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January 03, 2006

ハリー・ポッターと炎のゴブレット

●責任をとらない校長の姿

世の中の校長先生に、僕はかなり同情的である。
なぜって、学校で何か事件が起こると記者会見の場が設定され、そこで責任者である校長の発言が求められ、釈明を行わなくてはならない。

その姿を見ると他人事ではなかった。これは完全に個人的な感情によるものだけど。

僕の父は教師で、その職業生活の最後の数年間に校長をしていたからだ。

その間、僕は父の学校で何の問題も起こらないことを祈っていた(まあ、世の中にある公立学校の数からすれば、確率としては交通事故に遭うのと同じくらい低いと思うけど…)。

仕事をソツなくまじめにこなしてきて、もう少しで退職というのにテレビや新聞に曝されることになってはたまったもんじゃないよ。まあ、それが管理職の仕事といえば仕事だけど、企業の経営者や政治家と違ってたいして権限もない職にしては、いささかアンバランスな責務だとは思うね。

その父も先日、ぶじ定年退職を迎えた。だからそのような杞憂をする必要はなくなったのであった。よかった、よかった。


しかし、それに比べてこの校長はなんだ。

生徒が死ぬような危険な競技大会を率先して行った上、結果一人の死者が出ても、責任をとって辞任するのでもなく、保護者やマスメディアからの非難の攻勢にさらされるでもなく、のうのうと職に居座っていられるなんて。

生徒を集めて演説するシーンを観ながら、お前が悪いんだろ! と内心思ったのは、僕だけではあるまい。
"
映画「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」の、ボクワーツ魔法魔術学校のタンブルドア校長のことだ。

1月3日、正月休み最後の日の夜に鑑賞した「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」。ストーリーとしては、ホグワーツで、100年ぶりに開催された「三大魔法学校対抗試合」。その危険な試合に、3校の代表選手に加えてなぜかハリー・ポッターも参加することになる。ハリー・ポッターや他の選手たちは次々と課題をこなしていくのだけど…。あまりネタばれするとよろしくないんだけど、復活してきた悪い魔法使いの手にかかって、あっけなく死んじゃうんですよ。選手の一人が。

しかし、親御さんからお預かりした大切な生徒の命を失ってしまったというのに、徹頭徹尾、他人事のような言明に終始するタンブルドア。それでも校長か〜!


●萌え萌えハーマイオニー

まあ、お話なのだからそんなこと言っていてもしかたがないのだろうけど。

以前も書いたけれど、この映画の隠れた(僕にとっての)醍醐味は、エマ・ワトソン演じるヒロイン、ハーマイオニーが一作ごとに成長していく姿を見ることである。いやべつにハーマイオニーだけでなく主人公・ハリー・ポッターのダニエル・ラドクリフ君や、ルバート・グリント演じるその友人(映画を観終わると同時に名前を忘れてしまう…すまない)も成長していくんだけど。しかし、そんなのは、その年頃の男子がどんなに幼稚で、ダサくて汗臭いか。しかもエッチなことに興味を持ち始めてギトギトしているさまは、自分で経験しているからいいのだ。僕の脳内世界に意味があるのはハーマイオニーだけなのだ。

まだいかにも子供だった「ハリー・ポッターと賢者の石」の時から、はっと息をのむようなかわいさで魅せていた女子だった(まあ、そうでなきゃ俳優にならないんだろうけど)。萌えた。

冷静に考えると、こういうコ、けっこう得しているんだろうなと思う。その容姿ゆえに周囲の男子にも、女子にも、そればかりか先生たちにも一目置かれ、みんなにちやほやされるし、あんまり変な係とか割り当てられることもない…(えーこれは決して僕の妄想でなく、以前一緒にハリー・ポッターの映画を観に行った、理系の先輩女性も同意していました)。
そしてあげくクラスのなかで一足お先に上級生とつきあったりする。そんなタイプの女の子だ。だいたい容姿で注目される前に、ハーマイオニーって名前が、絶妙に呼びづらくて印象に残りやすいんだよ。あと、学校の名簿を開いてハーマイオニーのパパの名前をなぜか調べてしまったり、きっとボクワーツ魔法魔術学校の男子たちはそんな馬鹿なことやってるに違いない。

話が延々とずれていきそうなんだけど、そのハーマイオニーは今回は見事なドレス姿でダンスを踊る。大きくなったねえ。益々綺麗になったねえ。見事に男をそそるそのまなざし。こうやって徐々に大人の女性になっていくのだな〜。と、トオイメで眺めるのである…( ̄ー ̄)

 
 (写真は、goo映画にリンク http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD7730/gallery/p014.html

ああ…(;´Д`)


●私生活の“先生” 衝撃の実像

どうでもいい話に戻るけど、僕の家は、両親ともに公立学校の教師だった。

教師の家とは、どんな感じなのか?

僕の記憶に残るのは、こんな車中の風景。たとえば家族で外食に出かける途中の道だ。僕ら兄弟はクルマの後部座席に座っているのだけど、運転席の父と、助手席の母が車中でずっと会話している。

その内容は。学校の愚痴だ。夫婦で学校の愚痴を言い合っているのだ。たとえば上司が帰らないと帰りにくいといった職場の雰囲気への嘆息だったり、権利意識だけあって仕事をしない先生を持て余しているといった同僚への批判だったり。そんなことを延々と言い合って終わりがない。

そんなことをずっと聞いて育ってきた。

休みが明けて月曜になる。父はこんな言葉を残して、玄関を出る。「ああ、学校行きたくないなあ」。


中学生の頃、たしか進路に関するホームルームの時間だったと思う。職業とは何か、どういう進路をどう選ぶのか、なんてテーマだった。そのディスカッションのために身近な職業の例として、“学校の先生”が挙げられた。

学校の先生という仕事をどう思うか、アンケートがあった。周りの生徒は、「頭がいい」とか「きまりに厳しい」とか、そんなことを書いてたのだろう。僕は、たしかこんなことを記入した。「普通の人」「数ある職業の一つ」。


それから何年かたち、僕も大学に進学していた。その時、僕は教職課程をとろうかどうか迷っていた。選択を前に、背中を一押ししてくれた高校時代の恩師の一言があった。

「ふつうの人たちを教えるんだから、ふつうの人で十分だ」

「教師って、いろいろ大変じゃないですか。人を教えないといけないし、聖職者と言われて理想を求められたりするし…」

たぶんそんなことを言って僕は相談したんだと思う。「そんなことはない」とことわって、しごく当たり前の一言を言ってくれた。そうだ、まさにそれを地でいく家庭のなかで僕は育っていたのに、何を悩んでいたのだろう。

まあ、結局教員にならなかったんだから、どっちでもよかったんだけどね。

ちなみにいま務めているネットワークエンジニアという職も、教師と同じくらいの大変さ(と気楽さ)はあると思う。児童は言うこと聞かないかもしれないが、ルーターやスイッチだってちゃんと設定したつもりなのに動いてくれないし…。職業に貴賤なしというものである。


それにしても、タンブルドア校長の態度には懸念を抱く。これでいいのか魔法公務員…。

といって、まあ彼に限ったことではなく、特定の生徒を目の敵にしたり、イタチに変身させてもてあそんだり、悪い魔法使いに監禁されていたり、およそあるべき学校の運営とは外れる路線の先生たちばかりだから、校長もこんなんでいいのかもしれないけど。日本じゃやっていけんよ。

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