« ミュンヘン | Main | シムソンズ »

February 15, 2006

B型の彼氏

僕を取り囲む250人の女性たち。しかもみんな年頃…。こんな空間に紛れ込んで、いったいどうふるまえばよいのだろう。


勤務先がノー残業デーである水曜日。飲み会の予定も何もなかったので映画を観に行くことにした。タイトルはもちろん、先日見逃して残念な思いをした「B型の彼氏」である。

会社帰りに旧有楽町そごう、いまはビックカメラが入居する読売会館の7Fに位置する、有楽町シネカノンで鑑賞した。

そしたら満席となった劇場で、観客はほとんど全て女性だったのだ。かろうじて確認できた男子は5人。彼女に連れられてカップルで来ているのが2組。中年のオッサンが2人。そして僕だ。場合によっては僕も分類されてオッサンが3人ということになるのかもしれないけど。

僕がこの映画を鑑賞したかったのには、理由がある。ズバリ、血液型恋愛映画だったからだ。そのストーリーは、こんなものだ…(goo映画より要約)。

女子大生のハミは運命の出会いを信じている女の子。ある時ヨンビンと偶然の出会いを果たし、「彼こそ運命の相手」とロマンチックな妄想にはまりこむ。でも、実はヨンビンはB型の男の子だった! そう、巷で恋人にしたくない男性1位に輝く、わがままで自意識過剰で自己チューなタイプ。一方、ハミは小心で慎重なA型、全く違う性格のヨンビンに惹かれていくのだが…。

以上。とはいえ、同じストーリーでも、これが邦画だったら観る気は起きなかっただろう。韓国映画だというところががぜん知的好奇心の対象になった。日本以外でも、血液型性格診断が受け入れられている国があるんだということ。そこにまずインパクトを受けた。

そしてそれが韓国ということで、なるほどとも思った。隣国であり、文化、社会、経済のさまざまな側面でこの国とよく似たものをもつ国だ。それゆえに、血液型性格診断は大衆娯楽の1作品のタイトルとなっておかしくない程度には受容されているのだろうか。

そもそも血液型性格診断は、日本以外の社会でも普遍性をもつ慣習かというと、そうとは思えない。同じアジアの一角にあって、同質性のある韓国の社会だからこそ受容されたのは間違いない。それはどのように浸透したのだろうか。同時に日本でいうそれとの間にいかばかりか相違は生じていないのだろうか。

このように、この作品は僕のなかに眠る、文化人類学根性をえらく刺激した。これを観ずして、他にどんな映画を観ろというのだ。そう思わせるタイトルだったのだ。


こんなふうに理屈で考えていることからお察しがつくように、血液型性格診断を僕は好きじゃない。おそらくそれは生物学的にも心理学的にも、根拠のないものだと思う。「いやいや、よく当たっているんだよ」という御仁もいるかもしれないが…なるほどたしかに色眼鏡をかければ、そのレンズは補強する方向にしかものごとを映さないものだ。

でも冷静になって考えてほしい。血液型が性格との関連において、特別な地位を占める必然性があるのだろうか? そもそも血液型とは何か。われわれの体内を循環する体液のなかで、酸素分子を運搬する役割を担う成分がある。その成分は、他の身体から同じ成分を混入した時に、凝集反応を示したり示さなかったりする。その組み合わせを血液型という。

この程度のものが性格に何らかの影響を与える因子となるのなら、われわれの身体をつくる要素には、もっと性格に影響を与える因子があってよいように思われる。たとえば心臓の脈拍数は? 精液に含まれる精子の数は? 虫歯の数は? 小腸の柔毛の密度は?

こうした、われわれの身体を構成する要素と性格の関係は考慮されないのに、なぜ赤血球という成分の凝集の組み合わせだけがこんなにも結びつけられているのだろう。何も合理的な説明は見出されていないというのに。


血液型の存在が知られるようになって約1世紀。現代日本で血液型による分類は、主にパーソナリティを対象として行なわれる。しかし当初は民族の優劣と結びつけて考えられていた。そのことを知ったのは、大学時代。こちらの本を読んでからだ。


 ketsuekigata_cover

 「血液型と性格」の社会史 血液型人類学の起源と展開
 松田 薫 (著)
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/430924145X/


血液型が注目されたのは第一次大戦の頃。傷病兵の手当のために、輸血の必要性が迫られたからだ。

そしてわかったこと。ヨーロッパの民族は、A型が多い。一方、ヒヒなどの血液型はB型。アジアやアフリカの民族も、B型の比率が比較的多い。このことから類人猿はB型から始まりA型に徐々に進化したとされ、よってA型が多いほど優れた民族の証しとする。そんな研究があらわれた。

冷静に考えれば不思議に思うだろう。たかが赤血球の凝集反応の組み合わせである。それが社会進化論と結びついた時、民族の優劣を規定する因子とされたのだ。ある種のものごとがその元来の範疇を越えて、社会的な信条、文化的な背景を映し出す鏡に変貌するのは、むかしもいまも変わらない。


B型の彼氏」のような映画が製作されるということは、韓国社会においても血液型性格診断は受容されている。その受容のさまを、できることなら日本のそれと比較して知りたいと思うが、残念ながら韓国における血液型性格診断の歴史的経緯を記した文献を、いまの僕は知らない。
 
まだ見ぬ文献に代わって、この映画を僕は一つの資料として、民族誌として鑑賞した。
 
ふと感じたのだが、もしかすると韓国における血液型性格診断は、日本に比べた場合は浸透の度合いはそれほど高くないといえるのかもしれない。なぜなら劇中では登場人物の一人が勤める、血液型に注目した結婚相談所があえて斬新なビジネスモデルとして紹介されている。また、B型の典型的性格(と信じられているもの)を懇切丁寧に説明している。これらのシーンを眺めていてそう見受けられた。

しかし同時に各血液型の典型的な性格分類は、日本とほぼ共通であった。これは注目すべきことだろう(ま、だから日本で映画として公開できるわけだが)。このことは2つの国の血液型性格診断は、その根源において同じものであることを示している。日本で血液型性格診断がブームを呼んだのは1970年代以降のことだという。おそらくそれより後に、この慣習は韓国に伝播したのだろう。


そのような分析的な視点で眺めてしまったわけだけど、映画自体はなかなかよかった。けっして主演がドラマ「夏の香り」で注目した女優ハン・ジヘだからだけではない。ストーリーはそこそこ愉快で、笑いの湧く場面も数多くあった。おそらく血液型性格診断に抵抗がなく、かつB型以外の人であれば純粋に楽しめる映画なのだろう。同じ空間にいた僕以外の、250人の女性たち(と4人の男性)がそうであったように。

個人的には、僕は鑑賞する直前までこの映画のタイトルを「B型の彼女」だと思っていた。ところが“彼女”ではなく「B型の彼氏」と知ってかなりの違和感があった。なぜ彼女ではなく、彼氏なの? だって、わがままで、身勝手で、気を遣ってもそんなこと忘れたかのように裏切ってくれる存在。それはつねに女性の側じゃないか。少なくとも僕の経験では、そういう記憶しかないのだ。

でも、タイトルは間違いなく「B型の彼氏」だった。女性は女性で、男性の身勝手を実感して生活しているのだろう。映画を鑑賞し終わって、異性が僕らの性に対して抱く感覚を想像した。

男という性に生まれつくか、女という性に生まれつくか。この身体的特性だけは、僕らの社会で顕著な差異を生じさせていることはまがいもない(もっともその差異の多くは生物学的に生じたというよりは、それを記号として活用する文化の大系が生み出したものであろうけど)。この差異のせいで僕らは同じ文脈を前にしても、違う解釈で読み解くがごとく生きている。しかし、あたかも遊園地のコーヒーカップという遊具の内で両端に座った時のように、まわりまわって360度回転した結果、結局同じものを見ているに過ぎないということもあるのだ。


 

|

« ミュンヘン | Main | シムソンズ »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference B型の彼氏:

« ミュンヘン | Main | シムソンズ »