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August 01, 2005

亡国のイージス

夜空に次々と打ち上がる花火を、缶ビールを片手に一人眺める。
まわりはカップルが多いよな〜、やっぱり。ここは横浜の赤レンガ広場——。


mm8月1日、久々に横浜みなとみらいまでサイクリングをした。
ついでに映画を見て、花火を見物してきた。

この日は、いわゆる年休消化ってやつでお休み。世間的には映画の日で、映画鑑賞は1000円の日。
そして、毎年恒例の神奈川新聞花火大会の日でもあった。

休暇をとったところで僕にとくに予定があるわけでもなく、いたって暇な1日。
よし、映画と花火をセットで見てくるか、と。
そしてせっかくだから自転車漕いで行ってみよう、最近体動かしていないしな〜。そう思い立って、繰り出したわけだ。

僕が所有している自転車は、実は折り畳み式の電動アシスト自転車
namamugiなかなかにクールなマシンである。

しかしながらそのクールなマシンも、目下バッテリが壊れて目下電動アシストは機能しない。なんとっ。
電動アシストの効かない電動アシスト自転車。その存在にいったい何の意味があるのだろう。シュールだ…。

portsideでも、電動アシストの機構に代わって僕ががんばれば、自転車としてはちゃんと機能する。うぉ〜っ。
僕の住む、横浜市内の某所からみなとみらいまで片道8キロメートル。
国道に沿って平坦な道を行くので、障害は少ない。
(右側の写真は、途中の道中だす)。

映画を見終わってワーナーマイカルみなとみらいを後にするともう夕刻。周りは浴衣姿の乙女たちでいっぱいである。
akarenga浴衣の女性を見ると、“初(うい)やつよのう〜ほれほれ”(ムフ)とか、以前は思っていたけど……最近はただただ歳の差ばかり感じるようになってしまい、姿を拝見してもほとんど何も思わない。

人の流れにしたがって、僕もぶらぶらと赤レンガ倉庫のほうに足を向け、広場に場所をとる。

神奈川新聞の花火大会というのは、僕にとっては2回目。
毎年8月1日の日付固定で、平日の開催にも関わらずけっこうな人出らしい。でも、もともとみなとみらいって空き地ばっかりだから、たいして混乱もなくゆったりと眺められますね。これはなかなかいい。

それにしても見渡すと、冒頭に記したとおり周りはもっぱらカップルか、幸せな家族連れか、あるいは仕事帰りのサラリーマンの一団といったところ。
一人で見に来ている御仁といえば、三脚構えた写真愛好家か、いかにもルンペンふうのおっさんとかばかりですね。うーむ。

むむむ。

僕もこんなことしていると、独身のダークサイドにひたすら落ちていくのではないかと、自分でもちょっと心配にはなってくる。

…。

……。


さて、この日に見た映画は、亡国のイージス

ポジション的にはわりとセンターレフトな人間にも関わらず、この春から産経新聞なぞ購読しているワタクシ…(以前のブログ)。
亡国のイージスの製作者には、その産経新聞が名を連ねているようで、購読している新聞の紙面では何ヵ月も前から宣伝が繰り広げられていた。なるほどストーリーを伺うに、産経が好きそうなお話ではあるが…。

ただ、こうくどいほどにひたすら自社グループの企画を宣伝するというのは、新しい歴史教科書の問題を見ていてもそうなんだけど、フジサンケイグループの一つの特徴なんだろうかね。

まあ、邦画の大作であるので、僕にとってはそういうこととは関係なく鑑賞するつもりであった。
原作は、ガンダムオタクの小説家、福井晴敏さんである。


この映画を見て、彷彿とさせられる…というか、わりとすぐに思い出した映画・漫画の作品がある。
以下の3つのタイトルである。

(1) ザ・ロック
(2) 機動警察パトレイバー2 the Movie
(3) 沈黙の艦隊

rockわりと容易に連想するのは、ザ・ロックだろうな。

ワケあり軍人の反乱。化学兵器を奪って都市を人質にとるという行為。こっちでは護衛艦、向こうでは島という違いこそあれ、難攻不落の砦。

思いっきり似とるがね。なんというか醤油のかかった、和風テイストザ・ロックなんだよね。

役者陣を対応させると、真田広之がニコラス・ケイジ、如月行がショーン・コネリー(秘密工作員は若者でなく老獪なタフガイなんだよね)、寺尾聰がエド・ハリス…。中井貴一や佐藤浩市は誰だろう…う〜ん。ま、ザ・ロックには存在しないキャラだな。
いそかぜはアルカトラズ島で、東京はサンフランシスコ。GUSOHは、あれ、なんだっけ? 戦闘機からの強力な弾頭で、化学兵器を周辺もろとも一瞬にして焼き払う、という問題解決のアイデアも同じ。

2作品を見ている人なら確実に、相似に気づいてしまうはずだ。

機動警察パトレイバー2 the Movieは、自衛隊の反乱というテーマで、僕の脳内ではつながった。

パトレイバー自体は、このむびろぐでもなんどか触れている通り、暴走する犯罪ロボット(レイバーと呼ぶ)を取り締まるため警察に設けられたレイバー部隊をとりまくあれこれを描いた、まロボットアニメ版「踊る大捜査線」といえるものなんだけど。

その映画版第2作機動警察パトレイバー2 the Movieは、パトレイバーの舞台設定を借りて、国家の現状に不満をもつ一部の扇動家が、覚醒を促すために自ら策謀をめぐらし危機を演出する様子—いわば平成の2・26事件を描いた作品である。

ちょっと違うのは、亡国のイージスはどうにも右翼っぽいんだけど、機動警察パトレイバー2 the Movieの視点は左翼っぽいんだよね。1993年の公開だからそうだね、いまに比べてまだまだ左翼の論理が力を残していた時代の、香りが漂っているんだろうな。

chinmokunokantai沈黙の艦隊は、同じ頃に週刊モーニングに連載されていた漫画作品だ。
今回の映画は、無敵の艦船としてイージス艦が舞台に選ばれているわけだが、沈黙の艦隊のそれは、原子力潜水艦だった。

政財界が極秘裏に建造し、米軍所属とした国産の原子力潜水艦。そいつが独立国家を名乗って脱走し、米ソの艦隊をなぎ倒し、世界政府の樹立を掲げて海江田艦長が国連総会に登壇するという、ホントむちゃくちゃでご都合主義的展開ふんだんで、それゆえ壮大かつ爽快なストーリーのコミックだった。

冷戦が終わった直後の、これから世界はどうなる?という模索していた時期でもあり、そうした雰囲気を非常に濃く漂わせている。当時の世界は、新しい秩序を作っていく多くの機会にまだまだ満ちていた。民族紛争は噴出しかけていたけど、テロも拉致もないし、あるいは、インターネットとか、この21世紀を象徴する多くのものがまだなかった(…いまから思えば、あの頃はよかったな。)

この作品もいま読み返すと左翼っぽい。
憶測だけど、作者のかわぐちかいじ氏は軍事マニアではあろうけど、本質的にはきっと左の人なんだという気がする。

特徴的なのは独立国家を名乗る無敵の潜水艦“やまと”は、日本国の自衛隊と同じく、専守防衛をモットーにしているところ。
米軍が攻撃するまではけっして反撃しないし、にも関わらずニューヨークまで到達してしまって、最後の海戦では魚雷を使わずビーコンだけで仮想的に米艦隊を全艦撃沈するというマネまで繰り広げてしまう。

亡国のイージスでは、現実の戦争では専守防衛は成り立たないのだ、ということを示すため直前まで味方として行動していた護衛艦が標的になる。有無を言わせる間もなく、ミサイルを発射していきなり沈めちゃうんである。それと比べると、まっこと対照的であるよね。
chinmokunokantai_1しかし友軍がいきなり反乱を起こしたら、べつに専守防衛じゃない軍隊だって対応できないだろ…。それを「よく見ろ日本人、これが戦争だ」というのは、映画的ではあるけどちょっとゴーインか?

で、これが沈黙の艦隊だと、護衛艦隊は米艦隊との戦闘に巻き込まれるなかにあって、攻撃されても一切応射するなという指令を出されて身動きがとれない。
そんな護衛艦隊の姿を見ても、“やまと”の海江田艦長はなぜかわりとポジティブ。「やはり日本は銃を持っていても撃てぬ国らしい。いい国……だ」とほくそ笑む。
chinmounokantai_2いやあ、盲目的なまでの専守防衛への信奉である。

かわぐちかいじ氏は、この専守防衛の理念がかなり気に入っている模様。現在連載中のジパング——これは、21世紀の護衛艦が太平洋戦争さなかにタイムスリップしてしまうという、これまた荒唐無稽な設定の漫画だけど—そのなかでもタイムスリップして護衛艦みらいの梅津艦長にこう喋らせている。
「専守防衛は平時のお題目ではない。我々の灯台じゃよ」
zipang太平洋戦争の戦闘に巻き込まれ初の戦死者を出した直後でなおこのセリフ。相当の確信犯である。

沈黙の艦隊について言うと、なにせ執筆当時は湾岸戦争の後で、国連のPKO活動に自衛隊を出せるかどうかで揉めていた頃。いまのようなイラク派遣とか有事法制の整備とか全く考えられなかったし、そもそも野党第一党はまだ、自衛隊は憲法違反だと主張していた。そんな時代である。
そんななかで教条主義的な二項対立に陥らないための方便としては、理念を肯定しつつ状況を一気に飛躍させるストーリー展開が求められたんだろうね。


専守防衛という理念の扱いと同時に、亡国のイージスと比べて沈黙の艦隊の特徴としてもう一つ浮かび上がることがあるとすれば、民主主義のプロセスの重視ということかな、と思う。

実は、亡国のイージスを見ていて、何がいったい“亡国”なんなんだよ、といそかぜ反乱の道理が腑に落ちないところがあった。いまの日本は国としての在り方を失っている、と言われたってな〜。
この辺は、映画の上映時間の制約などもあって、もしかすると細かく盛り込めなかった部分なのかもしれないけど…(原作ではちゃんと説明しているのかな?)。
いずれにせよ、亡国と言われたって、ここの政府は正当で民主的な手続きを経て成り立っているんだし。そもそも納税者が国家に差し出したお金があるからこそ、イージス艦などの装備も揃うし、給料も払えるんである。お金の出所を考えずに亡国とはなにごとじゃ〜。よしんば亡国であったとしても、あくまでそれを守って働くのが筋だろ。おい。

…と映画の登場人物の理屈にケチをつけてもしょうがないわけけど。ただ、反乱というものはいかに高邁な理想を掲げたところで、ケチをつけられるのはかようにたやすきものなのである。
仮に、腐敗からはるかに遠く清純な存在であったとしても、反乱軍というもの自体が根本的な欠陥をはらんでいる。それは、言うまでもなく正統性の欠如だ。

自分勝手な理屈で武力を奪って突き進むのであれば、それは過激派とか、それこそ強盗とか何ら変わらないということになる。
その辺の犯罪者と違うことを示すためには、自分たちの行動が恣意的なものではなく、民衆の支持があることをできるだけ速やかに示さなければならない。

かわぐちかいじ氏は作品を執筆していてその矛盾にわりと早く気づいたのであろう。沈黙の艦隊では、独立国を名乗る潜水艦“やまと”の理想に協力することの是非をめぐり、日本国の総選挙が争われる。そして、“やまと”支持の政権が成立。話の途中で、民主主義の折り紙をつけてしまったわけだ。
さらに物語が進んで終盤では、国連総会が舞台になったり、さらには衛星放送とネットワークを駆使した同時投票という形で、世界市民全体の意思を現すということまで描いちゃっている。

亡国のイージスの物語においては、いそかぜの幹部たちは正統性を得る努力に欠ける。というか、この面に関してはほとんど何もしないのである。
反乱が即座に崩壊するのも、必然であるといえよう。


結局。この映画の教訓として僕が得たもの。
いやあ、シビリアンコントロールって大切だよな〜ということ。たくさん人を殺せる武器をもったなら、なおさらである。
あわせて“亡国”とかなんとか一人よがりな理屈を本当にのたまわれたら困るわけで(ま、そんなことはまず絶対ないんだろうけど)、逆にいまのこの国の価値観を守るものとして存在するのが、自衛隊であるべきだと思うよ、ってこと。

そんなところである。

まあ、なんだかんだいっても防衛庁の全面協力を仰いで作られただけあって(石破茂さん、ありがとう)、艦船などのハード面では強烈にリアルに迫ってくるものがあります。ミリタリーオタクな人にとっては垂涎の1本と言えましょう。

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