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August 28, 2005

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲

kureyon_5僕らのまわりのいたるところにイエスタディ・ワンス・モアはひそんでいて、過去への郷愁の虜にしてしまおうと手ぐすねをひいている。

たとえば、新横浜ラーメン博物館のなかに再現された、昭和33年の夕焼けの下町。ラーメンとは本質において何の関係もないのだが、この空間が魅力となって多くの人びとを招き寄せる。お台場にできた台場一丁目商店街もしかりであろう。

あるいは、続々と発売される過去のアニメーション作品のDVD作品。かつて夢中になっていたアニメがDVD化される。いい大人になって…と思う反面、大人であるがゆえに少なくない金額を出費することも可能。思わず購入してしまう御仁は少なくないようだ。

そして2005年に入って、イエスタディ・ワンス・モア勢力の策動は一つの頂点に達した。それは…。

祝日「昭和の日」の制定である。
ご存知の人も多いだろうが、いまみどりの日とされている4月29日。それが、2007年から昭和の日という祝日になってしまうのだ!

イエスタディ・ワンス・モアはついに、過ぎ去ったものへの郷愁を国家の制度のなかに位置づけることに成功したのである。
おそるべし…。

さて。


kureyon_0なんでこんなに泣かせる映画なんだ…。

これは、まったくたいしたアニメーション作品だ
いや、その噂を聞き及んでいるからこそ、DVDをレンタルしてきたわけなんだけど。鑑賞してみて、評判にたがわぬ内容であることに改めて納得させられた次第。

そのタイトルは、クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲

クレヨンしんちゃんだからと言って、侮るべからず。というか、これクレしんの映画作品の体裁はとっているけど、子供向きのお話になっていないよ! このストーリーを堪能できるのは、大人しかないじゃん。
見れば明らか。

クレしんの映画シリーズがただものではないことは、以前もTVで放映されているのを眺めていて知っていた(以前のブログ)。だけど、この作品自体は見ていなかった。

bsanimeこの作品を知った直接のきっかけはといえば、BSアニメ夜話で紹介されていたから、ということになる。
例によって、岡田斗司夫が熱弁を振るっていた。

そのBSアニメ夜話のナレーション内容をそのまま移して、ストーリー紹介をしておこうか。(うちのHDDレコーダーに、まだ残っていたのですハイ)。


kureyon_12001年に公開された、クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲。監督は、TVシリーズも手がけた、原恵一

しんちゃん一家の住む春日部に、20世紀博がやってきた! 高度経済成長のシンボル、大阪万博を再現。懐かしのヒーローになって遊ぶこともできる、大人のためのテーマパークだ。
しんのすけとひまわりをほったらかし、ひろしとみさえも20世紀博に夢中…。

kureyon_2しかし、この20世紀博の裏には、秘密結社イエスタディ・ワンス・モアの陰謀があった。リーダーは、ケンとチャコ。

20世紀博のとりことなった大人たちは、どこへ行くのか。

20世紀博のなかに広がっていた世界。そこは、昭和の日本。懐かしい匂い漂う夕焼けの街。
誰もが、貧しくとも未来への希望に満ちた暮らしを送っていた。
ケンとチャコのねらいは、古きよき20世紀の日本を取り戻すことだったのだ。

連れ去られた大人たちを取り戻すため、しんのすけ率いるカスカベ防衛隊が、イエスタディ・ワンス・モアと壮絶な戦いを繰り広げる…。

kureyon_3過去と未来、ひろしはどちらを選ぶのか。

TVシリーズとは一味違う、大人からも支持を得た作品だ。

(以上、BSアニメ夜話でのナレーションによるストーリー説明より)。


と、この説明からもわかるとおり、たびたび出てくる20世紀博のなかの風景が、昭和の日本なのですよ。
昭和の日本を模して作られた夕焼けの街を駆け抜けながら、「チキショー、ここはなんでこんなに懐かしいんだ!」と父親ひろしが叫ぶ。

Amazon.co.jpのレビューでも書かれているが、そのひろしの回想がこの映画のなかで最も感極まるシーンの一つ。僕は、思わずウッて来てしまったよ。


父親ひろしを大人に戻すために、ひろしの靴を鼻にあて“大人のにおい”を嗅がせる。そんなクレしん的なギャグ・アクションから一転、ひろしがそれまでの半生を振り返る、回想シーンへ。

kureyon_4父親がこぐ自転車の後ろに座って、背中を見上げていた子供時代。学校に通い、やがて都会に出て働き始める。
そして結婚して子供ができて、会社の仕事に疲れつつも家庭を支え、支えられ。こんどは我が子を、かつて自分がそうだったように後ろに載せて、自転車をこいでいく…。

こんなシーンがしばらく続く…。
“大人のにおい”のなかで、父親ははっと我を取り戻す。そして、自分が半生をかけて獲得したもののために戦う。

おい、しんのすけじゃなくて、ひろしが主役になってるよ。

でも、そもそもがそういう映画なのだ。

鑑賞していて、“チキショー、なんでこんなに泣かせる映画なんだっ”。…と、僕も叫びたくなる。
そんな僕はいまだ一人暮らしの身の上。いや、三十路で独身でいることに、ホント申し訳なくなるような作品です。


…。

平成という新しい時代がまもなく20年を迎えようとする年に、いまさらスタートする昭和の日

思うんだけど、昭和の日を推進してきた人たちって、ケン、チャコと同じく将来、この先の時代のことは視野になかったんだろうなあ。
これから昭和にリアルを感じない世代がどんどん増えてくるのに、自分たちが生きてきた時代だけ特別なものと考えて、祝日にしてしまって…。

これぞまさに、われわれの内なる心が常に抱く“イエスタディ・ワンス・モア”が招き寄せたものの、きわみといえるだろう。
昭和の日は現実社会に築かれた、“20世紀博”なのだ。

ということで、再来年から導入される昭和の日には、ぜひともこのクレしんを上映すべし!
そしてこの21世紀、平成の僕らの時代こそが大切なのだと、改めて噛み締めるべきなのだ。

前を見てイ㌔。

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August 26, 2005

ヒトラー 〜最後の12日間〜

1998年に公開された「プライド 運命の瞬間(とき)」という映画がある。

たいして話題にもならなかった作品だけど、公開当時その筋では少なからぬ反響を呼んだ。
というのも、その映画は、太平洋戦争開戦時に首相を務め、戦後はA級戦犯として東京裁判で絞首刑となった人物、東条英機を主人公に据えた映画だったからだ。

この映画は、端的にいえばアンチ東京裁判の内容で、戦争に至りそして敗戦を迎えた日本にも国家としてのプライドがあるべき、というのがテーマ。と聞くとまあアレなわけだが、実際にはその頃って、歴史観の見直しを強硬に唱える論調は、いまほどさかんではなかった。

だから、東京裁判の見方としてオルタナティブなものを示したお話として、比較的穏当に受け入れることができたように思う(ほんの7年前なんだけどね)。
なにせ朝日新聞社が発行する週刊誌アエラで、いままでと違う側面から東条英機を描いた映画が公開になったということで記事にしていたくらいなのだ。僕はそのアエラの記事を読んで映画を知り、実際に映画館に足を運んだのだった。

そうだ、思い出した! いまは結婚してワーキングマザーになっている職場の先輩女性と観に行ったのであった。
横浜の伊勢佐木町で映画を鑑賞した帰り道に、二人で歩きながら、東京裁判が“勝者の裁判”として、不当な側面がぬぐえないことを説明した記憶がある。

うーん、あまりデート向きの話題じゃないよね…。


Ganzふとそんな映画のことを思い出したのは、川崎のチネチッタで「ヒトラー 〜最後の12日間〜」を鑑賞したからだ。
まあ、枢軸国つながりで連想したわけだ。

こちらの映画はドイツで初めて製作された、ヒトラーの人間性を描いたお話という。人間性に迫ったことが、ドイツでは少なからず波紋を広げているらしかった。
実際、主役のヒトラーを演じる俳優ブルーノ・ガンツがなかなかの演技をしていてひきこまれる作品だ。彼が今回アエラの表紙(左の写真)を飾ったことも、話題作である証しなのだろう。

ヒトラーを描いたこの映画を、かつて東条英機を描いた映画と同じように僕はこのアエラで知り、見に行かなければという気にとらわれた。ちなみに今回は一人で足を運んだ。

映画そのものの感想としては、破滅に瀕した独裁者というものの狂気をうまく描いているような気がした。
それから、そういう独裁者の気まぐれに翻弄されてうんざりしつつ、それでも最後まで抗うことができず従う側近の様子も印象に残った。そこには卑近ながら、上司には逆らえないサラリーマンの身の上を重ねてしまう…。
戦場となり徹底的に破壊されるベルリン市街地の様子は、以前鑑賞した戦場のピアニストの廃墟となったワルシャワのシーンを思い出しもする。


またヒトラーの、人間としての側面を描いた作品として物議を醸し出していると聞いたのだが、その部分については取り立てて強調されるようなものではないだろうと思った。
だいたいどんな悪人だって映画の主役に据えるならば、このくらいの描写がなければお話に厚みがない。べつにヒトラーを犠牲者とか英雄とか見立てているわけでもないんだから、そこにそんなに目くじら立てずともよいんじゃないだろうか。

と思うのだけど、これほどの描写も戦後のドイツは許してこなかったとすれば、それほどに禁欲的で自省に満ちた国だったのだろうか。それはそれで感嘆はすべきことではある。

人間としてのヒトラーを描くことすら禁じるその価値観にあてはめれば、日本の「プライド 運命の瞬間(とき)」は、どうだろう。きっと、浅はかなリビジョニズムの最たるものであると轟々とした議論を呼びそうなものだ。

ただ、幸か不幸か日本の場合、ドイツとは戦争に対する見方がちょっと異なっている。
つまり、日本では政府は東京裁判の判決を受け入れながらも、民間の論調としては裁判に疑義が挟まれることがもともと少なくない。それに、東条英機はそもそも独裁者ではなかったわけで、その点でもヒトラーのように稀代の悪人に仕立てることは難しい。

そんなわけで、とくに問題作として大きな議論を呼ぶこともなく「プライド 運命の瞬間(とき)」が製作されたわけだが…。まだまだこの手の問題に鷹揚だった1997年当時の状況もあり、いかんせん映画としての出来そのものが、そんなにたいしたものでもなかったこともあり。公開当時は一部のマニアにのみ受け入れられた映画として通り過ぎて行った。


気づけば、この「ヒトラー 〜最後の12日間〜」を鑑賞したのは、戦後60年目の8月である。
そしてヒトラーのドイツと洋の東西をまたぎ、同盟を結んで枢軸国として戦争を指導したのが、「プライド 運命の瞬間(とき)」の主役、東条英機。この人は、繰り返しになるけど東京裁判のA級戦犯として絞首刑になった人物だが、そのA級戦犯を祀ってあるところにお参りに行って論議を呼んでいるのが、いまの小泉首相。

靖国神社参拝である。

今年の8月15日は、小泉首相はその靖国神社に参拝しなかった。これは、中韓の反発に加え、これから総選挙を迎えにあたって、世論の反響というものも考慮したのだろう。
しかし参拝があることを予測したのか、NHKスペシャルでは靖国関連の番組が企画されていた。夏休み中でなんとなくチャンネルをつけていたのだけど、終わってみるとそれぞれ滅法面白かった。受信料を払っていることの元はとったという感想を抱かせる番組だった。

終戦60年企画と銘打って放送された「靖国神社〜占領下の知られざる攻防」(8月14日放送)と、「戦後60年 靖国問題を考える」(8月15日放送)だ。


この放送を見て感じたことは、まず戦後60年という節目は、もう戦争そのものを振り返るものではなくなったんだなあということだ。先の大戦のなかの現実そのものではなく、その戦争をどう捉えるべきなのかという問題が、公共放送が終戦記念日に選んだネタなのだ。

むむ…。難しいところだよね。
戦争は、厳然として起こった事実である。それを題材にすれば、事実を明らかにして知らしめることとイコールであり、それはジャーナリズムの根幹の作業だといえるだろう。
しかし、そうやって明らかにされた史実をどう眺めるかは、各人の主観の問題であり、そこを突き詰めてもTV番組の枠のなかで適切な答えが出ようにもないと思う。

実際、識者の論戦が交わされた8月15日の放送は、結局のところすれ違いに終わった感は否めなかった。
とはいえ、そうやってすれ違いに終わるほどの歴史観の相違が現に存在するのであれば、それを浮き彫りする題材を、公共放送が選んだことは意味あることだとは思う。

この問題を突き詰めれば、ちょうど映し鏡のようにいくつかの論点が浮かび上がってくる。それらを挙げれば、「靖国神社という場に対する評価」「先の大戦に対する解釈」「東京裁判の見方とA級戦犯合祀の問題」「近隣諸国である中国や韓国へのまなざし」といったところだろうか。


僕もくだんのNHKスペシャルを観たり、いろいろな書き物を読んで勉強しているのだけど、これらの論点について最右翼の立場をとれば、おそらくこんな感じになるだろう。

“靖国で会おう”を合言葉に死んでいった兵隊さんたちにとって、彼等が祀られるのは靖国神社しかない。大東亜戦争は当時の国際情勢におされた自尊自衛の戦争。東京裁判は勝者の裁判であり、不当なものとして認めることはできない。また、今後も戦没者を追悼するには靖国神社以外にはありず、国立の追悼施設は必要ない。中国や韓国の反発は内政干渉であり、この問題を外交のカードに使っている。国益を考えるならばそうした反発は無視すべきである。総理大臣による靖国神社への参拝は、憲法違反ではない。

容易に与し難い部分もあるが、ストレートであり、それだけに力をもつ主張ではある。
一方、最左翼の立場をとると、こんな感じだろうか。

靖国神社は軍国主義を推進し、庶民を戦争に駆り立てた国家組織の一つであった。太平洋戦争に至る一連の戦争は侵略以外のなにものでもない。東京裁判は、当時の国家指導者の責任を問うた妥当な裁判である。またサンフランシスコ平和条約で裁判を受け入れた以上、戦犯をたたえるような行為はすべきではない。靖国神社にA級戦犯が祀られているのは大きな問題だ。戦没者の追悼には靖国神社以外の施設を考えるべきである。中国や韓国など近隣諸国には侵略や植民地支配への反省を示し、協調していくことが国益である。また、総理大臣の靖国神社参拝は政教分離を定めた憲法第20条に反し、違憲である。

ごもっともである。
戦後の日本国政府はサンフランシスコ平和条約で主権を回復したわけだし、その平和条約で東京裁判も受諾したという立場をとっているので、部分的には政府の見解とも重なるところがある。
ただこの主張には、綺麗ごとの側面しか見ていない印象がつきまとう。本気でこれを唱えれば、かえってリビジョニズムの燃え上がりに油を注いでしまうだろう。


プライド 運命の瞬間(とき)」についていうと、言わずもがな、明確に前者の立場で作られた映画だ。
前者の立場をとる時に必ず強調されるのが東京裁判の判決時におけるパル判事の少数意見…そういうわけで映画でも東条となんら縁はないのに、パル判事が重要なキャラクタとして映画に登場する。個人的には、毎度判で押したようにパル判事ばかり持ち出すのはどうかと最近は思うのだけど。でも、連合国側に他に味方となってくれる人物がいないからしかたないんだろうね。

まあ、実際にはパル判事を持ち出さずとも東京裁判に疑義が挟まれるのはむべなるかなというところがある。
現実には日本はヒトラーのような独裁者に指揮された国ではなかった。そればかりか、戦後になって戦争当時の指導者のほとんどが、内心は戦争には反対であったと唱えた。どうやら、壮大な無責任体制にあったことこそが逆に戦争を招いたのかもしれないわけだ。
にも関わらず東京裁判は、当時の国家指導者の間に明確な意図と工作が存在したとして断定している。そこに“共同謀議”が存在したとみなしているわけだ。このことがその正当性に疑問符をつけることになってしまい、結果として後者の立場も素直に受け入れられないという状況を招いてしまっている。

アンビバレント。
そう。前者の立場と後者の立場の狭間で、僕らは首尾一貫した見方をとることが困難な状況に置かれてしまっているのだ。

ちなみにそれは、靖国参拝を強行して波紋を広げることになった小泉首相においてすら、そうである。


6月2日の衆院予算委員会で、「A級戦犯に対して総理はどういうお考えをお持ちですか」という民主党の岡田代表の質問に、小泉総理大臣は答えている。「戦争犯罪人であるという認識をしているわけであります」と。

これにたまげた人は少なくなかった。とくに、右寄りの人たちにとってとりわけインパクトのある答弁だったようだ。
先に触れたように、東京裁判の正当性にはつねに疑問符がつきまとう。右派の立場をとるならば受け入れ難い。だからA級戦犯は犯罪者ではなく、靖国神社では昭和殉難者としているわけだ。

勢い余ったのか読売新聞は、社説で「国立追悼施設の建立を急げ」という社説まで掲載してしまった。そこには、「小泉首相は、いったいこれまで、どのような歴史認識、歴史観に基づいて靖国神社に参拝していたのだろうか」とある。狼狽しているのが見て取れる。

まあ、実際には政府の長として東京裁判は受け入れません、なんて言えるわけはない。
そこでたとえば、中曽根元首相はかつて政府の立場と両立させるべく、A級戦犯を切り離す「分祀」を画策した。それ自体賛否はあるにせよ、一つの筋は通したものだった。
しかし小泉さんは、東京裁判は受け入れます。A級戦犯は犯罪者です、でもその人たちを昭和殉難者として祀る靖国神社には、参拝するんです。…と、つかもうにもつかみどころのない意見の持ち主。そこには論理も何もない。矛盾を隠すために、かえって意固地になっているのかもしれない、とすら思う。

僕も、小泉という人は首尾一貫してないんじゃないかと思ってたけど(以前のブログ)、ホントにそのとおりだった。おいおいって、思わずにはいられない。


そんな総理大臣が結果として今年の8月15日に靖国神社の参拝は行なわず、代わって戦後60年にあたって談話を出した。
そこには、こんな一節がある。

とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。

一衣帯水」っていい表現だねと、正直僕は思った。まあ、関係を悪化させている張本人は誰だよって、見る向きもあるのだろうが。
とはいえ注目の日に靖国参拝をせず、こういう談話を発表する。曖昧で首尾一貫に欠けるけど、この人はなかなか機微に長けるというか、バランスの取り方を踏まえた政治家なんだなとは思う。


いずれにせよ、アンビバレントを解消できないまま、僕らは60年後の時代を過ごしている。
稀代の独裁者が戦争を指導したのでもなく、戦前から続く国家が崩壊したわけでもなく。一方で敗戦を招き、結果として自らの手で当時の指導者を裁く権利も失われ、勝者の裁きにゆだねざるをえなかった。
そうした歴史の経緯がもたらした条件が、結果として靖国問題に関し、首尾一貫した立場をとることを許さない。

ヒトラー 〜最後の12日間〜」が議論を呼ぶ国と、「プライド 運命の瞬間(とき)」が難なく上映されてその後話題にも上らない国。この違いはこうした所与の相違にある。

…と述べて締めたいところだが、映画の中身に関していうと、我が国のものは製作者側の“力み”がいささか空回り気味で、エンターティメントとしての出来は大したことなかったというのが正直なところ。

だからいま、この両作品を同じレベルのものとして比べるのはフェアではないだろう。洋の東西をまたいだ戦争指導者の映画として、あくまで僕がタイトルを思い出し、戦後60年ということに絡めて連想したことをここに書き連ねただけである。


なんだか随分と話がとんでしまったわけだけど、とにもかくにもこの、「ヒトラー 〜最後の12日間〜」は破滅をむかえんとする独裁者の行状を描き、人間ドラマとして“見せる”作品に仕上がっている。
上映時間は3時間に及びいささか冗長で、もう少し短くまとめたほうがよろしいような気もしたけど…こういう“重い”映画が嫌いではない人であればご覧になるのがとよいと僕は思います。

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August 18, 2005

お見合い放浪記

omiai_1NHKBSの連続ドラマアンコールで、「お見合い放浪記」を放送していた。HDDレコーダーで毎回欠かさず録画して、観てしまった。

 お見合い放浪記
 http://www.nhk.or.jp/drama/archives/omiai/

ああ。NHKはなんでこんなタイムリーな時期に放映してくれるのか。


実はこれ、わりと面白おかしくもなかなかに切実で、歴々の連続ドラマのなかではモスト・オブ・観てしまった1本なんである。

omiai_2水野真紀が主演で、 「お見合いでも、ときめいた恋をして結婚したい」とさまざまな男性とお見合いを繰り返す、というお話。
思えば、放送時は初めて僕がお見合いを2、3回か経験した頃。男女の違いはあれ、けっこう自分の身の上に重なるところもあり…。すっかり水野真紀演じる永沢ゆずに感情移入していた。

ただ、世間的には「ロッカーの花子さん」などと違ってたいして話題にもならず、よって続編の制作もDVD化もアンコール放送もされず。
僕はとても残念に思っていて、「お見合い放浪記」をもう1回観たい、永沢ゆずにもう一度会いたい、というのがかねてからの願いだった。

だが、そんな僕の願いとは裏腹に、衝撃的なことがこのドラマの放映後に待っていた。水野真紀がなんと、後藤田代議士(いまは前・代議士か)と結婚してしまったのである。
それを聞いた時、僕は同志を失った気がした。水野真紀、お前もか。う、裏切り者ぉっ。°°・(>_<)・°°

そして。

メラメラ……恨みはらさでおくべきか〜 (by 魔太郎)

今回、お星様に僕の祈りが通じたのか、念願かなって再放送とあいなった。なにせいまも盆暮れの時期になりゃあ、決まって母から「お見合い」というタイトルのメールが届く身…。
そうやって、何回か挑んだ結果はいかばかりといえば、現在の僕は独身であることから自ずとおわかりのとおりであろう。
聞くなっ(耳に蓋)…聞かないでくれ〜゜(´□`。)°゜。ワーッ。

だからこそ、いまも身につまされるドラマなのである。


それにしても…。

ふとしたはずみでこんどお見合いをするという話をこぼすと、女性はさっと聞き耳を立てるよね。
わりと早い時期に結婚した女性なんかとくに。こうのたまう。
「私もいちどでいいからお見合いしたかった〜」

何ゆうんとるんじゃゴルァ! て感じである。

この腐女子が〜…ケッ。

その時彼女たちの脳内は、和室のイメージでも思い浮かべているに違いないのである。 鹿おどしの水を打つ音が“カッ、コーン”て響く、あのシーンだ。

ドラマの観過ぎだって!

こっちは、遊びじゃないんだYO!

まあ、ステレオタイプなお見合いのイメージを抱くのは勝手なんだけど、実際にはそういうものはない。
だいたい見合いは地元でやるんである。僕の田舎には、そんな立派な施設はない。

そんな格式ばったものはなく、せいぜいホテルのロビーで会うのが関の山。場合によってはファミリーレストランとか近所の喫茶店とか、さまざまだ。
庶民には、庶民にふさわしい場というものがあるのだ。


さて。また話が変わるけど。

もう30代後半にさしかかろうとする先輩の独身男性がいる。
つねづね結婚を希望しているので
「なら、お見合いはどうです?」
と向けると
「いや、やはり恋愛でないと…」
「見合いの話も親から来るけど、ことわっているんだよね。そしたらあまり話が来なくなってきたな」

バッコ〜〜ンッ
いったいあなたは、いまさら何をゆうてんだ! \(`O´)/

いや恋愛でもいいよ、なら相手を見つけてきなよ。
現実が伴っていないのに自ら手段を閉ざしていったいどうするのだ? ハァ〜。

実際のところ、お見合いって、出会いの形の一つでしかなく。

だから、やることそのものは他の出会いの形とあまり変わらない。
ナンパ、出会い系サイト、ねるとんパーティー、合コン、友人の紹介…。出会いにはいろいろあるけど、結局やることは男女で二人の時間を作って食事でもしながら、あれこれ話を合わせていく。それは同じだ。
お見合いもしかり。

ちょっとだけお見合いが違うのは、間をコーディネートする人がいるということ。同じような家庭環境の男女が会うよう予め調整済みだ。だから変な人に会う確率はほぼ皆無。
これがナンパや出会い系や合コンだと、どんな痛い目に遭うかわからない。

そう、実はお見合いって、すごく安心で、なおかつ楽なのですよ。
他の出会いの形だと、二人の時間に持ち込むまでにすごい労力を払う。メアド聞き出したり、電話かけたり、どこか行かないって話しむけて、なんとかウォーカーとか読んで女性が喜びそうなスポットを探したりして…。

見合いはそういう面倒な過程一切なし。「見合いするか?」 イエスかのノーで応えて、イエスだと日付と場所が即決まって、そして当日、紹介されて10分後には「では後は二人だけに」と言われて。
何の労力もなくエスカレーターに乗っていれば、二人っきりのサシの時間になるんだよ。他の出会いの形でこれまで費やした努力は何だったんだ!?

だから、思う。先輩だって、食わず嫌いはやめて、まず経験してみればいいのだ。
なんでも、一つのチャンスと思って取り組んでみることだ。
といってもお見合いは、本人の努力でできるものじゃなく、親の人脈に依存する。そういうつきあいを持たない親もいるので、だから誰でもできるものではない。でもだからこそ、できる縁があるなら、やってみたほうがいい。

そして、不幸にして気に入らなかった場合の断り方も、洗練されている。
もしことわりを入れれば、「こちらには立派過ぎる方で」とかなんとか定型化された口述で、間に立った人がことわってくれる。

うーん、なんて楽なんだ。


ただ、明らかに他の形とは違うこともある。お見合いは、デジタルだってところだ。

お見合いはこの社会で最も制度化された出会いの形。結婚という制度と不可分。だから、それに向けてつねに結果を出すことが求められているのだ。
また会いますか? イエス。イエスということは、その人と結婚する意思があるということ。イエスの札を何枚かめくりれば、その先にあるのは自動的に結婚、となる。エスカレーターでそこまで運ばんでいってくれる。

しかし。もし1回ノーの札を切れば、そこで終わり。
もう二度と会うことはない。

中間解は、ない。
もう少し、友達関係を続けたい、なんて曖昧な選択は許されない。
キビしいな〜。

そう。だから、軽い気持ちでのぞむと返って後悔することもになったりする。でも最初はそういうものだとわかっていなくて、失敗しちゃうんだよね。
それである程度の覚悟をしてのぞんでいても、やっぱり応えるもんな。

相手にことわられちゃうこともあるし、こちらもファジーな態度が許されないから、では結婚ってなんだろうとか、いま僕の人生に必要なんだろうか。あれやこれやつらつら考えて。まあ、恋愛でもいつかの段階で結論を下すことなんだろうけど…。
出会った早々からそういうことを考え込んで、げんなりしてきたりもする。

まあ、そういったものを一通り経験すれば、お見合い初級レベルは卒業と言えるんじゃないかな、という気はするよ。
むかしと違っていまはお見合いでも、1回目の相手で決めることはなくて、何回もこなすのが普通。やはり最初のうちは、周りに言われて、当人の多少の好奇心もあって、考えも固まらないままのぞむんだろうしね。

ふぁ。


そう、前回この「お見合い放浪記」を観た時は、初級も初級、そういうお見合いの道理を一通り経験して、わかってきたころだったんだよなあ。
だから、ドラマに絶妙に共感して、ビビッドに反応しながら観ていた。
じゃあ、その後何回か経験して、それで初級を脱してきたのかというとそうでもない。いつまでもアマちゃんである。

ただ思うのは、お見合いはいろいろな出会いの形の一つである。この出会いの形が向いている人もいるんじゃないかってこと。
小説、映画、TVドラマに、ラブソング…。この世の中はなぜだか恋愛至上主義の価値観が行き渡っている。自由恋愛せざるもの人にあらず、って感じで。
でもべつのところに書いたけど、みんなが“掛居君”や“取手君”になれるわけじゃない。

そう、現実には自由恋愛というスタイルがうまくこなせない人も少なくないと思うんだよね。
そもそも自由恋愛なんて、たかだかこの数十年間出てきたスタイルに過ぎないのだ。数万年に及ぶ人類の長い歴史のなかではいたってマイナーな方法なんである。
だからこの時代にあっても、お見合いのような出会いの形があってしかるべきんじゃないかと思う。

かくゆう僕は、自分で何が向いているのかいまだわからないでいるけど…。
でもこの世の中には、お見合いという形こそがベストフィットな男女が、きっと少なからずいると思うのである。


それにしても……。
omiai_3そう、それにしてもだ。

僕も水野真紀とお見合いしたかったっ (;´Д`)

絶対ことわらないよ!


(以上。先日mixi日記に書いたコラムですが、せっかくなので一部手直ししてこのむびろぐにも再掲しました)。

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August 12, 2005

2005 Our Planet

みたび、愛・地球博に行ってまいりました。
今回はまた、会場で鑑賞した映像アトラクションの話です。あと、リニモ科学万博と、そしてルーシーと、さらにポーランド料理も。

 ☞ 前回・萌えの万博訪問記はこちら
 ☞ 前々回・最初の万博訪問記はこちら
 ☞ 次回・最後の万博訪問記はこちら


●みたび、愛・地球博へ

expo200508128月9日から1週間ばかりの夏休み。

この間、以前住んでいた鎌倉の花火大会に出かけたり、あるいはたんに横浜市内のマンションの部屋でごろごろしたりしていたわけだが…。
週末はお盆というので東名を車走らせ、実家に帰ってきたのだ。

といっても、実はつい先月も帰省したばかりなんだよね。いまどきお盆だからといって毎年律儀に帰省しないでもいいのだろうなあとも思うのだけど。
ただ、一応お墓参りはするわけだし、夏休みだからといって他に予定もないしで、だいたいいつも、この時期に戻って来てしまう。

地元での滞在中、今回は竹馬の友Rと会い、万博に行くことにした。
たしか、このRと出会った時は小学生だったが、年月の変遷によりともに三十路独身(加えて言えばともにモテない男)となってしまった。
歳を重ねるのと反比例して、お互いの将来への希望は磨り減って、ここに至っている。


●かつて通学に使った電車が会場への足

aikan万博と行っても、このブログにも書いているとおり既に2回訪れているわけなので(前回のブログ前々回のブログ)、今回はそんなに肩肘はらず繰り出したいと思った。
実はそんな脱力系地元住民にピッタリの入場券が、愛・地球博には用意されている。それが、夜間割引入場券。5時からだと半額で入場できるという、素敵なチケットである。暑い夏にはまさにこれで巡るべし!

yakusa_stationということで、夕方から地元の第三セクター・愛環(愛知環状鉄道)に乗って会場に向かう。
愛環は僕の大学時代の4年間、自転車・電車・地下鉄・徒歩で片道1時間40分かかっていた毎日の通学に使っていた路線。10年たって久々に乗ったら新車両投入、しかも万博カラーでかつてとは様変わりである。

万博八草駅リニモに乗り換えて愛・地球博 長久手会場へ…。

linimoリニモといえばその名の通り、リニアモーターカー! 磁気浮上式鉄道なのである。
幼少のみぎり目にした本によく、21世紀の乗り物として紹介されていたものだ。それが21世紀を迎えて、この日本のなかでもまさかこんな近所に走るとは、想像だにしておらなんだヨ! びっくりだわ。
(右は、そのリニモの軌道の写真です)。

なにせ当時のイメージでは、シャープな超高層ビルが林立しエアカー用のチューブがスマートに張り巡らされた都市を疾走していくものだと思い込んでいたけど(脳内に真鍋博のイラストを思い浮かべよう)、21世紀に現実となったわが地元のリニアモーターカーはなぜだが、ビルはおろか家もほとんどないローカルな田園地帯を走り抜けていくんである。

linimo_2万博に来ると理系ココロがくすぐられるワタクシ。
実は前回訪問した時にこの21世紀の乗り物リニモの先頭車両に乗り、その車窓からの風景を、これまた21世紀の小型高機能通信機、FOMAを使って動画撮影しておいたのだった。

前回のブログでは紹介しなかったので、今日は改めてそれをアップしておこう。ということで、リニモの先頭車両からの風景です。

 linimo.3gp

…なお視聴には最新版のQuickTime Playerが必要になるかと…(アップルのダウンロードサイトへ)

以上、3GPPで標準化された動画形式によるリニモの乗車中の模様でした。


●科学万博から20年目の正直、リニモ

expo85もう少しリニアモーターカーについて話を続ける。考えてみれば、このリニモは“20年目の正直”とでもいえる乗り物なのだ。

思えばこの僕に理系ココロを植え付けた原点。それはニュートンNHKスペシャルと、そして1985年科学万博−つくば'85(国際科学技術博覧会)だ。

筑波研究学園都市で開催されたその科学万博で、HSST(常電動磁気浮上システム)が初めて出展された。会場内に実際に軌道を敷設してリニアモーターカーの車両を走らせ、多くの人びとを運んだ。

hsstHSSTを出展したのは、日本航空。航空会社が鉄道を開発、というと不思議な気もするが、当時は空港と近隣都市を結ぶ交通システムとして日航が研究していたんだよね。JRのリニアモーターカーは都市間の長距離輸送目的であるのに対し、このHSSTは近郊との輸送を担うという点が異なる。

20年前、僕が訪れた万博で出展されて試験的に走行していたものが、20年後の万博では実用化されて本当に乗客を運んでいる。そう思うと感慨もひとしおだ。

加えて述べておくとこのHSST、東海地方には浅からぬ因縁がある。

というのも、HSST科学万博の翌年、バンクーバーの国際交通博覧会に出展され、そしてなんと僕の故郷・岡崎市に運ばれてきた。
徳川家康を育んだ岡崎城のたもと、岡崎公園に設置されて走行していたのだ。
といっても、別に乗りに行かなかったんだけどね(貴重な機会を逸した…と言うべきところだけど、21世紀になってもういつでも乗れるからいいや)。

そしてその車両はそのまま岡崎市が譲り受け、巡り巡って岡崎南公園に設置されているらしい…(いまは走らない)。

その後日本航空は、HSSTの開発から手をひくことになる。
調べてみると、そこで引き受け手として手を挙げたのが、名鉄(名古屋鉄道)愛知県
中部HSST開発という会社が設立され、日本航空の開発を引き継ぎつつ、実際の路線への導入を検討することになった。そして、導入されることになったのが東部丘陵線。つまり万博を結ぶこのリニモだ。

20年目の正直、リニモ
しかし上のほうに書いたように、その沿線には住宅がほとんどないエリアが見受けられる。万博終了後に赤字に陥らないか心配である。

(上でリニモの車窓からの風景の動画ファイルをアップしてみたのだけど。いまアクセスしてみたら、愛知高速鉄道のリニモのページ映像集が公開されていますね…。ぜひご覧あれ)。


●グローバル・コモンの星、アフリカ共同館

今回の訪問では、アフリカ共同館が予想に反して面白かった。

グローバル・コモンの外国館たち。人気の企業パビリオンとは違って、たいして待ち時間もなく入れるのがメリットであるが…。正直、展示内容が貧相で、がっかりしてしまうところも少なくない。
いや、企業パビリオンみたいにお金かけられないのだろうし。そもそも、遠い日本の、こんな愛知県くんだりまでやってきてくれてありがとう、というべきところなんだろうけど。

しかし知的好奇心を満たすという観点からすれば、グローバル・コモン巡るくらいならリトルワールド行ったほうがいいんじゃないか? というのが僕の至った結論であった。
リトルワールドというのは、愛知県犬山市にある、名鉄が経営する野外民族博物館。世界のさまざまな民族の建物が広い敷地に建ち並び、1日楽しめる施設だ。

だが今回、そんなグローバル・コモンへの懸念をよい方向に裏切ってくれたのがアフリカ共同館

といって具体的に何がいいというのは難しいのだけど……やっぱりひとえに、アフリカに関する情報をふだん接していないから、新鮮で面白いのだ。

考えてみれば、グローバリゼーションの進む昨今。欧米や、あるいはアジアの文化に接することは随分多い。実際に訪れることだってできる。
しかし、アフリカについてだけは、それがない。徹底的にない。唯一、TVの自然番組で動物の姿を見るくらいだ。
もしかすると僕やあなたの一生のなかで、この先もいちども訪れることがない…その可能性はかなり高いだろう。この現代にあって交流も情報も途絶した大陸。それがアフリカなのだ。
(アフリカ出身の方がもし読んでいたらごめんなさい)。

そんなアフリカの国がここで多数、お国自慢を出しているのだ。見慣れぬ彫刻(アフリカっぽい)とか太鼓の音とか、国家指導者の写真とか…。
もちろん僕が学生時代、民族学を勉強したことがあってそういう方面に興味を持っているということも大きいのだろう。いやあ、期待していなかったけど観覧しているうちに随分愉快な気持ちになってしまった。

anthropology_1意外なところで目をひいたのが、初期人類の化石がいくつか展示されていたこと。
そう! アフリカは人類発祥の地なのだ。古くは数百年前にアウストラロピテクスが生息し、その後猿人から原人、旧人などの進化を経て、現行人類もアフリカから誕生した。

実はこの春先に、「anthropology_2ルーシーの写真を掲げておきます。
ルーシーですぜダンナ! あのルーシー。…あ、でも複製ですが。
(調べてみたらこちらのブログでも紹介されていました。これとかこれとか)。

アフリカ共同館、マンセー!!


●中空に舞うブロードバンド

アフリカ共同館を出て、夕闇迫るなかグローバル・ループを歩いていると、またも思わぬものを発見。

buffalo_1気球である。

そしてその気球から垂れ下がる紐の先…。そこは万博会場の外の土地になるんだけど、中部大学がテントを張っている。
ああ、これかと。

これ、気球に無線LANのアクセスポイントを搭載し、長久手会場の一部をエリアにFREESPOT無線LANサービスを提供しているんだよね。無線LAN搭載のPCやPDAがあれば、会場内から無料でインターネットに接続できる。

buffalo_2この実験は、万博開始前にニュースリリースがあったので知っていたし、実験に協力している名古屋のメーカー、バッファローの人と仕事で会うこともあって、その席で話題にはなっていたのだ。

だが過去2回、長久手会場を訪れた際には、気球を見つけられなかった。

おまけに今回も別に無線LAN搭載のモバイル機器を持っているわけではなく…。いかに僕といえども、万博ツアーに重いPowerBookを持っていく気にはならない。
(ここらが、元祖モバイラーの山根一眞センセイには及ばないところである…)。

ということで無線LANをなりわいとする身でありながら、接続も試みずに次の観覧ポイントに向うのであった。

ちなみに素朴な疑問。気球から無線LANの電波を飛ばすのはよいとして、どうやって気球までインターネット回線のコネクティビティをもっていくのか?
答えは光ファイバケーブルでつないでいます、とのこと。遠くから紐に見える部分に光ファイバを通しているらしいよ。


●グローバル・ハウスで2005インチのシアターに出会う

globalhouse今回の最大の目的地。グローバル・ハウス
博覧会協会が出展するパビリオンである。

長久手会場のパビリオンの見物はトヨタグループ館日立グループ館なんだけど、行列を考えるとはなから諦めている。
僕のなかでは最大によかったのは前回のブログで書いたように瀬戸会場瀬戸愛知県館なんだけど、長久手会場ではせめて長久手日本館グローバル・ハウスのどちらかは観ておきたいなあと思っていた。
(といって、グローバル・ハウスのうちマンモスラボだけは単独観覧で2回も観ちゃってるんだけどね)。

そして今回入場と同時にグローバル・ハウスに赴いて整理券をゲット。長久手日本館は…今日も行列なのでまたも諦めました、ハイ。
ということで整理券の時間が来たのでグローバル・ハウスに。グローバル・ハウスの観覧コースは、ブルーコースとオレンジコースの2コースあるんだけど、今回はブルーコースに案内された。

sonyブルーコースにあるのは、ソニーのレーザー光プロジェクタ

眼前に、横幅50m、高さ10mというチョー広いスクリーンが広がっている。
これ、ちょうど2005インチなんだそう。

ソニーといえば、20年前の科学万博ででっかいトリニトロンを出展していたのが記憶に残る。
パビリオンではなく、会場の片隅にでかいテレビ「ジャンボトロン」を作って、どでんと据えていた。あれにはたまげた。

“大きいことはいいことだ”を、実際に形にした姿にインパクトは強烈だった。
そして20年後…。

この長久手会場の愛・地球広場では綺麗な大画面映像が表示されているのだけど、それはパナソニック製。
ソニーが見当たらないなあ…と思っていたら、なんとグローバルハウスのなかにあったのである。1985年はジャンボトロンで、2005年はレーザードリームシアターに広がる2005インチのスクリーン。

ここに、レーザープロジェクションシステムでミニ映画を上映された。

映像のタイトルは、「2005 Our Planet

いやあ、綺麗だった。当然写真撮影はNGだったんで上映中の模様をご覧いただけないのは残念だけど…。
映し出される自然の姿…目を見張るばかりの映像でしたよ。
原田知世の癒しトークも◎!

うちのテレビもこんなんだったらいいなあ。

でも…考えてみると、通信や映像という面に限ればかつて科学万博に展示されていたものって随分と実現してもう生活に入り込んでいる気がするよね。

通信の面では携帯電話なんてみんな持つようになったし、そこからTV電話もできるし。
映像でいうと、プレイステーション2で遊ぶとリアルなゲーム画面には毎度驚くし、まだ手に入れていないけど、ハイビジョンの液晶TVなんてものも、そろそろいつかのボーナスで買おうかなんて気になっている。
実現しているのは、リニアモーターカーだけじゃないのだ。

そう思うと、このレーザープロジェクションシステムというものも、遠からず普通に家庭の居間で楽しめるようになるんだろうかね。2005インチはさすがに無理だろうけど。

それにしても、このシステムの裏方が観たい! そう感じた。
映像にも感動するけど、それだけじゃおさまらない。僕のなかの、理系ココロがうずくのである。

この技術が、どんな自然科学の原理を使って、どういうからくりで動いているのか?
現時点ではどのくらいのコストで実現可能なのか?
将来の商品化のロードマップはどうなっているのか?
ソニーはどういう研究開発体制でこのプロジェクトを推進しているのか?

興味はつきず。

博覧会というスタイルで不満なのは、これらの思いに対する回答を十分に提示してくれないということだ。
一般大衆に受けるように十分にソフィストケートされてしまい、アトラクションとして楽しむことができるようになっている。もちろんそれは子供に夢を与えるとか、そういうものとしては非常にいいんだろうけどね。

でも、僕は大人…。三十路独身、ちょっとライトなオタク的嗜好を抱いた男性。
大人の言葉で語られる、テクノロジーの解説がほしいな。


●閉場間際、ポーランド料理を堪能

panasonicその後、会場内をまたまたうろうろ…。
愛・地球広場にある、パナソニック製の映像表示装置。こっちはHD対応LEDアストロビジョンで840インチなんだそう。周りが暗くて、イマイチよくわからんが…。


そして偶然、最後に食事のためだけに入ったポーランド館。ここが、なかなかに美味だった!

友人Rはポーランド風餃子を頼み、僕はジャガイモのパンケーキを注文したのだけど、いやあ、どちらもおいしかったな。味覚に関するボキャブラリーが貧弱でうまく表現できんが(スマヌ)。

ついでにいうと給仕の男性もなかなかに美男子! セバスチャンというらしかった。
(残念ながら僕は男子相手には萌えず…)。

生まれて初めてのボーランド料理に舌鼓。想定外の醍醐味ってやつだな。

テーブルにあった案内によると、、名古屋市内の白川公園周辺で、10月頃に日本初のポーランド料理レストランをオープンするとのこと。ホームページのURLが案内されていた。
 http://www.polonez.jp/
といってもアクセスしてみると、いまはこのポーランド館のレストランの情報しかないようだな。

さらに名古屋だけでなく、東京でも準備していると記述があった。
これは、なかなかに楽しみだな。名古屋か東京か。どちらでもいいから、オープンしたらいちど行ってみよう。


といったところでいよいよ閉場時間間際となり、キッコロゴンドラに乗って北ゲートへ…。そして帰りました。


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August 10, 2005

アイランド

ciscoスクリーンの向こうに、Cisco SystemsのIPフォンの未来が垣間見えた。

アイランド

映画のなかで使われている電話が、そう、Cisco Systems製なのだ。

といっても現状では存在しない製品である。なにせこの映画の舞台は2019年。
ふだん目にしている現行機種よりも、大幅に性能はアップしているらしい。映画のなかのCisco製IPフォンはビジュアル対応、つまりTV電話になっている。留守録も音声のみならず映像で記録するようにできているようだ。

それがなぜCisco Systems製とわかるのか?
一目瞭然である。Ciscoの企業ロゴが堂々と表示されているのだ。

ふむ…。

僕の仕事は一応、ネットワークエンジニア。

こういう分野で働いている人ならわかると思うけど、通信事業者や企業などにおける、インターネット関連の通信機器で最も使われるのはCiscoの製品。
ワールドワイドでのシェアはナンバーワンである。

当然、僕の仕事でもとても関わりが深い。
とゆうか、最近じゃCiscoのIPフォン製品を使ったSIのビジネスを立ち上げろと言われたりしとるんだわ。もろだがね。

ということで。なにかしら自分に関わりのあるものがスクリーンに出てくると、気になって目で追っちゃうよね。

Ciscoの電話機は、米国の映画やTVドラマにはわりとよく登場しているようだ。
以前観た映画では、スパイダーマン2などでさりげなく登場していた。僕は観ていないけど、24でも出てくるという話がある。
(ちなみに国内では、ドラマ「東京ラブ・シネマ」でも出てきたんだけど…気づいたのは僕くらいかな?)。

このアイランド、小道具としてさりげなく使われているのではなくて企業ロゴ入りで堂々と使われている。
しかもいまある製品ではなく、未来のカッコいい製品。つまり想像の産物なのだが、しっかり企業ロゴだけはついているから、やたら気になってしまった。

たんなる撮影協力ではなく、もしかするとスポンサーにでもなっているのかなあ? そう勘ぐりたくなるほどの露出ぶりだ。真相はいかに。

ちなみに冒頭では、Xboxのロゴが登場しているね。あと、街角端末にはMSN Search。MicrosoftにCisco Systems…勝ち組連合であるが。むむむ。
もしかすると僕が気がつかないだけで、この映画には、他の分野の有名ブランドも登場しているのかもしれない。

iland映画自体はテンポよく展開していって、少なくとも観る前に抱いていた予想以上には、面白かった。
クローン人間が主役という設定だけど、話の途中からほとんどスピード観溢れるアクション映画と化す。高速道路で暴走を繰り広げていたと思ったら、空飛ぶバイクでビルに突っ込んだり。その後70階から落っこちることになって、でもわけわからんうちに無事助かったりとかね。

近未来が舞台というところでは、なんとなくアイ,ロボットとか、マイノリティ・リポートとか、僕の脳内では連想する部分もあるが—。

結論として、2時間ちょっとの暇つぶしとしてはお薦めできる映画であると思う。

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August 01, 2005

亡国のイージス

夜空に次々と打ち上がる花火を、缶ビールを片手に一人眺める。
まわりはカップルが多いよな〜、やっぱり。ここは横浜の赤レンガ広場——。


mm8月1日、久々に横浜みなとみらいまでサイクリングをした。
ついでに映画を見て、花火を見物してきた。

この日は、いわゆる年休消化ってやつでお休み。世間的には映画の日で、映画鑑賞は1000円の日。
そして、毎年恒例の神奈川新聞花火大会の日でもあった。

休暇をとったところで僕にとくに予定があるわけでもなく、いたって暇な1日。
よし、映画と花火をセットで見てくるか、と。
そしてせっかくだから自転車漕いで行ってみよう、最近体動かしていないしな〜。そう思い立って、繰り出したわけだ。

僕が所有している自転車は、実は折り畳み式の電動アシスト自転車
namamugiなかなかにクールなマシンである。

しかしながらそのクールなマシンも、目下バッテリが壊れて目下電動アシストは機能しない。なんとっ。
電動アシストの効かない電動アシスト自転車。その存在にいったい何の意味があるのだろう。シュールだ…。

portsideでも、電動アシストの機構に代わって僕ががんばれば、自転車としてはちゃんと機能する。うぉ〜っ。
僕の住む、横浜市内の某所からみなとみらいまで片道8キロメートル。
国道に沿って平坦な道を行くので、障害は少ない。
(右側の写真は、途中の道中だす)。

映画を見終わってワーナーマイカルみなとみらいを後にするともう夕刻。周りは浴衣姿の乙女たちでいっぱいである。
akarenga浴衣の女性を見ると、“初(うい)やつよのう〜ほれほれ”(ムフ)とか、以前は思っていたけど……最近はただただ歳の差ばかり感じるようになってしまい、姿を拝見してもほとんど何も思わない。

人の流れにしたがって、僕もぶらぶらと赤レンガ倉庫のほうに足を向け、広場に場所をとる。

神奈川新聞の花火大会というのは、僕にとっては2回目。
毎年8月1日の日付固定で、平日の開催にも関わらずけっこうな人出らしい。でも、もともとみなとみらいって空き地ばっかりだから、たいして混乱もなくゆったりと眺められますね。これはなかなかいい。

それにしても見渡すと、冒頭に記したとおり周りはもっぱらカップルか、幸せな家族連れか、あるいは仕事帰りのサラリーマンの一団といったところ。
一人で見に来ている御仁といえば、三脚構えた写真愛好家か、いかにもルンペンふうのおっさんとかばかりですね。うーむ。

むむむ。

僕もこんなことしていると、独身のダークサイドにひたすら落ちていくのではないかと、自分でもちょっと心配にはなってくる。

…。

……。


さて、この日に見た映画は、亡国のイージス

ポジション的にはわりとセンターレフトな人間にも関わらず、この春から産経新聞なぞ購読しているワタクシ…(以前のブログ)。
亡国のイージスの製作者には、その産経新聞が名を連ねているようで、購読している新聞の紙面では何ヵ月も前から宣伝が繰り広げられていた。なるほどストーリーを伺うに、産経が好きそうなお話ではあるが…。

ただ、こうくどいほどにひたすら自社グループの企画を宣伝するというのは、新しい歴史教科書の問題を見ていてもそうなんだけど、フジサンケイグループの一つの特徴なんだろうかね。

まあ、邦画の大作であるので、僕にとってはそういうこととは関係なく鑑賞するつもりであった。
原作は、ガンダムオタクの小説家、福井晴敏さんである。


この映画を見て、彷彿とさせられる…というか、わりとすぐに思い出した映画・漫画の作品がある。
以下の3つのタイトルである。

(1) ザ・ロック
(2) 機動警察パトレイバー2 the Movie
(3) 沈黙の艦隊

rockわりと容易に連想するのは、ザ・ロックだろうな。

ワケあり軍人の反乱。化学兵器を奪って都市を人質にとるという行為。こっちでは護衛艦、向こうでは島という違いこそあれ、難攻不落の砦。

思いっきり似とるがね。なんというか醤油のかかった、和風テイストザ・ロックなんだよね。

役者陣を対応させると、真田広之がニコラス・ケイジ、如月行がショーン・コネリー(秘密工作員は若者でなく老獪なタフガイなんだよね)、寺尾聰がエド・ハリス…。中井貴一や佐藤浩市は誰だろう…う〜ん。ま、ザ・ロックには存在しないキャラだな。
いそかぜはアルカトラズ島で、東京はサンフランシスコ。GUSOHは、あれ、なんだっけ? 戦闘機からの強力な弾頭で、化学兵器を周辺もろとも一瞬にして焼き払う、という問題解決のアイデアも同じ。

2作品を見ている人なら確実に、相似に気づいてしまうはずだ。

機動警察パトレイバー2 the Movieは、自衛隊の反乱というテーマで、僕の脳内ではつながった。

パトレイバー自体は、このむびろぐでもなんどか触れている通り、暴走する犯罪ロボット(レイバーと呼ぶ)を取り締まるため警察に設けられたレイバー部隊をとりまくあれこれを描いた、まロボットアニメ版「踊る大捜査線」といえるものなんだけど。

その映画版第2作機動警察パトレイバー2 the Movieは、パトレイバーの舞台設定を借りて、国家の現状に不満をもつ一部の扇動家が、覚醒を促すために自ら策謀をめぐらし危機を演出する様子—いわば平成の2・26事件を描いた作品である。

ちょっと違うのは、亡国のイージスはどうにも右翼っぽいんだけど、機動警察パトレイバー2 the Movieの視点は左翼っぽいんだよね。1993年の公開だからそうだね、いまに比べてまだまだ左翼の論理が力を残していた時代の、香りが漂っているんだろうな。

chinmokunokantai沈黙の艦隊は、同じ頃に週刊モーニングに連載されていた漫画作品だ。
今回の映画は、無敵の艦船としてイージス艦が舞台に選ばれているわけだが、沈黙の艦隊のそれは、原子力潜水艦だった。

政財界が極秘裏に建造し、米軍所属とした国産の原子力潜水艦。そいつが独立国家を名乗って脱走し、米ソの艦隊をなぎ倒し、世界政府の樹立を掲げて海江田艦長が国連総会に登壇するという、ホントむちゃくちゃでご都合主義的展開ふんだんで、それゆえ壮大かつ爽快なストーリーのコミックだった。

冷戦が終わった直後の、これから世界はどうなる?という模索していた時期でもあり、そうした雰囲気を非常に濃く漂わせている。当時の世界は、新しい秩序を作っていく多くの機会にまだまだ満ちていた。民族紛争は噴出しかけていたけど、テロも拉致もないし、あるいは、インターネットとか、この21世紀を象徴する多くのものがまだなかった(…いまから思えば、あの頃はよかったな。)

この作品もいま読み返すと左翼っぽい。
憶測だけど、作者のかわぐちかいじ氏は軍事マニアではあろうけど、本質的にはきっと左の人なんだという気がする。

特徴的なのは独立国家を名乗る無敵の潜水艦“やまと”は、日本国の自衛隊と同じく、専守防衛をモットーにしているところ。
米軍が攻撃するまではけっして反撃しないし、にも関わらずニューヨークまで到達してしまって、最後の海戦では魚雷を使わずビーコンだけで仮想的に米艦隊を全艦撃沈するというマネまで繰り広げてしまう。

亡国のイージスでは、現実の戦争では専守防衛は成り立たないのだ、ということを示すため直前まで味方として行動していた護衛艦が標的になる。有無を言わせる間もなく、ミサイルを発射していきなり沈めちゃうんである。それと比べると、まっこと対照的であるよね。
chinmokunokantai_1しかし友軍がいきなり反乱を起こしたら、べつに専守防衛じゃない軍隊だって対応できないだろ…。それを「よく見ろ日本人、これが戦争だ」というのは、映画的ではあるけどちょっとゴーインか?

で、これが沈黙の艦隊だと、護衛艦隊は米艦隊との戦闘に巻き込まれるなかにあって、攻撃されても一切応射するなという指令を出されて身動きがとれない。
そんな護衛艦隊の姿を見ても、“やまと”の海江田艦長はなぜかわりとポジティブ。「やはり日本は銃を持っていても撃てぬ国らしい。いい国……だ」とほくそ笑む。
chinmounokantai_2いやあ、盲目的なまでの専守防衛への信奉である。

かわぐちかいじ氏は、この専守防衛の理念がかなり気に入っている模様。現在連載中のジパング——これは、21世紀の護衛艦が太平洋戦争さなかにタイムスリップしてしまうという、これまた荒唐無稽な設定の漫画だけど—そのなかでもタイムスリップして護衛艦みらいの梅津艦長にこう喋らせている。
「専守防衛は平時のお題目ではない。我々の灯台じゃよ」
zipang太平洋戦争の戦闘に巻き込まれ初の戦死者を出した直後でなおこのセリフ。相当の確信犯である。

沈黙の艦隊について言うと、なにせ執筆当時は湾岸戦争の後で、国連のPKO活動に自衛隊を出せるかどうかで揉めていた頃。いまのようなイラク派遣とか有事法制の整備とか全く考えられなかったし、そもそも野党第一党はまだ、自衛隊は憲法違反だと主張していた。そんな時代である。
そんななかで教条主義的な二項対立に陥らないための方便としては、理念を肯定しつつ状況を一気に飛躍させるストーリー展開が求められたんだろうね。


専守防衛という理念の扱いと同時に、亡国のイージスと比べて沈黙の艦隊の特徴としてもう一つ浮かび上がることがあるとすれば、民主主義のプロセスの重視ということかな、と思う。

実は、亡国のイージスを見ていて、何がいったい“亡国”なんなんだよ、といそかぜ反乱の道理が腑に落ちないところがあった。いまの日本は国としての在り方を失っている、と言われたってな〜。
この辺は、映画の上映時間の制約などもあって、もしかすると細かく盛り込めなかった部分なのかもしれないけど…(原作ではちゃんと説明しているのかな?)。
いずれにせよ、亡国と言われたって、ここの政府は正当で民主的な手続きを経て成り立っているんだし。そもそも納税者が国家に差し出したお金があるからこそ、イージス艦などの装備も揃うし、給料も払えるんである。お金の出所を考えずに亡国とはなにごとじゃ〜。よしんば亡国であったとしても、あくまでそれを守って働くのが筋だろ。おい。

…と映画の登場人物の理屈にケチをつけてもしょうがないわけけど。ただ、反乱というものはいかに高邁な理想を掲げたところで、ケチをつけられるのはかようにたやすきものなのである。
仮に、腐敗からはるかに遠く清純な存在であったとしても、反乱軍というもの自体が根本的な欠陥をはらんでいる。それは、言うまでもなく正統性の欠如だ。

自分勝手な理屈で武力を奪って突き進むのであれば、それは過激派とか、それこそ強盗とか何ら変わらないということになる。
その辺の犯罪者と違うことを示すためには、自分たちの行動が恣意的なものではなく、民衆の支持があることをできるだけ速やかに示さなければならない。

かわぐちかいじ氏は作品を執筆していてその矛盾にわりと早く気づいたのであろう。沈黙の艦隊では、独立国を名乗る潜水艦“やまと”の理想に協力することの是非をめぐり、日本国の総選挙が争われる。そして、“やまと”支持の政権が成立。話の途中で、民主主義の折り紙をつけてしまったわけだ。
さらに物語が進んで終盤では、国連総会が舞台になったり、さらには衛星放送とネットワークを駆使した同時投票という形で、世界市民全体の意思を現すということまで描いちゃっている。

亡国のイージスの物語においては、いそかぜの幹部たちは正統性を得る努力に欠ける。というか、この面に関してはほとんど何もしないのである。
反乱が即座に崩壊するのも、必然であるといえよう。


結局。この映画の教訓として僕が得たもの。
いやあ、シビリアンコントロールって大切だよな〜ということ。たくさん人を殺せる武器をもったなら、なおさらである。
あわせて“亡国”とかなんとか一人よがりな理屈を本当にのたまわれたら困るわけで(ま、そんなことはまず絶対ないんだろうけど)、逆にいまのこの国の価値観を守るものとして存在するのが、自衛隊であるべきだと思うよ、ってこと。

そんなところである。

まあ、なんだかんだいっても防衛庁の全面協力を仰いで作られただけあって(石破茂さん、ありがとう)、艦船などのハード面では強烈にリアルに迫ってくるものがあります。ミリタリーオタクな人にとっては垂涎の1本と言えましょう。

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