしかに製作者に悪気は全くないだろう。

そういえば、WOWOWで映画マーシャル・ローを放送予定としていた月に、米国では9.11の大規模テロ事件が発生した。そこで、WOWOWの賢明なる検討により、マーシャル・ローは放映延期になってしまった。
なにしろマーシャル・ローは、ニューヨークで無差別テロが起こり、その結果ついに戒厳令が布かれて、アラブ系の人びとが投獄されるというお話なのだ。感嘆するほどの符合である。

いまから思うと、その後同じようなことになるんだからそのまま放送してよかったのではないかと個人的には思うのだけど、それはそれ。
大人の社会には、適切な判断というものが存在する。適切な判断により、マーシャル・ローは放映延期になり、そしてバットマン ビギンズはそのまま上映されるのである。
(9.11の時、米国ではコラテラル・ダメージは公開延期になったんだったけ)。


話を戻して。
この映画については、渡辺謙があまりにもチョイ役だったことに悲しさを感じた人も多かろう。
影の組織のリーダーだった…はずなのに、なんと実はリーダーじゃなかったじゃん!! ただスキンヘッドで意味不明の言葉を話しているだけの、操り人形であったとは。うーむ。。。

と、あれこれ書いてみたけど、わりとよくまとまったお話だと思うよ。そう、たしかニューズウィーク日本版の映画記事でも高評価であったな。

newsweek僕は週刊誌としては以前よりニューズウィークを定期購読していて、映画評についても同誌のものを読むことが多い。雑誌の映画評はどれも映画を誉めることしかしないことに気づいて久しいのだけど(なぜだろう?)、ニューズウィークの場合は箸にも棒にもかからない場合は本当に斬って捨てるから、そこがよいんだよね。で、やや性格としては天の邪鬼の僕の場合、けなされている映画はそれはそれで興味が沸いて観てみたくなっちゃうし。

そのようなニューズウィークの映画評でも珍しく、かなり誉めていたので観る気になったわけだが、納得はできる作品だと思う。

さて。


母からの手紙——。

この前、母から電子メールが届いた。

「被害に遭っていないかい?」
米国でのクレジットカードの顧客情報大量流出事件を心配しての内容だ。そう、ちょうど先月、僕は米国に出張したばかり。だから気になったんだろう。
これには一応、「心配ない」と答えておいた。今の時点でカード会社からの連絡はないし、明細にそれらしいものもない。
それに万一損害があったところで、今回の場合はちゃんとカード会社が補償してくれるからよいのだ。

最近は企業による情報流出事故の発表が多い。これは実際の件数が急に増えたというよりは個人情報保護法に関わるガイドラインで公表が義務づけられたことが大きいと思うのだけど——そういうニュースばかり耳にしていると被害者になるおそれをリアルにとらえるようになっているのではないかと思う。

でも僕は個人的には、被害者になる可能性よりも加害者になる可能性のほうが高いんじゃないかと思っている。加害者になることこそを心配し、対策をこころがけることが、むしろ必要なのではないんだろうか。

ルールは変わった。
個人情報保護法。この法律の施行で、ルールが変わったのだ。
個人情報保護事業者である企業で働く僕らもこころがけて、日々の“ふるまい”を変えなければならない。ああ、やれやれ。


個人情報保護法については、この前も書いたばかりなのだけど、これは企業の活動にけっこうインパクトのある法律であったな、と思う。
もちろん経済活動に影響を与えてきた法令というのはたくさんあるのだろうけど、企業の個々の構成員のふるまいを規定するタイプの法律というのは、あまりないように思う。

なぜなら、個人情報を扱うのは結局個々の社員であるし、それは業務の必要上ノートPCとかCD-ROMとか、紙のファイルとかいった形で、わりと身近なところに保管されていることが多い。
企業のビジネスの最前線、現場にあるわけだ。

これがシステム部門とか、一部のところに関わる話だったらその部門を中心に対策を施せばよいのだろう。
けれど、実際には個人情報を最も頻繁に取り扱い、それゆえ情報流出を起こしてしまう可能性が高いのは、営業部門である。
営業部門におけるPCや名簿の扱い方という、これまではいわば個々社員の裁量に任されることが多かった部分にメスを入れなければいけないわけだ。

つまり、管理しなければいけない対象は、現場における個々の社員の日常的な“ふるまい”そのもの。そこにひそむリスクを洗い出して、きっちりと行動を規定していかなければならない。
個々の社員の日常について、問題が生じないように“ふるまい”を変えさせなければいけないのである。


この時従うべきルールなのだけど、実は個人情報保護法そのものではない。個人情報保護法にもとづき、各省庁がそれぞれ所管する業界向けのガイドラインを策定している。
個人情報保護対策というのは、現状、この各業界の個人情報保護ガイドライン対策、ということになる。

具体的に言うと、いくつかの業界ではガイドラインとして、情報流出の事実があった場合は監督官庁に届け出て、事実を公表し、またその情報の本人に通知するものとしている。
ちなみにデータに暗号化など技術的な漏洩防止策が実装されていたとしても、公表しなければならない。実はこれが個人情報保護対策を従来のセキュリティ施策とは異色なものにする、最も特徴的な点だ。

従来のセキュリティ対策の常道には、人間の運用にリスクがある場合、技術的な対策を施してリスクを減らす、というものがあった。つまりこのような場合、人間が漏洩させてしまうのであれば、データに技術的な対策を施して容易には解読できないようにする。
しかし、そのような技術的な対策の有無に関わらず公表が義務づけられるので、結局技術的な対策は企業を守る砦にはならないわけだ。

また規模に関わらず公表することになり、事情を知らない一般の人にとっては、最近情報流出の報道がとみに多く危機感を募らせる結果になる。まあ、もちろん隠蔽して揉み消すことも問題だと思うわけだが。ただ、僕は情報流出の件数そのものは、対策を迫られている分実態としては減っているはずだと思う。
それが、増えたように見えてしまう。ひとえにガイドラインにより公表が義務づけられたからである。

技術的な対策を無効にし、流出そのものをリスクとさせてしまったことで情報保護施策のハードルを格段に上げたこと。公表を義務づけることで情報流出が頻発しているような印象を与えてしまうこと。
これらは個人情報保護法に関するガイドラインによってもたらされた、ユニークな事態だと僕はとらえている。


この個人情報保護法に関するガイドラインに従って公表するという事態は企業にとって失態である。日々の営業活動や、あるいは株価などに影響を与えかねない。企業はそれを避けたいとは考えるだろう。
しかし話を戻すと、情報を最も頻繁に扱い、よって流出を引き起こすリスクを最も抱えているのは、企業の業務の最前線、営業現場なのである。
現場に関わる社員の行動を全て規定し、管理下に置くことが非常に困難なことであることは、想像に固くないだろう。ここに悲喜劇が生じる。

いまも頻繁に、社員が情報を紛失してしまったという例が報道される。

よく見ると、電車の網棚にPCを置いておいて盗まれてしまったとか、自宅に持ち帰ったノートPCが、たまたま家に泥棒が入って盗まれてしまったとか、そういう例が多い。それはちょっとした不注意だったのかもしれない。
しかしもしそういう事故が起こってしまうと、上述のようにガイドラインにしたがって世間様にその事実を公表することになる。公表した手前、企業は個々の社員に何らかの処分を下すことになるだろう。それは見せしめといえば、見せしめにも見える。
いずれにせよ、ちょっとした不注意でそうなってしまう可能性があるのだ。運が悪いと言われれば、そうだと言える。

考えてみれば、本当は盗んだ泥棒がいちばん悪いはずなのに、盗まれた人が処分されるのだ。なんとも割のあわない話…。でも、それがこの4月からの新たなルールなのである。
つまりですね、漢の劉邦が定めた法三章より綿々と保たれてきた、何が悪いかという常識の一つが、ここでは覆ってしまったんですな。個人情報保護の観点では、盗まれるより盗ませたやつが悪いと。
注意一秒、怪我一生。不注意でひきおこした事態も本人の責任。

そう、ルールは変わった。
これは社内規則が変わったとか、ヘルプデスクが運用を改めたとか、そういうレベルのルールの変更ではない。国権の最高機関により新たに定められたところのものが、源泉になっているのだ。
ただら個々の社員がふるまいを変えずにいたとして、不幸にして問題が生じた場合は、その社員が処分されることは、当然しごくのことなのだ。


ここに不条理が生じる。

だって考えてみると、そうやって情報を持ち帰って仕事をすることって、多くの職場でこれまで普通に行なわれてきたこと。だから、2005年の4月1日、法律の施行をもって“ふるまい”を改めるって、なかなか難しいことなんだよ。

それに、わざわざノートPCを自宅に持ち帰るわけというものを考えてみよう。
仕事が忙しいからに決まっている。それは、業務がもともと過多だったり、納期に迫られたり、そんな事情で自宅作業せざるを得ずにPCを持って帰宅する。こういうケースが大半だと思う。
仕事を期日通りに仕上げることを考えるなら、持ち出しちゃうよね。
これ、いわば、従来の定規では仕事熱心とされてきた人たちの“ふるまい”。でも、今ではそういう人ほど危ない! とされてしまうのだ。

ただ、そうした“ふるまい”が新しいルールのもとではリスクをはらむものとしてちゃんと周知されていて、また業務を改める努力がされている場合ならまだよいよね。
まあ、前述の通り個人情報保護のガイドラインのハードルは高いので、現場の業務はかなりの混乱に陥ると思う。ただ社員は、“ふるまい”の変更の強制を、最終的には会社の決めたことだから、と割り切ってしまうことはできる(…でもストレスはたまるんだろうなあ)。まあ、人間である以上不注意のリスクは残るんだけどね。

悲惨なのは、社員が、このルールが変わったことを知らないとか、知っていても問題があった場合に自分にリスクが及ぶというその重大性を認識していないとか。
あるいは最悪な例は、わかってはいても職場の仕事の進め方が全然改められていない場合。そういうケースってまだまだ残っていそうな気がする。

この前も一緒に飲んだある会社の営業の人は、その場に持って来た鞄にノートPCが入っていると言っていた。その企業のグループのなかでは、情報流出で処分された人もいるそうだ。でもその彼の職場では、日々の仕事として社外でも仕事をすることを求められているのでノートPCは手放せないそうだ。

最悪である。

それでいてもしPCを盗まれたら、情報流出事故として彼が処分されるに決まっているのだ。

いちばん悪いのはは盗んだやつのはずなのに、そして運悪く本人のたまたま気が緩んだだけなのに、その不注意が咎められる。そしてなかには企業として対策を何もしていないところもあるのに、責を本人に負わせてしまう。
これが、個人情報保護対策の不条理な点だ。

これまでのやり方で仕事をしてきたのに、なんでこんなストレスを抱えてしまわなきゃいけないんだ! 仕事をするなというのか!
思わずそう叫びたくなる。

実際、僕の勤め先では、“最大のセキュリティ対策は仕事をしないことだ”と言った人がいた。
そう、不思議なことに個人情報保護対策の下では、仕事をする人ほどリスクを抱えてしまうのだ。

ふぅ…。
まずは肩の力を抜くことだ。
だって、ルールは変わったんである。そしてそのルールを変えたのは、わが国が採用する民主主義の制度によってである。

結局“ふるまい”を改められずにいて、不幸にして事故を起こしてしまったとしたら、結局処分されるのは個々の社員になる。誰も守っちゃくれないよ〜。
“ふるまい”を改めても、ふとした不注意でもしかしてそういう目に遭うかもしれない。もうこうなると、交通事故に遭うようなものだ。そう思っておくしかない。

そういう時代なのだ。


現場の実態を見れば、個人情報保護法および各省庁のガイドラインへの対策の実践は、容易には進まない気がする。

その過程で、今後も情報を紛失してしまったという企業の発表は後をたたないだろう。そしてそれにより処分される社員についても。
お気の毒なことではあるが。

労働者のみなさん。

これからは、いかに仕事がやりがいあるものでも、また納期に迫られていようと、あるいはふだんから業務が過多な職場でこなせなければ評価されないとしても、そのために家に情報を持ち帰ってまで仕事をすることは避けたほうがよさそう。

仕事は、会社でするものなのである。いや、当たり前のことなんだけど。
妙なリスクを個人で背負ってまで、家で処理するもんじゃあない。

それでも、不幸にして、職業として個人情報を持ち出さざるを得ない人びと。たとえば—。

顧客名簿を持って外回りをする営業マン。

残業が認められないので、家で生徒のテストの採点をしている学校の先生。

取材先の情報を満載した手帳をもって、東奔西走する新聞記者。

その他世にありふれた、職業をもつ普通の人たち。
くれぐれも自戒のほどを。ふだんどおり仕事をしていたつもりなのに、気づけば情報紛失の加害者として矢面に立たされていることのないことを祈っています。

運悪くそうなった暁にゃ、たぶん誰も守っちゃくれないのよ。
しみじみ…。


というわけで、母からのメールへの返信には、「カード事件は万一対象となっても、補償されるのであまり心配していません。それよりも、情報流出の加害者になることのほうが心配です」としたためた。

返事が来て、「ゆういちのパソコンには情報がたくさん入っていそうだから、大変だね」とあった。

そう、僕のPCにはたくさんの情報が入っている。

個人情報は極力保存しないようにしているけど、それでもどうしても残ってしまうものがある。
たとえば、そう、この今も使っている電子メール。
メールには発信元として、あるいは署名として、氏名、所属、メールアドレスが記載され、しかも検索可能。そして6ヵ月以上保存する。
HDDに保存されているメールボックスは、個人情報保護法で規定する、個人情報データベースそのものである。

意識しているかどうかわからないけど、あなたも私も、個人情報のかたまりを扱っているのだ。
リスクを抱えているのだ。

くわばらくわばら。


日暮れて道遠し…。

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June 19, 2005

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

いい歳こいて、買ってしもたよ…。

jigoro

増田ジゴロウのキーホルダー。

これ、このむびろぐでもなんどか取り上げているけど、テレビ神奈川の人気番組、saku sakuのキャラクターなんだよね。このキャラクターグッズが、たとえば神奈川県内の東急ハンズになぞ行くと、売っておるわけですな。


そんな人形と戯れんとする、平和な日曜日の午後——といっても、梅雨なんで雨が降らなくとも湿っぽくて鬱陶(うっとう)しい時期ゆえ、のどかとは言い難いんだけど。
部屋でまたまた、HDDレコーダーに録り貯めていた映画を鑑賞する。例によって、WOWOWでのオンエアを録画しておいたもの。

今日観たのは、キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン
なんでも、実在した詐欺師のお話だそうで、レオナルド・ディカプリオが16歳の天才的な詐欺師を、トム・ハンクスがFBIの捜査官を演じている。

公開時にも気にはなっていて、観に行こうかな〜と思っていつつ見逃してしまった作品。
いやあ、ディカプリオ演じるフランクが繰り広げる詐欺の実に見事で華やかで爽快(?)なこと! 時間としては2時間半もあってちょっと長いかな、とも思ったけど、面白い物語でした。舞台となるのは60年代のアメリカで、その雰囲気を楽しめるのもよいかも。

しかし、10代でこれほどの経験をしてしまうのって、どうなのかなあ。その後の人生がけっこうつまらなくなるんじゃないかと、人ごとながら心配にもなってしまうね。
たとえば大学でサークルとかバイトとかが充実していて、刺激的な経験や人との出会いに恵まれていたのに、就職してサラリーマンになったとたんにペースが狂ってしまうことがあるじゃないですか。
…若い時の刺激が大きければ大きいほど、その後のギャップに悩むことになるんじゃないかとなあという気がする。

でも、若くなくなってもずっと刺激的な生き方を選びとれればいいのだろうけど。そういう生き方をしている人も、たしかに少なからずいる。うん。
フランクの場合はどちら…? ま、これについてはこの映画のエンドで、その後のエピソードが少々語られるんだけどね。


さて、華やかさから一転、渋い話でも書いておこう。
鎌倉に住んでいたことについて。

この週末は、金曜日の夜に会社の後輩たちが、そして土曜日の昼にはスキー仲間の友人たちが、それぞれ僕の住まう横浜市内にまで遊びに来て飲んだくれるという、珍しく千客万来なウィークエンドであった。
友遠方より来る、また楽しからずや…。(東京都内から横浜市まで来ると本当に遠いらしい。おつかれサマでした m(__)m )。

僕はこの4月に引っ越した。東京で働くようになってからの住まいとしては、3件目の部屋になる。

2件目だった前の部屋から今回の部屋へは、横浜市内のJR京浜東北線の同じ駅の範囲で、新築の物件に住み替えをした。東京で働いたこの10年間でいちばん長く住んだのは、1件目の部屋である。
それは実は、鎌倉だった。配属にあたって割り振られた会社の独身寮が、鎌倉市内にあったんだよね。

僕が就職して東京配属を希望したのは、日本の中心の大都会で、仕事も生活も、刺激に満ちた時間が送れるに違いないと考えたから。
まあ、東京なんだから、やっぱり東京ラブストーリーみたいなことだって起こるかもしれないと、期待するわけですよ。

でも、実際に住むことになったのは、東京都から遠く離れた土地、神奈川県鎌倉市
僕の大都会への期待は皮肉にも配属と同時に、割り当てられた寮の通知で見事に打ち砕かれたってわけデス。


そんなわけで、僕は1995年から2002年まで、緑に囲まれた閑静な住宅地のなかの寮に暮らした。

その時は、品川勤務だったんだけど、寮から会社まで、京浜急行バスとJR東海道線で片道1時間半もかかった。往復は3時間! 1日24時間のうちの実に8分の1が通勤に費やされたわけだ(しかも、それが7年間!!)。
ホント遠かったヨ…。しかも、平日朝の東海道線は信じられないほどの満員状態だし。休日は休日で、9時過ぎるとバスがなくなったりするし。
この寮に住んだ7年間は、日常的にあちこち出かける上では、かなり制約が多かったと思う。かなり損をしたという気持ちを抱いていた。

そしてその反動で、寮を出る時が来たら、駅に近いところに住もう、と固く決意をしたんだよね。
いまは駅まで5分、会社までは1時間以内というところに住んでいる。引っ越した当初は、ああ、なんて人生が楽なんだと思った。本当に、しみじみそう感じたのです。
引っ越してから体重が増加してしまったのだけど、これは炊事をして毎朝御飯を食べるようになったことに加え、なにより通勤時間が短くなったことが大きいと、僕は信じている。


鎌倉に住んでいた時は、交通も不便で通勤も遠いし実に損をしている気になったのだけど、ただ、よかったこともないわけじゃあない。

そう、ものごとには必ずいい面と悪い面があるのだ。あのポリアンナのように(…ってこのアニメ知っている人はもはや希少?)、“よかった探し”をするべきなんだよね。
で、鎌倉に住んでよかったことといえば、やっぱり、そもそも鎌倉に住むなんて経験自体、そうそうできないということに尽きるだろう。

けっして希望したものではなく偶然の結果とはいえ、首都圏近郊の観光地であり、緑と海に囲まれ、歴史遺産も豊富な土地に住んだという経験はかけがえのないことである。
おかげで、鎌倉のや、あるいは湘南の映像がテレビ番組や映画に出てくると、有名スポットであればそれがどこなのかわかるようになったし。住んでいた寮の場所は観光地からはちょっと外れたんだけど、それでもたとえば北鎌倉とか、小町通とか由比ケ浜とか、ぶらりと出かけるような機会は少なくなかった。

いまはあじさいがきっと旬なんだろうし。ああ、あじさい寺も何度か行っているよなあ。

yuigahama

これからの季節だと、とくに花火なんか楽しみだよね。

鎌倉の花火大会
一時は友人たちを誘って大勢で観に行ったこともあったけど、寮を出る最後の1、2年は一人で眺めていたかな。
花火の日、夕方からとぼとぼと由比ケ浜まで歩いて、観に行っていた。(…僕の寮からだと、大仏とか長谷観音とかの前を通って、江の電の線路を横切って、足かけ30分くらいで海岸に到着する)。

道を歩いていると途中、家族連れが増えてきて、う〜ん、地元の花火大会だよねえ、って気分になってくる。

適当な空きスペースを見つけて腰を下ろし、一人で缶ビールを空ける。これには正直、周りが若いカップルなどでにぎわっているなかなので、多少の寂しさも感じる。
でもそうやってぶらりと行って、海に上がる花火を眺めるって、風情があっていいもんだ。

それが鎌倉のの思い出である。


鎌倉の夏の風景のなかで、そんな時間を過ごすって経験、おそらくはこの先もないと思うし……そう考えると、通勤が遠いのは本当に嫌でたまらなかったんだろうけど、やっぱり貴重な7年間を過ごしたと言えるんだろうな。

偶然、最初の住まいが鎌倉のだったせいで、その後も神奈川県からはあまり離れたくないとの思いはあった。そこで、新しい住まいには、近場の都会である横浜を選んだ次第だ。

横浜での一人暮らしは気に入っている。

僕は毎朝FMヨコハマを聞いているし、テレビ神奈川も比較的よく見る。
そしてsaku sakuにも出会い、増田ジゴロウに共感を抱く身にもなってしまったわけだ。

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June 12, 2005

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊

ちょっと前の話——。

ある催しのチケットがあったので、久々に初めての人を誘ってみることにトライした。でも、がっくーん。見事ことわられてしまった。
メールの返信に、優しい言葉が添えてあった。

「私よりも、きっと他にいい人がいますよ」

この一文を目にした瞬間、思った。
ああ、この言葉だよ…。このところ遠ざかっていたけど、また出くわしたなあ。

むかしはこんな言葉を添えられて、よくことわられていたっけ。
ある時、意を決してメールを書いたり、電話をかけて、デートに誘ってみる。その結果毎度のように言われて、僕をひどくがっかりさせてくれる言葉。その一つが、「他にいい人が…」だった。

そもそも、あなたと行きたくて誘っているわけだし。

それに僕の経験の限りでいうと、その言葉の通りに他の人を新たに誘えることなんて滅多にない。
いい人が次から次に見つかればそりゃいいんだけど、言葉の通りにならないことがさらに僕を落ち込ませる。ま、そんなことで落ち込むのもなんだけど、そんなものなんだよね。

「他にいい人がいますよ」。
だから一見、優しい表現を体裁としてとっているけれど、これは僕にとっては忌み嫌うべき返事ではあった。

かつてのことだ。

それはかつてのこと。
以前だったら気落ちしたはずなのに、こんどのことについて言うと、実はさほどでもなかった。
正直、さほどがっくりこなかったことに、自分自身も驚いた。
なぜだろう。同じようなことをもう何10回も繰り返して心にもう免疫ができてしまったのか、それともその相手に対して真剣度が足りなかったのか、よくわからないけど…。

たぶん両方だろうな。
年の功もあるし、かつてのように特定の相手に過度に真剣になってはいないというのもあるんだろうな。
なにより、だいたい三十路になってこんなことでウジウジ悩むなんて、自分でも情けない。体面ってものもあるし。

いわば、乾いているのだ。僕の心が干上がってしまっている。そんな感じなんだ。
本当は、もう少し心揺れて、落ち込んだりするほうが人間的なんじゃないか、という気はするけどね。わしはこんなんでいいのか?

いいのだ、たぶん。
僕が三十余年かけて積み上げたものは、それがポジティブなものであれネガティブなものであれ、僕は自分で否定することはできない。

これが自分なのだ。そう思うしかない。


ただ最近、こういうシチュエーションになると、頭の中をリフレインする歌詞があるんだよね。
こんな一節…。

♪なるべく 傷つけぬように 傷つかぬように
 切なさも ほらね 押し殺せる
 愛だと名付ければ それが愛だと言える

GARNET CROWというアーティストの、忘れ咲きって曲の詞だ。

ちょっとしんみりしてしまう歌。(♪こんな歌だ)。

garnetcrow僕は音楽といったらJ-POPしか聞かない人間で、しかも流行曲ならなんでもいい、という極めてポリシーのないリスナーを長年続けている。
そんななかでも、時々お気に入りのアーティストというものに出会うこともあるわけで、昨年の後半からはその一つにGARNET CROWが位置づけられている。

聞いたことのない人に音楽の印象を説明するのは、とても難しいことなのだけど、あえて挑んでみる。
明るく前向きな歌詞とか、アップテンポなメロディーとか、最近の僕には正直ついていくのがしんどくなりつつある。たまたま聞いたGARNET CROWの曲は、何かこう、陰影を感じさせるような響きに満ちていて、それでひかれてしまったのだ。

そして、昨年の木枯らし吹く季節に聞いたこの忘れ咲きは、当時の僕の心境に非常にフィットしていて、FMラジオで初めて耳にした時から虜になってしまった。
だって、「傷つけぬように傷つかぬように、切なさも押し殺せる。それが愛だと言える」…だもん。シラフで聞いても心にきゅうと来るよねえ。

この歌は、他に

愛だとか恋だなんて 変わりゆくものじゃなく
 ただ君を好き そんなふうにずっとね 思ってるような

とか

♪孤独や躊躇(とまど)い 弱気が押し寄せる夜に 忘れ咲いた
 思い出そっと 枯れゆくまで 今宵まだ 身をまかせて

など、僕にとっては、心をきゅううとさせる表現に満ちている。
過去の風景をしみじみ思い起こさせる出だし。やや暗めの曲調。そういったものがうまくブレンドされていて、耳にしたその時から深く僕のなかに刻み込まれたのであります。
(なぜか中国語のブログに、歌詞が掲載されています)。

心がきゅうう。

うぷ(…僕は、情緒的な文章を書こうとするとヘンになる。慣れていないんだな)。


さて、HDDレコーダーに録り貯めていた映画のなかから、GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊(こうかくきどうたい)を見る。言わずもがなの押井守監督作品。

録画された日付を見ると、NHK BSで放映されていたのが2004年12月24日。ふーん、クリスマスイブか… (・ε・)

原作は士郎正宗による、とってもとってもマニアックな漫画(…正直、コマを追うのがとても疲れる、かなり読みにくい本だ)。
映画を見ると、驚くほどマトリックスを彷彿とされるんだけど、こっちの漫画のほうが先だから、どっちが真似たといえば答えはマトリックスってことになるのかな。

昨年公開されたイノセンスの、ストーリーとしては直接の前作にあたる。
いまのネット社会のはるか延長線上のお話で、人間がサイボーグとなることが日常の着衣のごとく当たり前になっちゃった未来。コンピュータやアンドロイドばかりか、生きた脳みそまでもがハッキングされ暴走しうる世界を描いている。
考えてみればこれ、原作はインターネットが普及する以前に描かれたわけだ。ここまで描き切っているのはまさに先見の明だねえ。オタク漫画たるゆえんだ。

ghostinshell-1しかし、脳みそにハッキング!! うーん、怖いですねえ。
でもだからといってこの映画は、未来社会の恐怖を描くようなありきたりなもんじゃない。
こういう舞台設定を自明のこととして、そんな未来に活躍する“少佐”こと草薙素子の姿を描く(これがまたサイボーグ女なのだ)。この主人公が属するのは公安だから、端的に言えばサイバー社会の警察漫画だね。

いったん携帯電話をもったら、サルだとか壊れているとか言われても手放せないのと同じように、この作中の世界では擬態化(サイボーグ化)は、切り捨てることのできない行為。もはや常習なのだ。

このお話の脇役に、脳みそをハッキングされて、ニセの記憶を埋め込まれてしまった清掃作業員が登場する。彼は実に気の毒だ。まるでいつぞやのフランソワ君並みにかわいそうなキャラだと、僕は思った。

ghostinshell-2離婚でもめている女房とかわいい娘がいると自慢げに話していたのに、それは全て疑似体験だった。何者かに利用されてニセの記憶を埋め込まれていたのだ。
奥さんも子供も、自分の頭のなかにだけ存在する家族だった、夢みたいなもんだと、刑事に宣告された時の男のふぬけた表情。
まさに茫然自失…。

「その夢、どうやったら消せるんです」
「残念ながら現在の技術では……お気の毒です」

ああ、こんな残酷な会話、久しぶりに見たねえ。
心にきゅううと迫ってくる。
(脳みそにファイアウォールをインストールしておかないとね)。

♪なるべく 傷つけぬように 傷つかぬように
 切なさも ほらね 押し殺せる

この未来社会で、切なさだけを抱え、それを押し殺すこともできずに、この作業員の男は生きていくんだね。

♪愛だと名付ければ それが愛だと言える

でも、そんな仮想現実も、名付けてしまえば愛だと言える。のかもしれな。い。。、. .  .     .


……。

…………。

書いていて気づいた……。
これはまさに電波男が唱える世界なのだ。

“企業のネットが星を被い電子や光が駆け巡っても、国家や民族が消えてなくならないほど情報化されていない近未来”を待たずとも、この2005年に仮想現実に生きることを主張した先駆的な書がある。
それが、電波男

dempaotoko

この筆者には、脳内妻や脳内妹がいるという。
電波男においてそれは強制されたものではなく、筆者自体が積極的に選び取った生き方なのだ。
そう、いまトレンドは脳内恋愛…。

脳内に生きよう。

きゅうう。

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June 09, 2005

フォーガットン

暇つぶしに携帯で、narinari.comのコラムを呼んでいたら、この映画が取り上げられていた。

タイトルに、「シックス・センス」以来の衝撃? 「フォーガットン」とは とある。なにぃっ、そんなに衝撃的な作品というのか。
お気に入り映画の筆頭にシックス・センスを位置づけている僕としては、見に行かねば、という思いに駆られる。ということで、いそいそと映画館に向かった次第。

それが、フォーガットン

で、シックス・センス以来の衝撃とか言われたわけだけど、観賞後の感想を言うとむしろこのノリはサインに近い気がする。サイン以来の“笑劇”ではないのかい。

後になってネットを探って知ったのだけど、なんでもこの映画は既に予告編がネタバレだったらしい。ほぅ、そうだったのか。
しかし、たまたま4月、5月と映画館に足を運ぶこともなかったせいか、僕にはその予告編を観る機会はなかった。そしてこの映画の予備知識をnarinari.comコラム以外からは全く得ないで観ることになった。

だから、母親のもとから事故で亡くなった息子の写真が消え、周りの人もそんな息子などいなかったと言い出すこの映画の展開が、ミステリーなのか、スリラーなのか、はたまたSFなのか全くよくわからず観ていた。
それが、精神病のせいだといえばそうなのかあと思い、はたまたエイリアンのせいだとなれば、ほう、そうかいと受け入れ、人が吹き飛ばされれば、ふーんと思い、そのまま観ていたら…なんと終わってしまった。

なんだこれは。
いったいこのストーリーのどこに衝撃の事実があったと言うんだ。衝撃の事実なんてなくて、たくさんの伏線を残したまま終わっちゃったじゃないか。
ええっ!?

もしかして僕の頭が悪くて、誰もがわかる解釈に気づかずに観ていたのかな、と思って帰宅して、いそいそとインターネットを検索して、この映画の評判を探った。
でも、どうも僕は何かを見逃したりしてはいないようだ。どうやらこれは、僕が観たままの映画だったらしい。

そうなんか。やっぱり観たままなんだ。
とすると、この映画の感想を、僕はどうまとめればいいのだろう? どうにもまとめる言葉を思いつかない……。

母子の間の絆を実験していたエイリアンは中間管理職みたいなもので、プロジェクトに失敗して急遽左遷させられたってことか。


母と子かあ。

そういえば僕の母は、公立の小学校の教員だった。

そればかりか、父も教員だった。父は中学校の教員。
かつて学校が荒れていた時期があって、そのあおりなのか、僕の思春期はさんざん父に殴られた。痛かったな…。

ま、母は随分前に退職し、父もいまは定年退職を迎えてしまったけどね。

教師の子供は大変だ。
いや、大変なのではないかなあと思う。

ということでここからは、先生の子供として生まれつくことについて、書いてみよう(それはなかなかにユニークな体験だ)。あと、その関係で、いまの勤め先において新たに発見した事実も。


まず教員というのは、地方においては唯一の知的職業なんだよね。

これが都会だったらたぶん公立校の教員以外にも、私立の教員もいるし、大学教授とか、司法関係の職業とか、マスメディアとか作家とか、知的なことをなりわいとする職業はいくらでもあると思うんだけど、地方にはそんな人たちいない。
(そもそも大企業のサラリーマンの家庭とかも、圧倒的に少ないわけだし)。

地方における唯一の知的産業従事者。
そう、言ってみれば「先生」と言われる仕事が、本当に「先生」しかないのだ。それゆえ教員は、学校内においてや、あるいはかつての教え子からばかりでなく、地域の人にも(私生活の場面においても)先生って呼ばれる。退職しても呼ばれているよ!

そして僕も、“先生の子供”と呼ばれてきた。

地域における唯一の知的労働者の家庭に育った子供として、やっぱり周囲からは、それなりに頭がよく、まじめちゃんであることを求められている。
同級生の親とか、近所のおばさんが、「やっぱり○○ちゃんは先生の子供だもんね」みたいなことを折に触れて口にするのを聞きつつ、教師の子供は育つわけだ。

もちろん親が大卒の学歴を持ち(親の世代で、農村地帯だとそれほど多くない)、家には様々な教材やあったりこ難しい本が本棚に並んでいたりするわけで、教育としては恵まれた環境にあるとは思う。僕は科目としては社会が得意だったのだけど、これは多分に社会科教師だった父の本棚に影響は受けているだろう。
なにせ、中学の頃から六法全書読んだりしていたからね。

でも、勉強ができることを当たり前のように言われていると、いくらなんでもプレッシャーを感じてしまう子供もいるんじゃないかなあという気がする。

もっとも僕についていうと、実はそれを重荷に感じたことは、全くなかった。…善きにつけ悪しきにつけむかしから僕はマイペース。人にとっては普通の感受性が、欠けているのであるネ。
小学校くらいは成績もよかったような気もするんだけど、中学くらいの頃からマイペースに勉強しないでいたら、なんと成績がどんどん下がった(当然だけど)。勉強しないので父に怒られてビンタくらわされたりしていたけど、好きでもないことには手がつかないんだからしかたがない。高校受験の頃の評定は、オール3よりちょっと上くらいだった。

そこで、僕は素直に自分の成績に見合う地元の高校に進学した。
そしたら、近所の文房具屋のおばさんに「ゆうくん、(受験の)レベル落としたんだねえ」と言われた。でも、やっぱりさして気にならなかった。
その後、大学受験も相変わらずマイペースに勉強しなかったんだけど、たまたま運良く合格。さらに就職活動もギリギリのところで運良く1社だけから内定いただけて入社、今に至っている。いやあ、時々危うかったんだけど、運だけはあって本当によかった。

でも、これは僕の人生であって、他の多くの先生の子供が同じようにこなしてきたとは思わない。
勉強ができることを当たり前のように期待される先生の子供たち。たぶん周囲の期待に応えて自ずと努力してしまう子たちは多いだろうし、そこにはそれなりのプレッシャーはあるだろう。
そして、時にはそれをうまくこなせずに悩む子だって、ある一定の割合はいるんじゃないかなあと思う。

もし、あなたが先生の子供だったなら聞いてみたい。あなたの子供の頃は、どうでした?


まあ、答えはさまざまかもしれないけど、家庭環境としてやや特殊であったことは間違いないわけだ。
そんなわけで、たまたま知人や同僚と話をしていて、親の職業が先生だったと聞くとちょっとした親近の情、連帯感のようなものがわいてくる。

それで気づいたんだけど、いまの僕の勤め先の会社は先生の子供が多いね。
本当に多い。

僕は、小学校の6年間を通じて同じ学年に親が先生という人はいなかったし、中学になっても、先生の子供はもう1人登場しただけだった。二百数十名くらいいる同じ学年に、そのくらいの比率でしか先生の子供は存在しなかったわけだ。

ところがいまの会社に入ってみると、よく先生の子供に出会う。同じ課のなかだったり、飲み会に行くメンバーだったり、仕事で一緒のプロジェクトになった人だったり、なんだかんだで先生の子供だったという人に出会ったりする。
数えてみると、何10人かに1人か2人以上の割合にはなるんじゃないかなあと思う。

これは興味深い。
これが僕の勤め先の会社だけで見られる割合なのか、あるいは同等クラスの企業であれば、ほぼこのくらいの割合になるのか、誰も統計とっていないからわからないけど…。
しかし先生の子供は大学へ進学し、卒業することを期待されるから、その結果としてあるクラス以上の企業に就職する機会を得られることになっているんだろうと思う。

一般に先生の子供が選ぶ仕事としていちばん多いのは、教員だと思う。
もともと先生というのは、子供が真っ先に触れる職業のわけで(一方、サラリーマンに触れる機会なんて、大学に入って就職活動でOB訪問とかするまでないがね)、もともとイメージがしやすい。なおかつそれが親の仕事でもあったら、無意識のうちに選びとってしまうでしょうな。
少なくとも、教職課程をとる選択はするでしょうな。なんとなく僕も、大学3年の終わりまではとっていた。

先生の子供なのに教員になろうとしなかった、ある意味変わり者たちが民間企業をめざすことになる。
そう考えた時、僕の勤め先は、公益事業をてがけるホワイトカラーの会社。やっぱり公務員の家庭に育っているわけだから、純粋に営利を追求する他の民間企業と比較して、自ずといまの会社を選択しがちな気はする。
それが、先生の子供が多いと感じる理由なのだろうか。

まあ、といって具体的に調査したわけではないから、実際のところはよくわからないけど…。だから裏のとれていない分析なんだけど、いずれにしろこの符合はなかなかに面白いと、僕は何年か前から思い続けてはいる。

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June 05, 2005

機動戦士Zガンダム A New Translation 星を継ぐ者

ウィルコムの新しいCMが、インターネットで話題になっているという。
なんでも、見ればしんみりしてしまう内容だというのだ。

ということを聞いて、さっそく部屋のPowerBookからウィルコムのサイトにとんでみた。

 WILLCOM: 広告ギャラリー: CMオンエアー
 http://www.willcom-inc.com/corporate/gallery/cm/

willcom_cm01話題になっているのは、このなかの「通話無料 父娘篇」。
ウィルコムが5月から開始したPHSの音声定額サービスをアピールする内容なんだろうけど…。
とりあえず、60秒バージョンをクリック。Mac OSのなかでWindows Media Playerが立ち上がり、映像がスタートする。

うっ。

willcom_cm02なんだこれは…。本当にしんみりしちゃうじゃんか……。
涙腺ゆるんでしまうよ。。

「元気か」
「元気だよ」
セリフとしては、ただそれだけの繰り返しなんだけどね。

僕も地方の親元を離れて、気づけばもうかなり長いこと東京で働いている。この前帰省した時には、定年退職を迎えた父の苦労をことほぎ、酒を飲んだばかり…。
なので、こういう感情を突かれると滅法弱いんだよね。

親娘の間での、同じセリフの繰り返し。
とはいえ、コミュニケーションの本質は、bitという単位に還元される無機的な情報のやりとりじゃあない。お互いの関係性を再確認するという行為である。
何万年も前から人びとは、お互いの紐帯を維持するために、ごくごくありきたりの言葉を繰り返してきた。

うまいところを突いたCMだと思う。
いいじゃん、ウィルコム

このCMで宣伝している音声定額サービスは、PHS復活の切り札だという。

実際、かなり好評のようで、ウィルコムの契約者数も2ヵ月連続で6万を超える純増を記録しているらしい。(朝日新聞の記事)。
久しく誰の目にも苦境が明らかな状態にあり、競合事業者のアステルは早々に看板を下ろしNTTドコモも撤退を公言したなか、1事業者の工夫によって復活の兆しが見えてくるというのは、面白いといえば面白い。

ところで、あのでかいお父さんストラップは、実際に作ってノベルティにしたりしないのかなあ。


さて、アニメーションの世界で2005年に復活したもの。

Z(ゼータ)ガンダム

あらかじめ言っておくと。
僕のアニメやマンガへの理解は、一般教養の一つとして話題にのぼっているものには触れておくという範囲にとどまっている。二次元世界に過度にのめりこんだり、豊穣な知識を蓄積しひけらかすという、オタクの領域に遠く及ばない。
ガンダム世界への理解も、その範囲に留まっている。

ということをことわった上で、述べるんですが;

それら一連のガンダム作品のなかで、機動戦士Zガンダムはいささか思い入れのある作品ではある。というのは、僕にとってはリアルタイムで本放送を見た、唯一のガンダム作品だからだ。

僕はZガンダムのほかには、これまでにたしか機動戦士ガンダム(ファーストガンダム)、逆襲のシャアF91を見ていると思う(意外に少ないな)。ファーストガンダムは何度も再放送をしていたのだけど、残りの2作品はここ1,2年にレンタルして鑑賞したものだ。

これに対し、Zガンダムは本放送が僕の中学1年の時だった。1985年の毎週土曜日の夕方、僕らの地域では11チャンネルの名古屋テレビで放送されていた。

土曜日、授業は半日で終わり部活動が終わって帰宅して、晩御飯を食べるまでの間の時間だ。中学生の僕は、家のテレビのチャンネルを回し、このZガンダムを見ていた。

だから、Zガンダムの主題歌を聞くと、実は中学に進学した時のちょっとドキドキした気持ちとか、真新しい校舎とか(新設校でまだ3年目だった)、学校を取り囲んでいた緑とか(山の中だった…)がフラッシュバックしてしまう。

もっとも、アニメとしては当時の僕にとってはあまり面白い作品ではなくて、最初はガンダムの続編という話題性で見ていたのだがじきに飽きて、途中から見なくなってしまった。
アムロとシャアが再会するあたりが、最後に覚えているシーンかな。
(そうそう、大人になったホワイトベースの乗組員が一通り出てきていて、登場するたびにおおっ! となるアニメではあったな)。

まあ当時の僕にとっては視聴を続けさせる魅力に欠けたZガンダムではあったが、それでも話の途中までは見たわけで、だから続きがどうなるのかは長らく気になっていた。
なんでも主人公のカミーユが最後に精神崩壊してしまうという異色のラストであることは、最近になってガンダム本を立ち読みして知った。

そういう少々気になっているアニメではあったので、機動戦士Zガンダム A New Translation 星を継ぐ者が製作されると聞いて、見に行くことになるんだろうなと思ったわけだ。


実際に見終えたところで感想を記すと…。うーん。

ま、お話はおそらく当時のストーリーのままなんだろうな。そこに手を加えて、あれこれ圧縮したり多少付け加えたりしているのだろうけど。

映像としてはいくつか作り替えていて、真新しい絵がかなりあるんだよね。一方で大半のシーンはむかしの絵をそのまま使っていて、その格差が激しい、と思った。
だから映画を見ていても、あ、これはむかしの絵だ。あ、こんどは新しい絵に変わった、と。ついつい気にしてしまって、落ち着いて見ることができない。それが正直なところだったかなあ。

全部新しい絵で作り替えてくれればいいのにね。まあ、でも製作費の問題もあるわけだろうけど。

それから、絵の話であえて一つ言うと。エマ中尉については、もとの絵のほうが好きだったかな。

いやあ、エマ・シーン中尉のキャラってなんとも優等生っぽくて、僕にとっては気になる女性像なのです。
会社にたとえれば、新しく入った職場に、仕事ができてちょっとキツい先輩女性がいるってシチュエーションでしょうか。うーーん、そそられるものがありますよなあ。ノースリーブの軍服姿ってのも、たまらなくgood! 

ああ、エマ中尉にビンタされたい… (;´Д`)
(あ、このシーン映画じゃカットされていたけどね)。

かくのごとく、二次元キャラながらエマ中尉に僕は憧れ、それだけイメージが強く記憶に食い込んでいたのでしょう。
ところが、リニューアルされた本作の描き直されたキャラは、全体的に、かつての絵に比べややかわいい感じになっているんだよね。カミーユも、アムロもシャアも。そしてエマ中尉もだ。

うーむ。。
この絵ではかつて漂っていたあの、凛としてちょっと厳しい職場の先輩って雰囲気が失われてしまっているよ。…ま好みの問題と言われればそれまでなんだけど、僕はむかしのエマ中尉の絵がよかったなあ。

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June 04, 2005

saku saku ver.1.0

会社のセキュリティ対策で、携帯電話の電話帳が使用禁止になってしまったヨ!
理由は、個人情報保護法対策ってわけ。セキュリティ原理主義、ここに極まれり…。

はぁぁぁ。

というのが今回の僕の近況なんだけど。
そこに触れる前にこのほど買ったDVD、saku saku ver.1.0のことを記しておこう。


IMG_1150そう、買ってしまったのですよ、saku sakuのDVD。saku saku ver.1.0
saku sakuって何? と言っているアナタ! いま大ブレイクしているこの音楽バラエティー番組をよもやまだご存じない?

以前にも書いたのだけど、、
謎のサイコロ人形キャラ、増田ジゴロウの放つ辛口トークと、いまをときめく20歳のモデル、木村カエラちゃん(ボーダフォンのCMで、“カエラはメールし放題〜”とのたまってたあの女の子だ…忘れないで感じることを〜♪)のぶっとび発言。爆笑だ。
この絶妙なテンポの虜になり、朝からテンションの高い時間を過ごしている。

IMG_1157といっても実はこのsakuSaku神奈川県の県域ローカル局、テレビ神奈川で放送されているものだからね。関東でも視聴できない人がたくさんいるのが現実で、会社でこの番組の魅力をいかに熱弁しても必ずしも理解されないことが多いのは残念なところだ。

IMG_1155ただ一方で、視聴可能エリアに住んでいる人々のなかでサクサカーは着実に増えているのであるよ。
ぜひ、いちど騙されたと思って、朝の放送を見るか、そうでなければこのDVDを見てほしい。

あなたもきっと、ハマるはず!

IMG_1159とくにテレビ神奈川については、僕にとってもう一つのお気に入り番組として外せなかった「みんなが出るテレビ」—神奈川の女子大生が県内の口コミ情報をレポートするという番組なのだけど、これがこの4月になってからのセカンドステージでパワーダウンしてしまった分、saku sakuにかける期待は増している。

ただ、いかにマイブームな番組とはいえ、わざわざDVD買うのはちょっと散財のリスク高いかなあと、軽い葛藤もあったんだけど。見終えたいま、買ってみて正解だったと思うな。全く後悔のない1枚であったよ。
ver.2.0が、待ち遠しい。出るんだよね? …いや、これだけのヒットなんだから、必ず出るでしょう!


さてー。

携帯電話の話に戻りますか。

会社で、携帯電話の電話帳が使用禁止になってしまった。
理由は、冒頭で述べた通り個人情報保護法対策ってわけだ。そう、携帯電話の電話帳は、個人情報のかたまりってことになるんだよね。

言われてみれば、全くその通り。個人情報の定義は、端的に言えば氏名とそれにひもづく情報のこと。なので、“氏名+電話番号”というのは、当然のように個人情報に該当する。
くぅ、誰も反論できない。

僕の勤務先は、個人情報保護法でいうところの個人情報取扱事業者に該当している。
個人情報保護法の完全施行は、2005年4月1日から。それがスコープに入ってから、セキュリティ関連の運用が少しずつがんじがらめになってきた。たとえば、ある日ノートPCの持ち出しが禁止になってしまったりとかね。
真綿で絞めつけられるとは、こういう感じを言うんだろな。

あなたの会社はどうですか?

この辺りの対策については、同じ個人情報取扱事業者であったとしても、実際には企業によって対応の温度差がかなりあるみたい。
僕が見るに、大きな違いは日常的に個人情報を扱って主たる事業をしているか、あるいは専ら法人相手の商売をしているか、というところにあるような気がする。法人に属する個人の情報もれっきとした個人情報だから、実はきちんと管理しなければならないのだけど、現実レベルでは運用に差はつきがち…なんだと思う。

運がよいのか悪いのか、僕の勤務先は電気通信事業者だ。会社としては、膨大も膨大、数えきれないほどの個人情報を抱えている。同業他社には、史上最大の情報流出事故も起こしたところもある。
その二の舞はごめん。情報漏洩事故が生じる可能性を潰すために、時には現場の業務を無視して理不尽にルールが定められる。職場はパニックに陥る。

人びとはそれを、セキュリティ原理主義と呼んだ。

 「“セキュリティ原理主義”に陥るな」――奈良先端大 山口氏
 http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/NEWS/20040601/145236/

そしてある日、社内で誰かが気づいてしまったんだよね。携帯電話ってどうなんだ、と。
考えてみれば、上述の通り携帯電話の電話帳も、個人情報の要件を十分過ぎるほど満たしている。だから、社員の誰かが携帯電話を紛失し、その電話帳に顧客の氏名や電話番号を登録していたとしたら—それは個人情報流出になってしまう。

これは大変だ。

携帯電話の電話帳も使用を禁止するべきではないか。
そんな議論が、社内のセキュリティ対策会議で真剣に行なわれたのです。

そんなばかな! これこそセキュリティ原理主義の最たるものと、その時は思った。
論理的に考えればたしかにそうなるのだろうけど、社会慣習として携帯電話の電話帳を使わないことはありえないだろう。無用にハードルを上げてしまって、現実のビジネスの効率はいったいどう考えるんだよ。

IMG_1160いや、みんな無理があるのはわかっていたんだよね。わかっていたけど、やっぱり反論できない。反論するための理屈が組み立てられないんだ。
そこでなんか変だという思いは抱きつつ、妙なことで刺されるのも嫌だから、素直に会社から貸与されている携帯電話の電話帳を僕もクリアしたわけだ。

はぁ。

しかし携帯電話を紛失したら、本当に情報の流出事故として届けることになるのだろうか…?

個人情報保護法は、法律の規定のみならず、実際の運用のガイドラインとして各省庁が業界別のガイドラインを作っている。実際にはそれぞれのガイドラインに従って、各社は対策を立てることになるだろう。
僕の勤務先は、電気通信事業者だから「電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン」が適用されるんだよね。

そこには、こんな条項がある。

 電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン
 第22条 電気通信事業者は、個人情報の漏えいが発生した場合は、速やかに、当該漏えいに係る事実関係を本人に通知するものとする。
 (略)
 3 電気通信事業者は、個人情報の漏えい等が発生した場合は、当該漏えい等に係る事実関係を総務省に直ちに報告するものとする。

このガイドラインがあるからこそ、通信事業者は情報流出があるとこまめに発表し、総務省に届け出ているわけだ(…おそらく、他の業界でも似たようなガイドラインが定められていると思う)。
では、電話帳登録のある携帯電話を紛失した場合、この第22条にしたがって、通知や届け出を行なうことになるんだろうか。論理的に考えればそうである。でも、まさかそんなことを…ううむ、という思いがあった。

5月30日。asahi.comを見て目が釘付けになった。
ああ、やっぱりそうなんだ。

 顧客119件登録の携帯電話盗難 日興コーディアル証券
 http://www.asahi.com/digital/mobile/TKY200505300258.html

ついにこの日が来てしまったか…。携帯電話を紛失した場合でも正直に公表する事例が、ここに登場したのだ。
金融業界と通信業界という業界の違いはあるにせよ、ともに個人情報保護として求められる水準はだいたい同じくらいだと考えていいだろう。やはり届け出ることになるのだ。

日興コーディアル証券自身によるプレスリリースがこちら。

 盗難被害によるお客様情報の流出について
 http://www.nikko.co.jp/news/2005/n_20050530_01.html

衝撃のあとには、ため息がやってくる。そしてその思いは胸の内を去ることはない。
ふぁぁ。
こんな時代になったんですね、もはや。気づけば僕らは携帯電話の電話帳も自由に使えない時代に生きることになったわけです。

携帯電話だけじゃありませんよ。
氏名とそれにひもづく情報といえば、ビジネスの現場ではもう一つ忘れてはいけないものがあるんです。

名刺だ。

思いっきり個人情報だ。
携帯電話の電話帳が禁止になるのであれば、実は顧客の名刺の持ち出しも禁止しなければならない。顧客の名刺をうっかり落としたら、個人情報流出だ。
幸い、まだ名刺を落としたことで監督官庁に届けたという事例はないみたいだけど。いや、それはたまたま起こっていないだけだろう。これからきっとそういう事例が出るに決まっている

予言しておこう。遠からぬ未来、こんな見出しが新聞の紙面に踊ることになるだろうね。
「××社、顧客情報○○件流出 社員が名刺入れ落とす」


そんなわけで、ビジネスの現場ではてんやわんや。まさに個人情報保護という泥沼にはまったかのようで、そして抜け出せない。
さらに、こんな法改正が検討されているという記事を目にした。

 自民、個人情報保護法改正案を了承・漏洩の従業員に罰則
 http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20050422AT1E2100721042005.html

むむ、さらに厳しくするつもりなのか。個人情報を不正に漏洩させた従業員に罰則とは。
たしかに現在の法律に罰則規定がないのは、見る人が見れば不十分な話だろう。

ただ法律の個々の条文が効き目をもった結果として、その先に何が起こりうるか。それを読まなければならないだろう。
ミノフスキー粒子の発見が、有視戦闘が可能な兵器としてのモビルスーツの登場を促したように。巨神兵を用いた火の七日間で汚染された世界に、浄化システムとしての腐海が急速に面積を広げたように
個人情報保護法が制定された時、誰が携帯電話の電話帳を使えなくなると予測したであろう。

そこで僕は予測する。

この改正案が通ったら、社員が退職する時にはこれまで交換した名刺を会社に納めて辞めないといけないですね。仮に営業マンが転職して、新しい会社に前の会社の名刺を持っていったら、それは“犯罪”です。
それでは、せっかく再就職しても即、退職の憂き目を見てしまいます。

ううむ。

名刺を持ち出せない営業マンとはあわれなもの。
これからは営業マンの転職活動は、人脈で評価されるのではなく、真の営業力が勝敗を決めるかもしれません。

これからは選挙活動も大変になるでしょう。
政治家の事務所も、電話をかけたり葉書を出したりして投票を訴えようにも、各種団体の名簿はもうもらえないわけだから。政治家のセンセイたちも、きたるべき選挙に突入した時初めて自らの制定した法律が、どのような影響を及ぼすものだったのかに気づくのでしょう。
民主党の次期衆院選公認候補に決まった、わが後輩・熊谷君の選挙活動はいかに…!?)。

あと、個人持ちの携帯電話を業務に使わせている場合ってどうなるんだろう。
会社の顧客の情報を、私用の携帯電話に登録した時点で、それは個人情報流出なのではないだろうか。
個人持ちの携帯電話を業務に使わせる例は少なくないと思う。僕の聞いた範囲では、たとえば大手新聞社のA社やM社ではそういう運用をしているらしい。記者が取材先の情報を登録したら、個人情報流出ってことになるのでは…。あ、報道は個人情報保護法の適用対象外だから、よいのかなあ。

うーん。どうなるのだろう。
繰り返しになるが僕らはまさに個人情報保護という泥沼のなかを泳いでいる。ちょっと前まで杞憂で片付けられたことが、いまは杞憂でないとは言い切れない。
どのような事態が予測されるのであれ、こういう時代に僕らは生きるのです。


このことで学んだこと。

まず、法律とか規則とか、自分に関係ないところで作られていると思っていても、それは直接的に自分の身の上に影響を及ぼしてくるものなんだな、ってこと。時には暴力的なほどに。

とはいえ個人情報保護法の必要性は僕も否定するものではなく、それが制定されるには時代の要請があったと思う。
けれど、結果としてビジネスの現場でセキュリティ原理主義を加速させることを担っちゃっている。
これ、法案をてがけた官僚たちや、立法にあたった国会議員のみなさんはどう予想していたんだろう。おそらくこの状況をリアルに見通すことなど、彼らにはきっとできていなかったのではないか。

つまり、法律や制度というのは、その当初の意図とか、制定したものの予想の範囲を越えて動き出すことがあるということだ。
想定の範囲外、って表現すれば、ちょうどいいのかもしれない。

ここから先は、僕としてはちょっと論理の飛躍もあると思うのだけど、おそれずに書いてみよう。

たぶん、規則や命令、あるいは法律(もしかすると憲法改正論議にもあてはまるかもしれない) —こうしたものは、現実によほど不都合がない限りあまり増やさないほうがいい。
シンプルであることこそが実はいいんじゃないかと、最近は思うのだ。

それなのに、実際にそういうものを作る場になると、誰から見ても反論できないって内容が持ち出されることがある。
たとえば、多くの人が共有すべきものとされている規範ーつまり道徳とかモラル、マナーといった範疇に属することを持ち出されると、それを盛り込むことに正面から反対しにくい。反対できないから、書いちゃえということになってそのまま通ってしまう。
でも、そういって加えたものが後になって、想定外のところで何かの妨げになったり、ものごとを阻んだりすることがあるんじゃないだろうか。

だから考え方を改めよう。たとえそれが正論だったとしても、慣習的に保たれてきたものならば、不都合がない限りこれからも慣習に任せておけばいい。
命令や規則なんてものは、必要最低限の範囲におさまっているほうが美しい。個人情報保護という泥沼にあって、いまはそう思っている。

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June 02, 2005

ザ・インタープリター

大学時代の後輩の熊谷正慶君が、民主党公認候補に決まった。次期衆院選で彼の地元、岐阜4区から立候補する予定だという。

 MSN-Mainichi INTERACTIVE 都道府県ニュース
 選挙:衆院選・岐阜4区 民主県連、元銀行員・熊谷氏を擁立 /岐阜
 http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/gifu/senkyo/news/20050427ddlk21010024000c.html

熊ちゃんは僕と出身大学は違うんだけど、僕のことを気さくに「みずみず」と呼んでくれる旧友たちの一人である。1990年代、名古屋で最もホットだった学生メディア・グランドネットワークの、1コ下の後輩だ。

僕は、このサークルが出来てから3代目にあたる代で、編集長という役割を務めていた。その1つ下の学年に、熊ちゃんはいた。
サークルには年4回発行する雑誌の誌面づくりを行なう編集長や、企業を回って広告をとってくる営業部長、書店にお願いして雑誌を置かせてもらう流通部長など、様々な役割があった。それら全てのメンバーを束ね、サークルの“顔”として活動するのが、代表だった。

熊ちゃんは僕らの代を引き継いで、サークル代表を務めた。

サークルを引き継ぐと、彼は持ち前のバイタリティでまさにサークルの“顔”としての役割を100パーセント以上発揮。ついには当時の経団連・豊田章一郎会長のインタビューを実現させるという、他には真似のできない功績を残した。
バイタリティだけでなく、抜群なセンスをもつパフォーマーでもあり、宴席では和田アキ子のリアルな物まねが得意で、僕らをつねに愉快にさせてくれる存在だった。

名古屋大学を卒業後は、東京三菱銀行に就職。実に異色のバンカーだよなあ、と思っていたら、数年して銀行を退職してしまった。
僕は正直なところ、おいおい、結婚したばかりなのにどうするんだよ、と思っていたのだけど、在野にひそむこと2年余りで、こんどは民主党公認候補として僕らの前に姿を現した。

img1f2471420kugu7そんなわけで5月27日、金曜日の夜。

東京は竹橋のパレスサイドビル。地下1階にある赤坂飯店に、学生時代の仲間が多数集まった(名古屋で出会った仲間なのになぜか、みんな東京で活躍しているんだよね)。ここで彼の新たな挑戦を祝い、激励したのであるよ。

しかし、ここまでこぎつけた彼の努力は、たいしたもんだと思う(…念のために言うと、彼の親御さんは地元の教員であり、いわゆる世襲とか二世とか、そういうものではない)。
そして同時に、この後こそがいよいよ大変だよね、と思う。

実はかつて僕の母方の祖父も、選挙に立候補したことがある。選挙といっても地元の市議会議員選挙だけど、家族、親戚巻き込んでその時はみんな大変だった。また、大学4年生の夏休みには、参議院議員選挙の選挙事務所のアルバイトをして国政選挙の現場を垣間みた。
だから僕も、選挙に立候補するというのはどのくらいのエネルギーが必要なのか、また当人のみならずその周りにいる人にどのくらい影響を与えるものなのか、少しばかりは想像がつく。

そういうことを考えると、これは重い決断なのだ。

もっとも、そういったことをいまひしひしと身に染みて感じている熊ちゃん本人だと思う。
なにより代議士になれば権力を少なからず有する立場になる以上、並大抵程度のリスクでその職を得てしまえるとしたら、それはそれで困ったものである。やはり政治家をめざすというのは、それなりに重いものを背負っての選択であるべきだと思うよ。

だからこそ、個人として彼の選択を励ましたいと思うし、僕もこれから少しばかりは力になれたらいいなと考えているところです。
万一、当選が果たせたとしたら(この期待が全く予断を許さないことだとはわかっているけど)、かつての仲間から代議士が誕生したするというのは、こんなに栄誉なことはないと思う。

むろんこの先の結果がどういうものであれ、彼のこのたびの挑戦は尊敬に値することだというのは変わりがない。考えれば、僕らの世代もそろそろこうした役割を果たす頃にさしかかってきているわけだ。大きなリスクを賭してその先陣を切ったのが、彼だと言える。

リスペクトなのだ。
(いやあ、いちど使ってみたかったんだよね、このリスペクトって言葉を)。

IMG_1145さて、そんな熊ちゃんの挑戦だけど、最近は一人必死に演説のスタイルを考え抜いているらしい(彼の声を読むべし!)。

願わくば、こうやって生み出される熊ちゃんの言葉がこれから、彼が立候補を予定する岐阜4区の、できるだけ多くの人びとの耳に届き、そして心に響く力をもちますように——。

彼のブログへのリンクを、このむびろぐの右欄にある「知人のブログ」に掲載しておきました。
#とくに岐阜4区の人は、見てあげてください〜。m(_ _)m


さて、最近見た映画の話。

凛として美しく、ちょっと物憂げなニコール・キッドマンの姿に再び出会ってしまった…。ザ・インタープリター。眼鏡をかけた女性フェチのワタクシにはたまらない…(知的な雰囲気を醸し出した美女に滅法弱いのデス)。

(;´Д`)

これを鑑賞したのは、6月2日。残業をわりと早めに切り上げて帰途についたんだよね。
京浜東北線の電車に乗って川崎駅に近づいてきた頃に、お、もしかして映画見に行けるんじゃ…?と思い立ち、上映時間を調べると、ちょうどレイトショーの始まる時間に間に合いそうだった。
このところ映画館に足を運んでおらず、そろそろ何か見たいなという思いがくすぶっていたところで、にわかに決断して下車し、駅前のTOHOシネマズに向かった。

上映が始まると、出だしのシーンで、すわ、ルワンダ虐殺かっ!?と思ってしまう。なにせ、昨年ジェノサイドの丘を読んだところなもんで。
舞台はアフリカの架空の国、マトボ共和国。

そこからニューヨークに飛んで、国連を舞台にしたお話になる。
シークレット・サービス役のショーン・ペンとの絡み合う視線。おお、大人の危ない恋の雰囲気漂わせているぜー(ウブな僕の人生には縁なし)。といっても、最後までベッドシーンとかはなかったので、お子様も安心して(!?)鑑賞いただけます。いやいや、お子様にはもとよりこのストーリーは難解で理解できないよな。そう、世界はいまも様々な悲劇に見舞われているのです。

ということで、国連を舞台にするにふさわしい重厚なストーリーであり、大人の映画として楽しめます。
…にしても通訳のブースくらいチェックしておけよ! どう考えても狙撃するとしたらそこからしかないだろっ!! (あの漫画・沈黙の艦隊でも、海江田艦長の国連総会演説のシーンでは通訳のブースから狙撃されたんだよね)。

しかし、ニコール・キッドマンがアフリカ出身のマトボ国籍という設定にはたまげるわな。こんな美人が加わっているんなら、マトボの反政府運動にゃ、みんな参加したくなるだろーよ。

(;´Д`)


そういえば、国連というと、僕は国連の仕事をしていた人にはいままで1人としか会ったことがないな。

この方だ。

 asahi.com:ニュース特集:イラク情勢
 国連、イラクに日本人派遣 法律顧問として活動へ
 http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200411180403.html

この記事に登場している水野時朗さんという方と、ほんの少しだけ関わったことがある。

それは、1994年の晩夏のことであったよ。水野さんは、当時の自社さの連立与党の要請で、国連を辞めて参議院愛知選挙区再選挙に立候補した。
上に少し書いたけど、名古屋で大学生をしていた僕はその時、水野さんの陣営でアルバイトをしていたのだ。

選挙の結果は、残念ながら落選だった。気になった僕は、落選とはどういうものなのか、水野さんの家を訪れて話を聞き、当時連載があった毎日新聞の学生取材欄に記事を載せた(その時の記事がこちら)。
その後しばらくして水野さんはまた国連に戻ったらしい。このことは以前のブログにも書いた。

それから11年たったいま、こんどは僕らの仲間の一人が、国政選挙に挑もうとしているわけだ。
ふぅむ…。


#このブログは、基本的に映画を1本見るたびに更新することにしています。
#ただし映画というのは、実は更新のトリガーに過ぎず、その時々で僕が感じていることを記録することに主眼が置かれています。

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