男たちの大和/YAMATO
■嘉永七年 大和、ペリー艦隊を撃滅す
昭和20(1945)年4月、沖縄戦への水上特攻部隊として決死の覚悟で出航した戦艦大和と3,333名の将兵たち。しかし、突如時空の嵐に呑まれタイムスリップしてしまう。行き着いた先は、嘉永7(1854)年6月、伊豆・下田沖。戦艦大和の目前にあったのは、幕府と日米和親条約の交渉を進めるペリー艦隊の姿だった。
おのれ鬼畜米英!! 黒船艦隊に、大和の主砲が火を噴く。ドドーン。黒船は木っ端みじん、海のもずくと化して沈んだ。幕府を恫喝し、屈辱的な形で国を開かせようとしていた脅威は、ここに消滅した。歓喜にむせぶ幕府の役人たち。その後の歴史を知る大和の将兵たちは日本に上陸、幕政の改革と開国、公武合体を推進する。やがて幾多の動乱を経て、将軍の地位を改組した“大君”(たいくん)を元首に戴く近代国家が日本列島に誕生する…。
と、そんな愚にもつかない漫画のストーリーをつらつら考えてみたことがある。見る人が見ればわかると思うけれど、これはもちろんかわぐちかいじ氏の漫画「ジパング」の壮大なパロディである。
2000年から週刊モーニングにて連載が開始されたコミック。太平洋戦争のただなかにタイムスリップしてしまったイージス艦乗組員たちの運命を描いた作品で、現在も連載中だ。
200X年、南米エクアドルでの争乱に対処するため出航したイージス艦「みらい」。突如として1942年6月、ミッドウェー海戦周辺の海域にタイムスリップしてしまう。そして主人公の自衛官・角松は漂流していた海軍将校・草加拓海を助ける。みらいが60年後の世界から来たこと、この戦争が無惨な敗戦に終わることを知った草加は、自分の理想を実現させるために動き始める。
その理想とは、「なんの策も無いまま戦争の泥沼にはまり込んでしまった大日本帝国でもなく」「無条件降伏という屈辱から始まる戦後日本でもない」、全く新しい国家を作ること。最初は時代の傍観者たらんとしたみらいも、そのための戦いに巻き込まれていく——。
さすが「沈黙の艦隊」の作者、時代を先取りするのに敏といえる内容である。かつての「沈黙の艦隊」が、かたや自衛隊は違憲という党派が存在し、一方で冷戦が終結し国際貢献を迫られる90年代初頭の時代の空気を感じ取り、どちらにも与しない全く新しい形での安全保障を描いた傑作であった。
そしてタカ派の政治家が台頭し、戦後の見直しが唱えられ始めた2000年代には、「ジパング」である。この戦後体制が生んだ自衛隊を、それ以前の時代に持ち込んで歴史のやりなおしのために奮闘させる。うまい、実にうまいねえ。
それにしても、タイムスリップするのはなぜ自衛隊ばかりなのだろうか。漫画「ジパング」の前には、半村良原作で映画化もされた「戦国自衛隊」という作品があった。これはタイトルの通り、陸上自衛隊が戦国時代に紛れ込んで戦国大名たちと合戦するというもの(映画では設定が変更されているけど、原作では自衛隊が実は織田信長の役回りを演じていたというオチが、最後に明かされる)。
しかし現代の自衛隊が過去に行くばかりではなく、別のモノがさらに過去に行ってもかまわないではないか。ということでジパングのコミックのページをめくりながら思いついたのが、連合艦隊を幕末にタイムスリップさせるという案。いささか閉塞状況が漂う平成のこの時代に、戦後体制ができる直前から歴史をやりなおせたらという発想が出てくるなら、敗色迫る大戦末期の将官たちは、明治国家ができるところからやりなおしたいという思いにきっとかられるのではないか?
ということで、大和とペリー艦隊が戦うシーンを想像してみたわけだ。この漫画のタイトルは既に決めてあって「タイクーン」(Tycoon)という。しかし残念ながら僕には画才がなく、いまのところこの漫画は僕の脳内にしかない。こんな時、ドラえもんの秘密道具で出てきた「漫画製造箱」があるといいなあ、とつくづく思う。
■うわっ なんだこの男臭さは
2005年の大みそか。愛知県への帰省中にMOVIX三好で観た映画は、「男たちの大和/YAMATO」。戦後60年という節目の年の幕引きに、ふさわしい選択と言えようか。
(写真は、goo映画のサイトの画像にリンク http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD7954/index.html )
この映画は大作なんだろうけど、タイトルどうにかならんものなのかね、と個人的には思う。“男たちの”大和…。いかにも女子供を遠ざけそうなタイトルである。まあ、原作の題名がそうだからと言われればそれまでだけど。とはいえ太平洋戦争モノということで、ミリオタとかちょっとウヨな人が集いそうなイメージ、ただでさえ敬遠されそうじゃありませんか。そこに加えわるこの男臭さ。観衆を限定してしまう気がする。
正直なところ、僕も当初は観るつもりではなかった。パスしようと思っていた。そしたら富山に住むメル友から、「意外に面白かったですよ」という感想が届いたので、じゃあ観てもよいかなあ、と思いを改めたのだ。それでも忙しかったら観なかったんだけど、幸か不幸か大みそかの夜は暇で、だからといって「ハリー・ポッター」でハラハラドキドキしたい気分でもなく、「SAYURI」で勘違いされたニッポンの姿を観るのもどうかなあという心境だったのだ。そんな理由での「男たちの大和/YAMATO」なのである。
鑑賞しての感想…。中村獅童がカッコよすぎる。なんじゃこのクドいほどのカッコつけたがりは、と思ってしまった。
僕が中村獅童という役者を知ったのは、実は映画「いま、会いに行きます」だ。だから、この人はおどおどして頭悪くてそれでも誠実さのあるキャラ、という印象が根付いてしまった。ところが、その後観たドラマや映画では、全然違う役を演じている。そのたびに僕の脳内イメージを修正するのにやや手間がかかる。
この映画の中村獅童は無頼漢で、侠気がある下士官を演じているのだが、もうひたすらええカッコばかりだね。「入院していれば助かるのになんでわざわざ大和に戻ってきたんだ!!」と仲間に問われ、ニヤッと笑ってキザなセリフを答えたりとか(表情は覚えているけどセリフは忘れた)。もう万事が万事こんなんだから、中村獅童のふるまいしか覚えていなくて、他にどんな役者が大和に乗っていたのか忘れてしまったヨ。
大和の最後の航海については、去年なんとなくつけていたテレビがNHKで、「その時歴史が動いた」のアンコール放送「戦艦大和沈没~大鑑巨砲主義の悲劇」を放映していた。それを観たところだった。
その番組は非常によくできていて、沖縄戦出撃の最後の航海の最中、こんなふうに攻撃を受けて沈んでしまったということをCGで再現し、時系列で説明してくれてた。戦闘中は混乱していただろうに、ふーん、ここまでわかっているなんてすげーな、と僕は感嘆した。そして、生き残った人へのインタビューを聞きながら涙し、つくづくいまの平和な時代に生まれてよかったとの思いを新たにしたのである。
映画の後半。その番組の説明をなぞるかのように大和が攻撃を受け、沈んでいく。もっともNHKの番組みたいに詳しく解説してくれたわけではない(もっぱら中村獅童の奮闘がメイン)。「その時歴史が動いた」はDVD化もされているようなので、この映画を観る人はあわせて観るとよいと思う。フムフム、そうだったのかとかぁなり納得できるよ。
■夢想せん、誇り高き大君の国
その「その時歴史が動いた」やこの映画のなかでも登場するのだけど、大和の最後を描いた作品には、必ず描かれるシーンがある。敗れて死ぬことが自明の航海に赴く士官たちが、この戦いの意義は何だと自問し、そしてある学徒出陣士官が言葉を放つ。もともとは吉田満著「戦艦大和ノ最期」にあるものだ。
「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。 日本は進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、 真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める。それ以外に、どうして日本は救われるか。 今、目覚めずしていつ救われるか。俺たちは、その先導になるのだ。 日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか」
いかにもドラマみたいなこのセリフを、実際の戦場で口にした将校がいるという。潔く死を覚悟した言葉だけに、戦後を生きる僕らのハートにズキンと響く。もし、こんな言葉を口にする彼らが歴史のやりなおしを行う権利を得たとすれば、いったいどんなグランドデザインを描こうとするだろう。僕のなかに抱えた思いが、冒頭に紹介したような着想につながっていった。
主体的に改革を起こして開国と文明開化をはかり、産業を興して国を富ませ、しかしそれでいてこの列島の外に決して覇権を求めようとしない誇り高き大君の国…。そんな夢想の国家が僕の脳裏に宿ったのである。
さようなら、2005年。
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