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November 27, 2005

ALWAYS 三丁目の夕日

僕は、昭和の最後の16年間ばかりを自分の人生として体験している。
愛知県の実家にいた当時。振り返ると僕の頭をとらえて離れなかった不安があった。

核戦争の恐怖。

その頃、世界はまだ冷戦のさなかだった。米国とソ連という二つの超大国が、覇権を競い世界を何度も破滅に追い込めるほどの核弾頭を保有して対立していた。

核戦争後の地球」「ザ・デイ・アフター」「風が吹くとき」…核戦争をテーマにしたテレビ番組や映画が何本も作られた。TVで放映されるそうした番組を目にするたびに僕は夜、寝らなくなり、翌日の教室は人類滅亡の話題で騒然となった。1999年7の月に空から恐怖の大魔王が降ってくるというノストラダムスの大予言は、核ミサイルの飛来を示していると信じて疑わなかった。

実際、ソ連の核弾頭のいくつかは、日本にも向けられるとされていた。その標的の一つとされていたのが、通称・刈谷の鉄塔。 米軍の無線通信設備であった依佐美送信所のことだ。
核戦争になったら、この平和な西三河に広がる田園や家々や学校は焼かれ、空にはキノコ雲が舞い上がり、放射線と火傷にやられてみんな死んでしまうのだ。みんな「はだしのゲン」の登場人物みたいな姿になってしまうのだ。

その光景を脳裏に浮かべて僕は戦慄した。そして信じられなかった。この状況の下で、大人たちはどうしてみんな安穏と生活を営んでいられるのだ?

シュールだった。あまりにもシュールな時代だった。庶民のレベルでは表面的には安穏と生活を営んでいたように見えつつも、あの時代のあの状況は多くの思想や文学、芸術に深い刻印を残していったのはたしかだ。
だいたい当時、僕が空き時間を使って帳面に描いていた漫画にも(実際には漫画というレベルになく、ストーリー性を持った落書きといった程度のものだが)、狂った米ソの首脳が核ミサイルのボタンを押し、名古屋や東京や、世界の各地にキノコ雲が上がるというオチが頻繁に盛り込まれたものだ。


それに比べて、よい時代になったものだと思う。

僕が高校生になった頃、日本では昭和がまさに終わろうとしていた時だったけど、冷戦が終結した。
米ソの首脳が握手をして核弾頭を削減する条約に署名し、東欧の国家が民主化され、ベルリンの壁が打ち壊された。ブラウン管に映るそれらの光景に、僕は感動していた。
世界は一瞬のうちに、変わってしまうことがあるのだ。しかも、よい方向へと。

あれから20年近くがたつ。
大国はいまだに核兵器を手放していないが、全面核戦争が起こるとは到底思えない。テロの心配はあるけれど、そうしたことに個人が巻き込まれるかどうかは運不運、確率の問題だろう。近隣の国ぐにとの関係悪化とか、環境問題とか、深刻な問題は横たわっているけれど、だからといって今日明日にみんなひどい目に遭うといった火急の事態にはならないだろう。

人類が、その愚かさで自らの文明の存続にトドメをさしかねない時代はもはや過ぎ去ったのだ。本当に、いい時代になったものだ。


11月27日に、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を鑑賞する。
昭和33年の東京を再現しているということで、その映像が話題になっている作品だ。

kureyon_5こんな映画が話題になる時代に僕が言いたいことは、“前を見てイ㌔”ということに尽きる。
で、そのことについてはかつて映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」の感想のところで述べた(その時のブログ」)。

その繰り返しにもなるのだけれど、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」は、本当に素晴らしい映画だった。この作品では5年前に既に、20世紀のノスタルジーに虜になる大人たちの姿を描いている。そしてそれだけでなく、力強い明日へのメッセージをしんちゃんに託して言わせている。「オラたちはどうなってしまうのさ〜」と。

われわれはしんちゃんたちの世代と、21世紀を生きるしかないのだ。
ALWAYS 三丁目の夕日」は、それが公開されるはるか前に、そのヒットする状況を風刺し、その独善的な論理を看破する作品が作られていた。みんな「クレヨンしんちゃん」を見て目を覚ませ。

だいたい、その時代、貧乏のなかの善意があったかもしれないけど、いっぽうで矛盾にも満ちた時代でもあった。庶民の生活の手の届かないところで米ソの対立があり、核戦争の恐怖が世界を覆っていたことは(ICBMはまだなかったかもしれないけど)上で書いた通りだ。
だから、あの時代がアプリオリによきものだったとしてとらえるのは、どうかと思う。

それに僕らはこれから、21世紀をよいものにしていかなければならない。そのモデルは過去にはない。たしかにエアカーも、チューブを走る高速列車も実現していないけれど、いまははるかにいい時代だ。それを生かさずしてどうする?

前を見てイ㌔。


と、そういう決意表明はこれで置いておくと。映画はそれなりに面白かったね。なによりこの映像は一見の価値はあることは間違いないから、鑑賞して損はないと思う。
登場人物が全て善人であるという設定には「そんなことありえね〜」との思いが頭をよぎるけど、原作が「三丁目の夕日」だからそこはいいのだ。

あと、青森育ちの純情娘にふんした堀北真希がかわいい。いままで都会の高校生役が多かったと思うけど(「ケータイ刑事銭形舞」とか)、ちょっとイメージが変わった。萌え…。
と言うていたところ職場ではまた、「誰それ?」って聞かれたんだけど。いまフジフィルムのお店で、晴れ着姿の等身大ポスターで写真年賀状の宣伝している女のコですヨ!

 horikita

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November 26, 2005

ブラザーズ・グリム

●珍妙なる体験

ドクター中松フライングシューズを履いてみた。

 jumping_shoes

えーと、勤労感謝の日に知人のお宅にお呼ばれに預かり、西東京市まで車を走らせてきた。僕と同じく西三河出身の奥さんの手によるキムチ鍋にしばし舌鼓を打ち、3歳の娘さんと楽しく戯れる。

で、その知人なぜかドクター中松フライングシューズを所有しているという。彼の独身時代に購入したものらしいのだが、ベランダに放置されていたそのシロモノを、話の流れで実際に履いてみることに…。

知人自身ももう5年以上これでジャンプしていないらしく、足を通すと次々とプラスティック部品が欠損していく。なんとか装着完了! …不安定な足場にふらつく。

で、ピョンピョンと飛び跳ねてみたいところだけど、僕が履き慣れないためか、あるいは古くなってバネが弱まっているのかあまり跳ねない。
どうにかこうにか、マンションのベランダを走ってみる。

 jumping_shoes_2

本当は時速40キロメートルで走れるものらしいが…。
それにしても、ここでもしどこかの住戸のドアが開き、住民が出てきたら僕の人生はどうなってしまうのであろうか。

ドクター中松フライングシューズを履くのは、僕にとってこの日が人生最初で最後の体験になると思う。たぶん。


●久々に洋画を鑑賞する

というところで、事実は映画より珍妙なり、と言える体験をしたのだが、その後に鑑賞した映画は、「ブラザーズ・グリム」。これもまた珍妙なるストーリーの映画であった。

鑑賞したのは11月26日の土曜日。
久しぶりにレイトショーに足を運んだ。そういえば、今月は、なんだかずっと映画を鑑賞していなかったなあ。といっても、観たいと思わせる映画が少なかったわけでは決してない。むしろ、11月には気になる作品がかなり多かった。

昭和33年の東京を再現した映像が話題の「ALWAYS 三丁目の夕日」とか、ガンダムオタクにとって必見になっている「機動戦士ZガンダムII 恋人たち」とか(僕は必ずしもガンダムファンではないのだが)、昨年のNHKの朝の連ドラ「天花」のヒロインでかなりひどい演技を見せていたnon-no出身のモデル・藤澤恵麻初主演映画の「奇談」とか(はたして恵麻はその後、芸がちっとはうまくなったのか?)とか。数え上げればことかなないほどある。
こんなにあるんだけど、他の予定が入ったりして、なかなか映画館に足が向かわなかったんだよね。

この日も上記のいずれかを観ようと思ったのだけど、上映館と時間がどれもあわず、さほど優先度は高くなかった「ブラザーズ・グリム」を観ることにした。
2時間の上映時間を経験した後の印象としては、僕のなかでは、そうですね、映画「タイムライン」と同じくらいのオススメ度と言えましょうか。万人に対し面白いと思わせられるかは微妙なレベルだけど、時間潰しに観るには悪くないくらいの作品といったところ。

気づけばこの映画、僕にとっては随分と久しぶりに洋画の作品になる。僕は観た映画の記録は必ずこの「むびろぐ」につけているから、ご覧のみなさんは過去のブログを探っていただければわかると思うけど…。
調べてみると、8月の「ヒトラー〜最後の12日間」以来ですか。その前は、同じ8月に「アイランド」を観ているな。

最近は邦画のほうが気になる作品が多い。ふむ、なぜだろう。これについて、また別の機会に考察してみたいところだが。


●砧公園でイスラム芸術を堪能

 setagaya_art_200511

その映画「ブラザーズ・グリム」を鑑賞した26日、日中の僕は世田谷区の砧公園を訪れていた。

公園内にある世田谷美術館で開催されている「宮殿とモスクの至宝」が気になって、車を走らせ環状8号線を北上して鑑賞に赴いたのだ。
なにせイスラム世界の芸術なんて、ふだんなかなか目にすることもないだろうし。僕は歴史系の展示でちょっとマイナーな部類に属するものは、がぜん観ておきたいという気が高まって足を運んでしまうことが多い。

この展覧会も、僕を満足させるに十分なものであった。金属細工やらガラス工芸やら絨毯やらの上に展開された、いにしえの、遠きくにぐにの芸術作品に目を見張る。

ただ思ったのは、偶像崇拝を禁じたイスラムでは、あくまでパターン化された抽象的な文様にとどまると僕は教科書的に思い込んでいたのだけど、地域や王朝によってはけっこう人物像や動物など描き込まれているんだね。
とくに、たとえばオスマン朝トルコは見事に抽象的で、一方同じ時期のサファビー朝イランのほうはそうでもなくはなやかな図像も描かれるようだけど。トルコとイランで芸術の指向性が違ったという理解をしていて正しいのだろうか? (イスラム芸術史について詳しくないので…もし間違っていたらすみません)。

そういえば、愛知万博でイラン館の入り口にモリゾーとキッコロが織り込まれたベルシャ絨毯が飾られていた。あれを目にした時は、マスコットキャラクタなんて偶像以外のなにものでもないし、イスラム的に問題ないのかしらんと思ったけど。でも、こういう歴史の文脈で理解すればいいってことなのかな。

 

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November 20, 2005

義経

なんとなく、ではあるのだけどほぼ1年に渡って鑑賞する大河ドラマに久々にめぐりあってしまった。

「義経」である。

せっかく観ているのに、このむびろぐに書き留めずに置くのもなんだかな、と思ったので、今日ここにまとめておく。

観ているわりには、この主人公の義経を、僕はあまり好きにはなれない。
もっぱら渡哲也演じる平清盛とか、中井貴一演じる源頼朝のほうにばかり注目していた。

だいたい義経は、このドラマのなかで時折「新しき国をめざす」と言うのだけど、口先で理念だけ言っているだけで、実現のための努力を何らしていない。現実を顧みず理想を言うだけなら誰にだってできる。それは、究極の野党のスタンスだ。

それに比べて、鎌倉に幕府を築き上げようとしている頼朝の、なんとも重みのあることか、
そう。僕は元来、義経より頼朝が好きな人間なのだ。これは7年間、頼朝のお膝元である鎌倉市内に住んでいたことも大きいんだろうけど。より重い責任を背負って、新しい時代を開こうとした人物なのだ。

このドラマを観ると、そんなことを考えてしまうのだ。

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November 13, 2005

吉野ヶ里歴史公園

僕の古い友人K君は、吉野ヶ里の遺跡発掘で出会った彼女と結婚した。

東京の大学で考古学を学んだK君。そのまま専門の道に進んだ。
東京で働く地元の旧友たちで飲んでいた時に、朴訥で不器用だったK君が、佐賀で知り合って初めて彼女ができたと言い、「こんなことは僕の人生にはないとあきらめていた。幸せだよ」と嬉しそうに語っていたことが思い出される。

それを聞いていた僕のほうは、それから幾年もたつにもかかわらず、いまだ独身なのではあるが。いや僕は全然あきらめていませんけどね。

吉野ヶ里で育まれた恋。萌え…。


 yoshinogari


それにあやかろうとしたわけではないけど、九州滞在の2日目は佐賀県の吉野ヶ里歴史公園を訪れる。

JR長崎本線の吉野ヶ里公園駅から徒歩10分。田んぼのなかに整備された道を歩いていくと、遠方に報道でなんども目にしておなじみとなった、再現された弥生の建物群が目に入る。
いや〜、ようやっとここにやってこれましたよ。思えば長かったなあ。

弥生時代の遺跡といえば、僕にとってなじみが深かったのは静岡県の登呂遺跡だ。小学生の頃、社会科の教師をしていた父になんども連れられて行った。

その後時代が昭和から平成に変わる頃、登呂遺跡並みの考古学上の大発見が報道された。佐賀県の工業団地造成予定地の調査発掘で現れた巨大環濠集落。それが吉野ヶ里だった。

新聞に見出しが踊り、ニュースで騒がれていたのが記憶に残る。

しかし平成元年って、考えてみれば僕はまだ高校生だったことになる。
騒いでいたのがつい先日のように思っていたけど、早くも16年たっているわ16年といえば、遺跡が報道された年に生まれた連中が当時の僕の歳にまで育ってきていることになる。ほえ。ということは彼らにとっての吉野ヶ里は、俺にとっての連合赤軍事件とか沖縄返還みたいな位置づけか。げええ。

着実に年月がたっている事実に改めて驚く。

そう思うと、ここに足を向けるまで本当に長かった。もっと早く訪れてよかったんだがね。今回まさにマイルのおかげである。
ま、話題になった遺跡としてはまだ青森の縄文遺跡・三内丸山も残しているわけだけど。

のんびりと公園内を散策する。竪穴住居に入ったり、空中楼閣に上ったり、墳丘墓を眺めたり、ひとり満喫する。毎度のことながら古い遺跡、遺物を観るっていいよなあ。
古い時代のものを眺める時。それを作った人の魂を感じ、後世になって見つけ出された僥倖や、あるいは残そうと受け継いできた人たちの努力に思いを馳せ…そうやって積み重ねたものの先に僕がいていま目にしているということに、心洗われる思いがするんだよね。
たかだか16年がなんだ。

公園の一角に建つ吉野ヶ里遺跡展示室に入る。すると、耳慣れたナレーションが聞こえた。このぶっきらぼうな言い切り口調は、もしやあの田口トモロヲの…!?
NHKの看板番組(だった)「プロジェクトX」。この吉野ヶ里遺跡を取り上げた回のDVDが、室内の一角で上映されていたのだ。

これね。

 王が眠る・神秘の遺跡〜父と息子・執念の吉野ヶ里〜
 http://www.nhk.or.jp/projectx/76/index.htm

全部観てしまった。
父の思いをなしとげて遺跡を発掘した文化財調査員。郷土を誇りに思う発掘現場のおばちゃん。うっ。歳を重ねていく親を地方において東京で働いている身なので、こういうシチュエーションには弱い。
その前にサービスセンターのレストランにて昼飯ついでに飲んだビールでほろ酔い、ピュアになっているからだろうか。番組の演出にあわせて思わず涙が出そうになる。


ということで、遺跡そのものに感激し、さらにプロジェクトXの演出にもハートを揺さぶられ、感動のダブルパンチをくらって、念願の遺跡訪問を終えたのである。
この遺跡のおかげで嫁さん見つけたK君ほどの成果はないけれど、僕もこの地で気持ちをリフレッシュ。明日からのまた東京生活を生き抜く心の糧を、少なからず得ることができました。


※以上は、mixiの日記に掲載したものと同内容です。
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=53952930&owner_id=155401

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November 12, 2005

九州国立博物館

午前8時。久々に、カプセルホテルにて気だるい朝を迎えてしまった…。


たまっていた航空会社のマイルのいくらがそろそろ期限を迎えるので、何か活用法を考えなきゃと思っていた。
ニュースで福岡県太宰府市に九州国立博物館が開館したと知って、よい機会なので九博ツアーに繰り出すことにした。

いまは東京でIT関係の仕事をしている僕だけど、名古屋で大学に通っていた頃には民族学と考古学を勉強し、博物館学芸員の資格も取得した。そんなわけで、新しい博物館ができたと聞けば気になってしまう。足を運んで古い遺物など目にすれば、気分もリフレッシュしてくるというものだ。

kyuhaku訪れたのは11月12日の土曜日。10月の16日に開館したばかりというだけあって、老若男女の(おそらく)福岡県民たちがわんさか押し寄せ、たいそうなにぎわい。博物館という、もっぱら閑古鳥が鳴いていて当たり前の空間としては異常な事態である。
僕は愛知県出身だから、先頃まで地元でやっていた万博を思い出してしまうネ。

まあ地方都市の場合、東京と違って国家レベルの立派な施設ができることってそうそうないわけなんで、オープン直後で多少浮かれ気味になる感覚は僕もわからないわけではない。
それにしてもここに来る人みんな、太宰府天満宮にも寄っていくだろうから、天神様に与える経済効果も大きいだろうなあ。


展示は、九州という土地柄だけあって、アジアとの交流をテーマに日本の歴史を再構築したものになっている。旧石器・縄文から始まり、遣唐使の時代、大航海時代などを経て、江戸時代で終わっている。
…でも実際のところ、日本がそれまでになく積極的にアジアと関わったのはその後のような気がするのだけど。

国家レベルで日本がこの島国の外に進出したのは、古代と、秀吉の朝鮮出兵と、そして明治維新後の100年ばかりの3回だ。最後の時代は実際にある地域を植民地にし、ある地域には傀儡国家を建国し、そしてかなりの地域を戦争に巻き込んだのだから。そんな時代は日本史上他にないよ。
どういう史観をとるにせよ、“アジアとの交流”を掲げるならば、そこに一切触れずに語ることなど、本当のところできまいて。

ただ、この博物館で展示されているものだけで考えると、わが国は、アジアからのさまざまな影響を、あくまで“受動的”に受け入れ、独自の文化を育んできた国家ということのようだ。
国立博物館の展示がこうなっているとすれば、現在の日本として演出したい自画像がこれなんだろう。たぶん、ある種の歴史は展示されないし、またできれば触れずに済ませたいものなのだ。


それにしても国立だけあって、立派な施設だったヨ!
なにせ文化庁所管の国立博物館は東京、京都、奈良と、そしてこの九州国立博物館の4館だけだし、ここは実に100年ぶりに新たにできた国立博物館なのだ(あくまで文化庁所管のものとしては、だけど)。
遠いからそうそう行けないとは思うけど、博物館好きの人なら一生のうちにいちどは観に行くべきミュージアムにリストアップしてよいと思います。


12日は太宰府天満宮をお参りし、九州国立博物館を観覧し、隣の九州歴史資料館も訪れた後博多に戻って福岡アジア美術館でアジア美術トリエンナーレを鑑賞。そしてカプセルホテルに宿泊。

本当はカプセルじゃなくてちゃんとしたホテルのシングルでゆったりしたかったけど、なぜだか主だったところは全て満室だった。

ちょっと話がそれるけど、カプセルホテルといえば、かつて会社から遠い寮に住んでいた際、飲み会や仕事で遅くなるとしばしば利用した。引っ越して以来ご無沙汰だったんで、懐かしくある。
まあ、僕自身は夜行バスでも飛行機のエコノミークラスでも寝る時は寝る人間なので、休むのはどういう空間でも大丈夫なんだけど…とはいえやや落ち着けないのも確かではあるね。
マイル利用とあわせ、格安旅行でござんす。


※以上は、mixiの日記に掲載したものと同内容です。
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=53726926&owner_id=155401

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November 05, 2005

江戸東京たてもの園

 tatemonoen

休日に、小金井公園の江戸東京たてもの園までドライブしてきました。

 江戸東京たてもの園
 http://tatemonoen.jp/

ここは、両国にある江戸東京博物館の別館の位置づけにあたる施設。江戸東京博物館(江戸博)はもう何度か行っているのだけど、こちらは初めてだった。

江戸博は都立の、なかなかに立派な博物館だ。
とくに東京生活に疲れた折にはここの展示を見ると、最初に徳川家康公から始まっていて、史上初めて東京の地をめざした郷土の大先輩の姿に僕は勇気づけられるのであります(家康が生まれた岡崎の出身なので)。

その分館である江戸東京たてもの園。
この施設は近年とくに注目を集めるようになった。それは、1993年の開館以来の地道な活動の成果とか、展示物の学術的価値が評価されたとかそういうことではなく、直接的には宮崎駿のもたらしたところが大きい。

実は映画「千と千尋の神隠し」の湯やのモデルになった銭湯「子宝湯」とか、いくつかここの建物をモデルにしたシーンがあって、映画のおかげでにわかに江戸東京たてもの園はホットなスポットになったのである。

そういえば、このたてもの園に再現された近代のモダン住宅に足を踏み入れていると、愛知万博で映画「となりのトトロ」のサツキとメイの家が復元されていたことも思い出す。
万博という国際的な舞台に、そういう漫画の主人公の家を建てて見せ物にしてしまうという発想が通るというのが、オタク大国であるゆえんだと思うんだが。いや、宮崎監督の映画が芸術としても素晴らしいからですね。

園内には20数個の建物が移築、展示されている。たとえば高橋是清邸などは、2.26事件の際ここで暗殺された、という部屋もあったりして、思わず昭和史に思いを馳せる。歴史好きにはたまらないねえ、これは。
当日はちょうど、ボランティアによる園内のガイドがなされていて、その人についてウンチクあふれる説明を聞きながら一通りの建物を見ることができた。

同じような野外博物館というと、愛知県には明治期の建物を移築した明治村という施設がある。映画のロケにも使われる場所だ(たとえば、よく映画に登場する戦前の帝国ホテルは、ここに移築されている)。
愛知県民にとって学校の遠足で必ず連れて行かれる定番スポットであり、思わず今回もつらつら比べていたのだけど、江戸東京たてもの園は明治村ほどの広くはないし、建物数も明治村のほうが圧倒的に多い(うほっ。やっぱ愛知がいちばんだぎゃあ)。

しかしこのたてもの園もそれなりにコンパクトにまとまっていて、最低でも3時間くらいは楽しめるので、手軽な休日の行楽としておすすめだと思った。
なにより、ふだんは博物館に興味のないような人にも、有名なアニメーションのワンシーンにめぐりあえるのであれば足を向ける動機になるでしょう。


このブログの趣旨は、映画を1本観るたびに周辺的な雑感を記録することなのですが、この先何回かに限って、秋の行楽で訪れた博物館、史跡の記録を掲載します。


※以上は、mixiの日記に掲載したものと同内容です。
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=52228060&owner_id=155401

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November 03, 2005

カスタムメイド10.30

僕は広島弁の女の子には、弱い。

これも古い話だけど、過去たまたま広島出身の子に恋をしたことがあった。かわいく、なかなかに魅力ある存在であった彼女はずっと広島弁を喋っていて、これにはやられてしまった。

方言の力。ま、地元にいると普通なんだろうけど、この東京にいて方言が言葉の端々に出ると、それだけで好感度がアップしてしまう。標準語の女性だったらとくに記憶に残らないんだろうけど、広島弁とセットになって淡い記憶はいつまでも心に残っているのである。

ああ、きゅんとするねえ。


さて、いまの僕は木村カエラに日々感嘆している。

テレビ神奈川で毎朝放送している音楽バラエティ「sakusaku」に、木村カエラが登場したのはもう3年くらい前のことになる。当時はセブンティーンかなんかのモデルということで登場してきた。この娘、最初は(いまもだが)ブラウン管の向こうでわりと無愛想だったんで、なんなんだこの18歳は、と思っていた。

 kaera_sakusaku
 (テレビ神奈川「sakusaku」より)

しかし、この人はなかなかたいしたもんだと最近は考えている。彼女は会話のセンスがいいのだ。頭がいい。ま、九州の県の名前を聞かれて宮城県を挙げるなど、ぶっとんだところも見せつけるが、そういう学校教育的な頭のよさではない。もっとべつの尺度での、非常に優れた感性を持っている。

僕がそんなふうに感じ始めた頃、既に彼女はモデルとしての枠を越えて活動し出しており、既にCDを出していたり、ボーダフォンのCMに登場して「カエラはメールしほうだい♪」とのたまっていたり、徐々に世間的に名が知られるようになってきていた。そこから先のブレイクは、ご存知のとおりだ。


木村カエラのような女性は正直僕の好みではないので、仮に身近にいたとしても、僕は自分からは好きにならないだろう。ただふりかえってみると、逆に僕の人生はこういうカテゴリの子に好かれることが、実は多かったような気がする。

一般の感覚の人たちの集団に混じると僕はスルメみたいなもんらしい。「おおみずは噛めば噛むほど味がでる」とよく言われる。このブログを通してしか僕を知らない人には的確に伝えられなくて申し訳なく思うけど、以前もどこかで書いたけど掛居君や取手君には決してなりきれないのが僕だ。

そんな僕の、キワモノ(電波男)的な部分を面白がって愛してくれる人が、男女を問わず折々現れる。そんな人たちのおかげで僕はここまで生きてこられたと言っても、過言ではない。

僕が出会ってきたそんな人たちのタイプに、木村カエラは似ているのだ。
いや、もちろんこれは錯覚かもしれないけど。でも、sakusakuでカエラと共演する人形キャラ、増田ジゴローや白井ヴィンセントとのトーク−ガンダムやスターウォーズ、戦国大名や三国志などのネタが多い−に相槌を打つ姿を見て僕はそう感じてしまったのだ。


前口上がずいぶんと長くなった。

sakusakuで知った木村カエラの初主演映画ということで注目。さらに予告編でカエラちゃんが女子高生の制服を着て広島弁を喋っているのを見てこれまでにない“萌え”を感じ、足を運んだ。

映画「カスタムメイド10.30」。

「歌いたいんじゃ、歌いたいんじゃ、歌いたいんじゃ〜」と叫ぶ木村カエラの姿に、僕らが知る歌手としての彼女を思わず重ねてしまうよね。

でも、映画のストーリーとしては???な内容だった。まあ、解説にあるとおり「奥田民生10.30ひとり股旅@広島市民球場LIVEのドキュメントと、広島で青春を過ごす、バンド少女のストーリーをクロスさせた青春音楽映画」の、それ以上でもそれ以下でもないわけなので、よしとしよう。

以前出張の多い仕事をしていた時に、何度か広島にも出かけたことがあった。その時訪問していた支社のビルは、広島市民球場の隣に建っていた。今回、映画のスクリーンにもちらりと映っていて、かつての仕事をしていた時のことを少し思い出した。あの時は僕もまだ若手と呼ばれる年代だったな〜。


どうでもいいけど劇中で木村カエラが手にしている携帯電話は、ボーダフォンではなくauだったヨ…。


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