« 機動戦士Zガンダム A New Translation 星を継ぐ者 | Main | GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 »

June 09, 2005

フォーガットン

暇つぶしに携帯で、narinari.comのコラムを呼んでいたら、この映画が取り上げられていた。

タイトルに、「シックス・センス」以来の衝撃? 「フォーガットン」とは とある。なにぃっ、そんなに衝撃的な作品というのか。
お気に入り映画の筆頭にシックス・センスを位置づけている僕としては、見に行かねば、という思いに駆られる。ということで、いそいそと映画館に向かった次第。

それが、フォーガットン

で、シックス・センス以来の衝撃とか言われたわけだけど、観賞後の感想を言うとむしろこのノリはサインに近い気がする。サイン以来の“笑劇”ではないのかい。

後になってネットを探って知ったのだけど、なんでもこの映画は既に予告編がネタバレだったらしい。ほぅ、そうだったのか。
しかし、たまたま4月、5月と映画館に足を運ぶこともなかったせいか、僕にはその予告編を観る機会はなかった。そしてこの映画の予備知識をnarinari.comコラム以外からは全く得ないで観ることになった。

だから、母親のもとから事故で亡くなった息子の写真が消え、周りの人もそんな息子などいなかったと言い出すこの映画の展開が、ミステリーなのか、スリラーなのか、はたまたSFなのか全くよくわからず観ていた。
それが、精神病のせいだといえばそうなのかあと思い、はたまたエイリアンのせいだとなれば、ほう、そうかいと受け入れ、人が吹き飛ばされれば、ふーんと思い、そのまま観ていたら…なんと終わってしまった。

なんだこれは。
いったいこのストーリーのどこに衝撃の事実があったと言うんだ。衝撃の事実なんてなくて、たくさんの伏線を残したまま終わっちゃったじゃないか。
ええっ!?

もしかして僕の頭が悪くて、誰もがわかる解釈に気づかずに観ていたのかな、と思って帰宅して、いそいそとインターネットを検索して、この映画の評判を探った。
でも、どうも僕は何かを見逃したりしてはいないようだ。どうやらこれは、僕が観たままの映画だったらしい。

そうなんか。やっぱり観たままなんだ。
とすると、この映画の感想を、僕はどうまとめればいいのだろう? どうにもまとめる言葉を思いつかない……。

母子の間の絆を実験していたエイリアンは中間管理職みたいなもので、プロジェクトに失敗して急遽左遷させられたってことか。


母と子かあ。

そういえば僕の母は、公立の小学校の教員だった。

そればかりか、父も教員だった。父は中学校の教員。
かつて学校が荒れていた時期があって、そのあおりなのか、僕の思春期はさんざん父に殴られた。痛かったな…。

ま、母は随分前に退職し、父もいまは定年退職を迎えてしまったけどね。

教師の子供は大変だ。
いや、大変なのではないかなあと思う。

ということでここからは、先生の子供として生まれつくことについて、書いてみよう(それはなかなかにユニークな体験だ)。あと、その関係で、いまの勤め先において新たに発見した事実も。


まず教員というのは、地方においては唯一の知的職業なんだよね。

これが都会だったらたぶん公立校の教員以外にも、私立の教員もいるし、大学教授とか、司法関係の職業とか、マスメディアとか作家とか、知的なことをなりわいとする職業はいくらでもあると思うんだけど、地方にはそんな人たちいない。
(そもそも大企業のサラリーマンの家庭とかも、圧倒的に少ないわけだし)。

地方における唯一の知的産業従事者。
そう、言ってみれば「先生」と言われる仕事が、本当に「先生」しかないのだ。それゆえ教員は、学校内においてや、あるいはかつての教え子からばかりでなく、地域の人にも(私生活の場面においても)先生って呼ばれる。退職しても呼ばれているよ!

そして僕も、“先生の子供”と呼ばれてきた。

地域における唯一の知的労働者の家庭に育った子供として、やっぱり周囲からは、それなりに頭がよく、まじめちゃんであることを求められている。
同級生の親とか、近所のおばさんが、「やっぱり○○ちゃんは先生の子供だもんね」みたいなことを折に触れて口にするのを聞きつつ、教師の子供は育つわけだ。

もちろん親が大卒の学歴を持ち(親の世代で、農村地帯だとそれほど多くない)、家には様々な教材やあったりこ難しい本が本棚に並んでいたりするわけで、教育としては恵まれた環境にあるとは思う。僕は科目としては社会が得意だったのだけど、これは多分に社会科教師だった父の本棚に影響は受けているだろう。
なにせ、中学の頃から六法全書読んだりしていたからね。

でも、勉強ができることを当たり前のように言われていると、いくらなんでもプレッシャーを感じてしまう子供もいるんじゃないかなあという気がする。

もっとも僕についていうと、実はそれを重荷に感じたことは、全くなかった。…善きにつけ悪しきにつけむかしから僕はマイペース。人にとっては普通の感受性が、欠けているのであるネ。
小学校くらいは成績もよかったような気もするんだけど、中学くらいの頃からマイペースに勉強しないでいたら、なんと成績がどんどん下がった(当然だけど)。勉強しないので父に怒られてビンタくらわされたりしていたけど、好きでもないことには手がつかないんだからしかたがない。高校受験の頃の評定は、オール3よりちょっと上くらいだった。

そこで、僕は素直に自分の成績に見合う地元の高校に進学した。
そしたら、近所の文房具屋のおばさんに「ゆうくん、(受験の)レベル落としたんだねえ」と言われた。でも、やっぱりさして気にならなかった。
その後、大学受験も相変わらずマイペースに勉強しなかったんだけど、たまたま運良く合格。さらに就職活動もギリギリのところで運良く1社だけから内定いただけて入社、今に至っている。いやあ、時々危うかったんだけど、運だけはあって本当によかった。

でも、これは僕の人生であって、他の多くの先生の子供が同じようにこなしてきたとは思わない。
勉強ができることを当たり前のように期待される先生の子供たち。たぶん周囲の期待に応えて自ずと努力してしまう子たちは多いだろうし、そこにはそれなりのプレッシャーはあるだろう。
そして、時にはそれをうまくこなせずに悩む子だって、ある一定の割合はいるんじゃないかなあと思う。

もし、あなたが先生の子供だったなら聞いてみたい。あなたの子供の頃は、どうでした?


まあ、答えはさまざまかもしれないけど、家庭環境としてやや特殊であったことは間違いないわけだ。
そんなわけで、たまたま知人や同僚と話をしていて、親の職業が先生だったと聞くとちょっとした親近の情、連帯感のようなものがわいてくる。

それで気づいたんだけど、いまの僕の勤め先の会社は先生の子供が多いね。
本当に多い。

僕は、小学校の6年間を通じて同じ学年に親が先生という人はいなかったし、中学になっても、先生の子供はもう1人登場しただけだった。二百数十名くらいいる同じ学年に、そのくらいの比率でしか先生の子供は存在しなかったわけだ。

ところがいまの会社に入ってみると、よく先生の子供に出会う。同じ課のなかだったり、飲み会に行くメンバーだったり、仕事で一緒のプロジェクトになった人だったり、なんだかんだで先生の子供だったという人に出会ったりする。
数えてみると、何10人かに1人か2人以上の割合にはなるんじゃないかなあと思う。

これは興味深い。
これが僕の勤め先の会社だけで見られる割合なのか、あるいは同等クラスの企業であれば、ほぼこのくらいの割合になるのか、誰も統計とっていないからわからないけど…。
しかし先生の子供は大学へ進学し、卒業することを期待されるから、その結果としてあるクラス以上の企業に就職する機会を得られることになっているんだろうと思う。

一般に先生の子供が選ぶ仕事としていちばん多いのは、教員だと思う。
もともと先生というのは、子供が真っ先に触れる職業のわけで(一方、サラリーマンに触れる機会なんて、大学に入って就職活動でOB訪問とかするまでないがね)、もともとイメージがしやすい。なおかつそれが親の仕事でもあったら、無意識のうちに選びとってしまうでしょうな。
少なくとも、教職課程をとる選択はするでしょうな。なんとなく僕も、大学3年の終わりまではとっていた。

先生の子供なのに教員になろうとしなかった、ある意味変わり者たちが民間企業をめざすことになる。
そう考えた時、僕の勤め先は、公益事業をてがけるホワイトカラーの会社。やっぱり公務員の家庭に育っているわけだから、純粋に営利を追求する他の民間企業と比較して、自ずといまの会社を選択しがちな気はする。
それが、先生の子供が多いと感じる理由なのだろうか。

まあ、といって具体的に調査したわけではないから、実際のところはよくわからないけど…。だから裏のとれていない分析なんだけど、いずれにしろこの符合はなかなかに面白いと、僕は何年か前から思い続けてはいる。

|

« 機動戦士Zガンダム A New Translation 星を継ぐ者 | Main | GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference フォーガットン:

« 機動戦士Zガンダム A New Translation 星を継ぐ者 | Main | GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 »