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December 31, 2005

男たちの大和/YAMATO

■嘉永七年 大和、ペリー艦隊を撃滅す

昭和20(1945)年4月、沖縄戦への水上特攻部隊として決死の覚悟で出航した戦艦大和と3,333名の将兵たち。しかし、突如時空の嵐に呑まれタイムスリップしてしまう。行き着いた先は、嘉永7(1854)年6月、伊豆・下田沖。戦艦大和の目前にあったのは、幕府と日米和親条約の交渉を進めるペリー艦隊の姿だった。

おのれ鬼畜米英!! 黒船艦隊に、大和の主砲が火を噴く。ドドーン。黒船は木っ端みじん、海のもずくと化して沈んだ。幕府を恫喝し、屈辱的な形で国を開かせようとしていた脅威は、ここに消滅した。歓喜にむせぶ幕府の役人たち。その後の歴史を知る大和の将兵たちは日本に上陸、幕政の改革と開国、公武合体を推進する。やがて幾多の動乱を経て、将軍の地位を改組した“大君”(たいくん)を元首に戴く近代国家が日本列島に誕生する…。


zipang_coverと、そんな愚にもつかない漫画のストーリーをつらつら考えてみたことがある。見る人が見ればわかると思うけれど、これはもちろんかわぐちかいじ氏の漫画「ジパング」の壮大なパロディである。
2000年から週刊モーニングにて連載が開始されたコミック。太平洋戦争のただなかにタイムスリップしてしまったイージス艦乗組員たちの運命を描いた作品で、現在も連載中だ。

200X年、南米エクアドルでの争乱に対処するため出航したイージス艦「みらい」。突如として1942年6月、ミッドウェー海戦周辺の海域にタイムスリップしてしまう。そして主人公の自衛官・角松は漂流していた海軍将校・草加拓海を助ける。みらいが60年後の世界から来たこと、この戦争が無惨な敗戦に終わることを知った草加は、自分の理想を実現させるために動き始める。
zipang_mangaその理想とは、「なんの策も無いまま戦争の泥沼にはまり込んでしまった大日本帝国でもなく」「無条件降伏という屈辱から始まる戦後日本でもない」、全く新しい国家を作ること。最初は時代の傍観者たらんとしたみらいも、そのための戦いに巻き込まれていく——。


さすが「沈黙の艦隊」の作者、時代を先取りするのに敏といえる内容である。かつての「沈黙の艦隊」が、かたや自衛隊は違憲という党派が存在し、一方で冷戦が終結し国際貢献を迫られる90年代初頭の時代の空気を感じ取り、どちらにも与しない全く新しい形での安全保障を描いた傑作であった。
そしてタカ派の政治家が台頭し、戦後の見直しが唱えられ始めた2000年代には、「ジパング」である。この戦後体制が生んだ自衛隊を、それ以前の時代に持ち込んで歴史のやりなおしのために奮闘させる。うまい、実にうまいねえ。

それにしても、タイムスリップするのはなぜ自衛隊ばかりなのだろうか。漫画「ジパング」の前には、半村良原作で映画化もされた「戦国自衛隊」という作品があった。これはタイトルの通り、陸上自衛隊が戦国時代に紛れ込んで戦国大名たちと合戦するというもの(映画では設定が変更されているけど、原作では自衛隊が実は織田信長の役回りを演じていたというオチが、最後に明かされる)。

しかし現代の自衛隊が過去に行くばかりではなく、別のモノがさらに過去に行ってもかまわないではないか。ということでジパングのコミックのページをめくりながら思いついたのが、連合艦隊を幕末にタイムスリップさせるという案。いささか閉塞状況が漂う平成のこの時代に、戦後体制ができる直前から歴史をやりなおせたらという発想が出てくるなら、敗色迫る大戦末期の将官たちは、明治国家ができるところからやりなおしたいという思いにきっとかられるのではないか?

ということで、大和とペリー艦隊が戦うシーンを想像してみたわけだ。この漫画のタイトルは既に決めてあって「タイクーン」(Tycoon)という。しかし残念ながら僕には画才がなく、いまのところこの漫画は僕の脳内にしかない。こんな時、ドラえもんの秘密道具で出てきた「漫画製造箱」があるといいなあ、とつくづく思う。


■うわっ なんだこの男臭さは

2005年の大みそか。愛知県への帰省中にMOVIX三好で観た映画は、「男たちの大和/YAMATO」。戦後60年という節目の年の幕引きに、ふさわしい選択と言えようか。


 

 (写真は、goo映画のサイトの画像にリンク http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD7954/index.html


この映画は大作なんだろうけど、タイトルどうにかならんものなのかね、と個人的には思う。“男たちの”大和…。いかにも女子供を遠ざけそうなタイトルである。まあ、原作の題名がそうだからと言われればそれまでだけど。とはいえ太平洋戦争モノということで、ミリオタとかちょっとウヨな人が集いそうなイメージ、ただでさえ敬遠されそうじゃありませんか。そこに加えわるこの男臭さ。観衆を限定してしまう気がする。

正直なところ、僕も当初は観るつもりではなかった。パスしようと思っていた。そしたら富山に住むメル友から、「意外に面白かったですよ」という感想が届いたので、じゃあ観てもよいかなあ、と思いを改めたのだ。それでも忙しかったら観なかったんだけど、幸か不幸か大みそかの夜は暇で、だからといって「ハリー・ポッター」でハラハラドキドキしたい気分でもなく、「SAYURI」で勘違いされたニッポンの姿を観るのもどうかなあという心境だったのだ。そんな理由での「男たちの大和/YAMATO」なのである。


鑑賞しての感想…。中村獅童がカッコよすぎる。なんじゃこのクドいほどのカッコつけたがりは、と思ってしまった。

僕が中村獅童という役者を知ったのは、実は映画「いま、会いに行きます」だ。だから、この人はおどおどして頭悪くてそれでも誠実さのあるキャラ、という印象が根付いてしまった。ところが、その後観たドラマや映画では、全然違う役を演じている。そのたびに僕の脳内イメージを修正するのにやや手間がかかる。

この映画の中村獅童は無頼漢で、侠気がある下士官を演じているのだが、もうひたすらええカッコばかりだね。「入院していれば助かるのになんでわざわざ大和に戻ってきたんだ!!」と仲間に問われ、ニヤッと笑ってキザなセリフを答えたりとか(表情は覚えているけどセリフは忘れた)。もう万事が万事こんなんだから、中村獅童のふるまいしか覚えていなくて、他にどんな役者が大和に乗っていたのか忘れてしまったヨ。

大和の最後の航海については、去年なんとなくつけていたテレビがNHKで、「その時歴史が動いた」のアンコール放送「戦艦大和沈没~大鑑巨砲主義の悲劇」を放映していた。それを観たところだった。

その番組は非常によくできていて、沖縄戦出撃の最後の航海の最中、こんなふうに攻撃を受けて沈んでしまったということをCGで再現し、時系列で説明してくれてた。戦闘中は混乱していただろうに、ふーん、ここまでわかっているなんてすげーな、と僕は感嘆した。そして、生き残った人へのインタビューを聞きながら涙し、つくづくいまの平和な時代に生まれてよかったとの思いを新たにしたのである。

映画の後半。その番組の説明をなぞるかのように大和が攻撃を受け、沈んでいく。もっともNHKの番組みたいに詳しく解説してくれたわけではない(もっぱら中村獅童の奮闘がメイン)。「その時歴史が動いた」はDVD化もされているようなので、この映画を観る人はあわせて観るとよいと思う。フムフム、そうだったのかとかぁなり納得できるよ。


■夢想せん、誇り高き大君の国

その「その時歴史が動いた」やこの映画のなかでも登場するのだけど、大和の最後を描いた作品には、必ず描かれるシーンがある。敗れて死ぬことが自明の航海に赴く士官たちが、この戦いの意義は何だと自問し、そしてある学徒出陣士官が言葉を放つ。もともとは吉田満著「戦艦大和ノ最期」にあるものだ。

「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。 日本は進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、 真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める。それ以外に、どうして日本は救われるか。 今、目覚めずしていつ救われるか。俺たちは、その先導になるのだ。 日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか」

いかにもドラマみたいなこのセリフを、実際の戦場で口にした将校がいるという。潔く死を覚悟した言葉だけに、戦後を生きる僕らのハートにズキンと響く。もし、こんな言葉を口にする彼らが歴史のやりなおしを行う権利を得たとすれば、いったいどんなグランドデザインを描こうとするだろう。僕のなかに抱えた思いが、冒頭に紹介したような着想につながっていった。

主体的に改革を起こして開国と文明開化をはかり、産業を興して国を富ませ、しかしそれでいてこの列島の外に決して覇権を求めようとしない誇り高き大君の国…。そんな夢想の国家が僕の脳裏に宿ったのである。


さようなら、2005年。

 

 

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December 24, 2005

キングコング

最近の生活記録と雑感を3つほど。

まずその1。

先日、職場で忘年会の幹事を務めた。というか、誰もやりそうにないので僕が手を挙げたというのが正直なところかもしれない。僕自身は、あまり幹事向きの性格だと思えないけど、といってそれほどそういう役回りを嫌とも思わない人間なので、こうして時折職場の宴会の幹事を務めることがある。

bonenkaiそれで今回幹事はソツなくこなし、場としてもそこそこ盛り上がって終わったのでよかったんだけど、一つ愕然としたことがある。それは、この宴席の光景だ。どういうことかというと…。男だ。男しかいない。
僕が勤めているのはぜんぶで20余名程度の職場なんだけど、女性でいた派遣社員の人の契約が切れてしまったり、他の社員の人も体調がよろしくないなどで、いろいろな事情が重なってなんと男性ばかりがずらりと並ぶ光景が出現した。

なんだよ、この理系みたいな環境は、と思うのだけど、実際理系の職場なのだからしかたがない。しかしなあ。
いま僕は自分史上最大の、男の比率の高い環境に身を置いている。こういう場面に遭遇するにつけ、つくづく遠くへ来てしまったもんだと思う。思い出せばむかしはこうではなかった。
高校では文系クラスに身を置き、大学は文学部だった。女性のほうが多い環境が当たり前だった。なのに、なのにだよ。まず会社に入ってみたら、同期を見渡すと学部の頃に比べて男女の比率が逆転していた。次に、僕は技術系の職場に配属になった。女性の比率ががくんと減った。さらに組織変更が繰り返されるたびに女性は減っていき、気づけば男しかいない状況がマジリアルになった。

とはいえ、過去女性が多い環境に僕が身を置いてきたからといって、そのなかで僕がもてたという記憶は全くないんだろうな。むしろそんな環境でいかに女性の反感を買わないようにするかに苦心した。その結果、“いいお友達”としての男性を演じるのが得意になって、すっかりスポイルされてしまった。別の意味でもてない男に落ちぶれてしまったわけで、女性ばかりの環境というのは、僕にとって諸刃の刃だと思う。
でも、たとえそうでも青春の多感な時期に身を置いた僕は、そんな環境が性に合っているのだ。それが僕にとっての自然であり、心がなごむのだ。ホント、とんでもなく遠くにきたもんだと思う。誰か僕を戻しておくれ。


xmaspartyその2。クリスマスイブイブの祝日に、先輩の家のクリスマスパーティーに招かれた。毎年開かれてむかしの職場の仲間たちが参加し、すっかり恒例行事になっているものだ。

車で到着すると、家には既にファミリーが何組か来ていた。子供たちの合計はなんと7、8人にもおよぶ。自ずと彼ら彼女らの遊び相手を務めることになった。幼子たちの輪のなかに入っていく。
「ようし、おじちゃんも遊ばせてよ…」。
きゃっきゃと逃げ回る子供たちを追っかけたり、追いかけられたり、時には蹴りを入れられたり(子供とはいえ痛いよ…)。そんなことをしていると、むかしお正月に親戚の集まる場で、こんなふうにおじさんに遊んでもらうのが楽しかったなあ、なあんて思い出す。

そしていまは、僕がおじさんだ。子供たちの前で、今年は自分を臆面なくおじさんと呼ぶことができる。僕はおじさん。
そう独身であるとはいえ、早くも三十代の身なのだ。人間たるもの年相応の適切なふるまいをとるべきとすれば、その一つが子供の前でおじさんを名乗ることなのだと思う。

僕が抵抗なくおじさんを口にすることができるのは、夏の終わりに観たある映画の影響が大きい。

8月のクリスマス」だ。この映画のなかで主役の山崎まさよし34歳は、共演する関めぐみを相手に、一人称として「おじさんはね…」と語りかけていた。そこで気づかされたのだ。34歳はおじさんなら、1つ下の僕だって同類なのだ。
それがまがいもない現実だとすれば、ならばせめて映画のなかの山崎まさよしのようにストイックで含蓄のあるおじさんを目指そうと思う。映画の写真屋さんのような包容力ある人物を演じられるといいのだが、残念ながら僕には包容力というものがきわめて乏しい。ならば、その辺りは代わりのもので充当しよう。ウンチクとか知性とか、進んで幹事を引き受けるとか、そういったもので。うん。


その3。クリスマスイブに鑑賞した映画の話。ようやくむびろぐの本題である。

例によって暇つぶしに映画を観に行こうとして映画館のタイトルを眺めたら、僕の趣味に合いそうな作品が3つしかなかった。「キングコング」と「SAYURI」と、「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」。映画のタイムテーブルを見て、思わずむむむと考えてしまう。どれも3時間くらいある作品なのだ。

最近思うのだけど、映画に3時間かけるとなるとかなりの覚悟が必要だ。たとえばたまたま忙しくて睡眠不足の週があったとして、そんな折に3時間もの映画を観ると絶対途中で寝てしまう。体調不良の時に観れば、その時間に腰掛けているのが苦痛になってくるし、思いっきり咳やくしゃみをしたくなるタイミングもめぐってくる。いまさら言うまでもないことないかもしれないけど、3時間作品を観るには心身ともに健やかであることが求められるのだ。うかつに観に行くことはできない。

それなのに、観たい映画3本が3本とも3時間越えるのってどうよ、という気がした。それでも3本とも観に行きたいという思いがあるので、手始めに最も頭を使わなくても済みそうな作品として、「キングコング」を鑑賞に赴いたのであった。世間的には3連休の中日、クリスマスイブの日のレイトショーだった。イブということもあってか、劇場はわりと空いていた。

これがなかなか馬鹿にできない冒険活劇映画であった。3時間もあるので出だしはやや冗長で、始まってからキングコングが実際に登場するまでの時間がやたら長い。しかもだまされて船に乗り込むことになる脚本家役の俳優が、甘いマスクのエイドリアン・ブロディということで相当の違和感を抱く。おいおい、怪獣映画に戦場のピアニストか!?

しばらくおんぼろ船でのタイタニックみたいな内容が続くのだが、船が髑髏島についてから話は急転する。いきなりプレデターおたくっぽい原住民が襲ってきたかと思いきや、美女(ナオミ・ワッツ)はさらわれてキングコングに差し出される(これは定番)。その後突如としてジュラシックパークになり、さらにはスターシップ・トゥルーパーズのような蟲、蟲、蟲の場面を見せたりして、そしてキングコングは生け捕りにされてニューヨークに運ばれてしまう。その後コングが逃げ出して、美女と野獣のようなシーンを一瞬見せつつその後は、エンパイアステートビルのてっぺんに登っての例のあのシーンが繰り広げられる。

で肝心のエイドリアン・ブロディなのだが…はじめはもしかしてこの人チョイ役!?と思って眺めていたけど、いやいやちゃんと彼にふさわしい舞台が与えられていたんだね。髑髏島ではナオミ・ワッツを助け出すために恐竜に追っかけられたり蟲に食われかけたりしながら大活躍である。ピアニスト以外の役を初めて見たから正直意外な気もするんだけど…やっぱり、どちらかというとニューヨークに戻っての脚本家姿のほうがサマになっているよね。彼はやはり芸術家とか、知性的な人物を演じるのが似合う人だ。

そしてラストシーンが問題なんだよ。気づくと、いつの間にかコングに感情移入してしまっている自分に気づくんだよ。おおお、たかだか巨大ゴリラの怪獣映画だと思って観ていたのに、これはどうしたことか。婦女子あたりだったら思わず泣いちゃいそうな、そんなエンディングなんだよ。いや、なかなか馬鹿にできないストーリーだなと思った次第。
1930年代初頭が物語の設定なので、全編に渡って当時の風景が再現されていて、レトロな感じに魅入ってしまう。そういう映像を眺めているだけでもそれなりに楽しくなる。そんなビジュアルな面での醍醐味もあって、怪獣に冒険に、ユーモアそしてロマンスと、相当にカネを費やした豪華てんこもり映画であった。観終わると、ちょっとお腹一杯な感じ。

まあ、真冬なのにかなり薄着で高層ビルの屋上に連れて行かれるナオミ・ワッツの姿に風邪ひかないのか心配になったり、ティラノサウルスやらブロントサウルスなど他に恐竜がたくさんいるのに(かなりすごいことだと思うんだけど…)それには目もくれず巨大ゴリラの生け捕りにこだわるのはなぜ?とか、突っ込みどころもいっぱいあるんだけどね。


痛快娯楽映画を観てかなり満足な気分に浸る。そして一人帰って酒飲んで寝る、クリスマスイブの夜であった。


 

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December 17, 2005

ロード・オブ・ウォー

tree9月の総選挙に地元・岐阜の選挙区で民主党から出馬して落選した大学時代の後輩、熊谷君。
僕も選挙期間中は短い間だけど事務所に駆けつけて少し作業を手伝った(その時のブログ)。その彼が昨日、東京に出てきたというので学生時代の仲間で集まることになった。

3年前まではエリート銀行マンだったのに、辞めて選挙に出て、結果は自民党大物候補に大差をつけられて惨敗。そして3ヵ月たったいま何をしているかというと、無職でNEET状態だという。それじゃ逆杉村太蔵だよ…。
まあ、それでもあくまで前向きなのが彼の彼たるゆえん。僕がリスペクトするところだ。


右上の写真はそれとは全く関係ないんだけど、今週仕事で訪れた新宿・初台の東京オペラシティにて飾られていたクリスマスツリー。今年も僕個人は独り身で終わることになりそうだけど(がんばったつもりだけどなあ…反省会しなきゃ)、ただ一人で歩いていても、このシーズンの街は綺麗でいいよね。

熊谷君や、彼を支える人たちや、そしてなにより僕自身にも幸あれ。


さて、今日見た映画は、ロード・オブ・ウォー。この17日から公開が始まった作品だ。
ニコラス・ケイジが主演で、世界のさまざまな紛争の舞台裏で暗躍する武器商人の生き様を描いた作品だ。川崎のチネチッタで鑑賞する。レイトショーではあるが、公開初日ということもあってか座席はけっこうな混雑。ほぼ満席の状態だった。

これがなかなか、僕にとっては面白かった。それは、僕がもともとNEWSWEEKを購読したり、NHKBSの海外ニュースを観たり、国際政治の動向を垣間見るのが嫌いじゃないからかもしれないけど。

でも、「世界には5億5000万丁の銃がある。ざっと12人に1丁の計算だ。めざすは…“1人1丁”」という出だしから関心をぐぐっとそそられるし、いかにも悪人キャラの男優じゃなくあえて優男系のニコラス・ケイジを主役に据えたのも成功していると思うし、その主人公ユーリーと対照的に、悪事に染まりきれず麻薬に走り最後は自滅してしまう弟ヴィタリーの人生に涙するとか、ストーリーとして引き込まれる要素に満ちていると思う。同じ時期に公開されている「ハリーポッター」ほど万人受けするものではないが、けっしてマニアックな作品ではないよ。

ということでオススメします。クリスマスデートにぜひカップルで見て、世界の平和に思いを馳せよう。あ、言っておくけど決してシリアスな作品ではないです。深刻なストーリーが嫌いな人でも十分楽しめる、ライトな映画ですので。

…ところで。どうでもいいけど、数年前にクリスマスイブに一人で横浜・関内の映画館に行ったことがあるけど、カップルで一杯だった。その時観た映画のタイトルは「バトル・ロワイヤル」だったんだけどね。そんなことを思い返し、考えるに、イブに中学生同士の殺し合いの映画観るよりは、こちらの映画のほうがセンスよい選択になると考える次第である。


鑑賞し終わって思わず、朝日新聞の連載をまとめた書籍である「カラシニコフ」を読みたくなる。この本を僕は昨年の秋に買い求めて、最初のほうに目を通しただけで読了していなかった。AK47の開発者がまだ生きていて、その本人にインタビューしているということで、一部で話題を読んだ書ではある。ちょうどよいきっかけなので、本棚から取り出してまた読み進めてみるとするかな。
kalashnikov_cover

 カラシニコフ
 松本 仁一 (著)
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022579293/<

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December 10, 2005

Mr.&Mrs.スミス

saikano_coverもし、つきあい始めた恋人が、最終兵器だったら…。

そんな、ワンポイントアイデアのごとき設定で話が始まる漫画がある。高橋しんの作品「最終兵器彼女」だ。1999年頃から2001年くらいにかけて、青年向けの週刊漫画誌ビックコミックスピリッツに連載されていた。その後、OVA作品としてアニメ化もされている。

なかなか面白い着想だよな、とこの漫画のタイトルを目にして、僕は感嘆した。なるほど、恋人のことってわからないもんな。一緒に過ごしていない時間、いったい相手は何をしているものなのか。不安でしかたがないだろう。
もしかしてもしかすると、彼女が遠い国に出かけていて戦争しているなんてことだってありうるかもしれない…。

saikano_1主人公のシュウジは、友人と買い物に出かけた札幌の街で、突如として起こった未知の空襲に巻き込まれる。 空中を舞い、敵機を撃墜して地上に降り立ったのは…。
「ち…せ…」
「ごめんねシュウちゃん…私、兵器になっちゃった」。
焼け跡となった街角で、恋人・ちせの変わり果てた姿を目にする主人公。…うーん、うまいよねえ。

saikano_2この漫画(ファンの間ではサイカノと略されるらしい)は、彼女が最終兵器という、まさかのワンポイントアイデアから始まっているにも関わらず、意外にも重厚な内容へと話が展開する。連載が始まった当初は、“ふーん、「いいひと。」の作者が、こんな話も書くんだなあ。きっとヒット作の後の軽い気分転換なんだろうな”と思ったけど。そんな中途半端な作品ではなかった。

ストーリーとしては、若い二人の恋愛模様(思春期の頃、描かれるような経験を実際にした御仁も多いと思われる。キュンとしちゃうよね…僕にはなかったけど(><) )と、戦争とは何か、生命の生き延びようとする意思とは…といったことが織り交ぜられて進行していく。最初は軽妙にスタートするのだけど、途中から話が次第に重くなる。全巻を読み終えた時には思わず呆然として、日常に復帰するのにしばしの時間を要するほどだ。


つきあっている恋人同士で相手のことがわからず、彼女が最終兵器かもしれないという不安を抱いてしまう。
では、籍を入れて同じ屋根の下に暮らす夫婦ならどうかというと、やはりそこは変わらないようだ(僕自身は結婚生活というのも経験していないからよく想像できないけど、周囲の話を聞くと夫婦間の理解というのはそれなりに大変なものらしい)。
だから、夫が、妻が、もしかすると殺し屋だってことがあっても不思議ではない—。

今回観た「Mr.&Mrs.スミス」はそんなワンポイントアイデアで作られたハリウッド映画。そしてワンポイントアイデアのままストーリーが終わるので、気楽に観ていられる。まあ、世界中で万人にヒットする映画としては、こんなふうに仕立てればよいのだろう、という感じ。

殺し屋同士の夫婦喧嘩、さぞかし騒然としたものになろう。はい、その通りです。
二人の戦場に選ばれるのはややハイソな一戸建て住宅のキッチンであったり、郊外型の巨大なスーパーマーケットであったり、劇中のテレビ番組ではマーサ・スチュワートのニュースが流れていたり、日常の光景のなかで非日常を描き出しているのはちょっと楽しいかもね。

教訓もテーマも何もない映画が、2時間の暇つぶしとしては、よい作品でしょう。ただ、共演しているブラッド・ピッドアンジェリーナ・ジョリーがこの映画を機に交際しているなんて噂を知ると、スクリーンを眺めていてちょっとムカつくかもしれないけどね。なんだよ、あの来日時の記者会見は。ああ、俺もつくづくブラピに生まれたかったよ。そうすれば…(以下略)。

おっと、ゴホゴホ…。そんな映画を観て思わず連想の対象としたのが、上で紹介した「最終兵器彼女」のわけだが、結局設定が一見似ているように思えても、全く非なる作品なんだよね、この2つは。つくづく。


アニメ「機動戦士ガンダム」によくある評価として、現実の戦争を知らない僕らの世代に、戦争のリアルを知らしめてくれた、というコメントがあるよね。
そういう意見を言う人を具体的に挙げると、作家の福井晴敏さんだけど。たしかに、「機動戦士ガンダム」の作品世界は第二次世界大戦に代表されるような旧来の戦争の影響を強く受けて成立していると思う。
ただ、ふと僕は思う。これからの世代に戦争と平和を考えさせるとしたら、アニメや漫画がその役割を果たしうるとしたら(それが果たせると必ずしも僕は思っているわけではないが)、むしろこの「最終兵器彼女」のほうがよいのではないかと。

戦争とは、兵士が、新兵器が物理的に戦闘を繰り広げる戦場のみにあるのではない。
平和な生活を送っていると思い込んでいたのに、ある日突然周囲の状況が転換する。最初は遠いところで起こっていたはずのそれが、そろりと日常のなかに侵入してくる。普通の人たちがそれに気づいた時には、もう事態は戻れないところに来てしまっている…。
そういうものではないだろうか。とくに9.11以降においては顕著になりつつあるこの時代の現実を象徴するストーリーとして、(その大半は9.11以前に描かれたものだけど)この「最終兵器彼女」は、非常に優れたテキストブックになるのではないかと思うのだ。うん。

たかだか漫画を、持ち上げ過ぎかな。

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December 08, 2005

声なき声を聴け! 家が凶器になる時!!

これは、姉歯どころの騒ぎじゃないよ。

地域のケーブルテレビで放送されていた講演会の映像を部屋で一人、最後まで観てしまったのだけど、これが下手な映画やドラマよりも格段に面白かった。いや、かなりぞくぞくする内容だったと言うべきか。

僕はいま横浜市内でマンションを借りて住んでいるのだけど、この部屋ではケーブルテレビが受信できる。
全チャンネルを受信するには契約の申し込みと、STBなどが必要だ。ただ地元ケーブルテレビ会社が制作して放送しているチャンネルだけは何もせずに視聴できている。 一人暮らしでこの地域に縁の薄い僕。様々な地域情報を映し出すそのチャンネルは重宝する。

meguro_1平日の夜、珍しく残業も飲み会もなく早い時間に帰宅してテレビをつけると放送されていたのが、地元の会館で行われた講演「声なき声を聴け! 家が凶器になる時!!」。
タイトルから容易に想像できるように地震をテーマにしたもので、東京大学で都市被害軽減工学を専門とする目黒教授という人が講師だった。

なんとなく見始めたわりには、これが目からうろこの内容だった。

阪神大震災の死者の約92パーセントは、地震発生から15分以内に亡くなっている。つまり、建物の倒壊によるものだった。

防災の本質とは何より人が死なないようにすること。 よく、災害現場では避難所の環境の問題などが報道されるが、それは命あってのこと。死んでしまったものの声は届かない。まず生き延びることだ。
死者を減らすには、具体的に建物が倒れないよう、家具の下敷きにならないよう、直接の対策を打たなければ意味がない。

meguro_2新耐震基準が導入された以後の建物は、阪神大震災でも倒れにくかったという。
耐震基準が改められたのは1981年。それ以前の建物は、全国に1,000〜1,200万棟あると言われている。

そのスライドを見て、僕は息をのむ。

もちろん新耐震基準を満たさないからといって、全ての建物が倒壊するわけではないだろう。きっとその何割かは問題なく持ちこたえてくれるのであろうが。おそらくは。
ただ、そこに保証はない。確率、もっというと運不運の問題ということになる。いまの住まいは、同僚たちの社宅は、田舎の実家は大丈夫なのだろうか?

時あたかも、姉歯建築士が計算書を偽造して設計したマンションやホテルのニュースがテレビや新聞をにぎわしている。
突然の事態に戸惑う住民への説明会の模様、営業中止になったホテル…。ニュースの映像を見ていると、同情をさそうものだ。これが大きな経済犯罪であることは間違いない。

しかし。そもそもこの国では、そんな騒ぎとはべつに、何千万の人たちが建築基準上問題のある建物に住み続けているのだ。
それらの建物は、いま渦中にあるマンション問題と打って変わって、建て替えをめぐって騒動になることはない。その危険が国会で取り上げられることもなく、自治体がそこに住まう人びとに引越しの勧告を出すこともない。

人びとはそこで生活を営み、建物は静かにずっとたたずんでいる。
これまでも、これからも。

その事態がリアルになる時まで。

首都圏直下型地震が、今後30年以内に起こる確率は70パーセント。東海・東南海地震は80パーセント。

起こってしまった時に、それは…。

ああ、おそがいことだがや。
ホント、下手なホラー映画よりもスリリングを感じる放送だったよ。

※mixiの日記に掲載したものを再掲しました。
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=57781703&owner_id=155401

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