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February 25, 2006

シムソンズ

トリノオリンピックでは概して日本勢が不振であり、メダルは女子フィギュアスケートでの荒川静香選手の金メダル1個しかとれなかったらしい。とはいえ、スポーツを通じた国威発揚にさほど関心のない僕としては、今回のような盛り上がり(盛り下がりと呼ぶべきか?)くらいでちょうどいいんじゃないかと思ってしまう。

それにしても今年はまだ、FIFAワールドカップの開催も待っている。サッカーはルールもわかるし、試合の観戦自体は嫌ではない。けど、ワールドカップのたびに繰り返される、いささか過剰に過ぎる演出と喧噪はついていけないなあ、と時に感じてしまう。スポーツにそういう思いを抱いている人間は、けっして少なくないはずだ。

しかしつくづく思うんだけど、ああいう騒ぎっぷりの苦手な人や、サッカー嫌いの人は、前回の日韓のワールドカップの時は1ヵ月間どうやって過ごしていたのだろうか。辟易しただろうね。


 sim-sons

 (公式サイト http://www.sim-sons.com/より)。


トリノオリンピックの閉幕も迫った2月25日の土曜日、映画「シムソンズ」を観に行った。北海道の旧常呂町(いまは北見市になってしまったらしい)を舞台に、カーリングに果敢に挑戦する4人組の女の子たちの奮闘ぶりを描いた映画だ。実話をベースにした作品だという。僕自身は試合をよく観ていないのだけど、トリノオリンピックの期間中にわかにカーリングに注目が集まり、その結果この映画も知れ渡るという効果があった。

けど、そもそもがそんなにメジャーな作品ではないので、増えたとはいえ上映されている館や時間はごく限られている。僕はまだ上映していた近場の映画館を調べて、みなとみらいのワーナーシネマズに足を運んだ。けっこうな雨の日だった。僕の靴のどこかに穴が空いているのだろう、歩いているうちになかが濡れてくる。新しい靴を買わなきゃなと、濡れた靴下の感触につつまれながら、スクリーンに目を向けた。


この映画は、かなりおトク度が高いといえる。というのも、かわいい女の子が4人も登場するからだ。つまり、普通の映画だったらヒロインは1人だけなのだけど、それに比べれば4倍楽しめるといえよう。主演は加藤ローサ。昨年末、職場の忘年会のビンゴ大会の景品で、ローサちゃんのフォト&インタビューをまとめた「ローサのもと」が見事僕に当たって所有しているというのは、ここだけの秘密だ。ついでにいうと、景品を選定して買い込んだのは僕自身だというのも、ここだけの話。なお、ビンゴ大会では誓って作為などしてゲットしたわけではないことを付け加えておく。


 rosanomoto_hyoshi


とはいえ、ローサのあのハーフな顔立ちは正直、北海道の田舎町にふさわしくないだろ、と思ってしまった。まあ、近頃は田舎の高校生でも、いっぱしの化粧はしそうなのでおろそかにはできないが。しかし伊藤和子というわりと平凡な名前の高校生に対して、ローサはできすぎである。

加藤ローサ以外の陣容としては、まずちょっとネクラでメガネ萌えするの女の子に、高橋真唯。いつも通勤電車のNO LOANの広告で窓口の女性役の姿にお目にかかっていたのだが、メガネをかけて牛舎を掃除する格好もなかなかに乙であるよ。あとは星井七瀬。この子は見た目からして最も高校生っぽいよねえ。なっちゃんのCMキャラクターに選ばれて、その後僕にとってはとんと行方知れずになっていた感があるのだが、スクリーンで久しぶりに再会した。そして能天気にカーリングを始めた主人公の対極にいる、上級者でかつちょっと屈折した感じの女の子に、藤井美菜。この人は僕も初対面で知識はないんだけど、まあ美人だなと思う。劇中の雰囲気としては、柴崎コウにちょっと似ているかもしれない。そうだな、柴崎コウと藤谷文子を足して2で割ったような感じだ。伝わるかどうかちょっとビミョーな比喩だけど。

あと、この4人をひきいる監督役が、「水曜どうでしょう」の大泉洋。北海道のローカル放送HTB発でブレイクしたこの番組を、僕はたまにtvk(テレビ神奈川)で見かけていた。北海道を舞台にした映画としてはふさわしい配役でしょうか。


そんなわけで4倍楽しめるおトクな映画「シムソンズ」だけど、ストーリーとしては、真っ当なスポーツ友情ものだといえる。もっとも題材としているスポーツがカーリングであるため、派手なアクションとか、ほとばしる汗とか、そういう要素とは無縁に済んできわめて落ち着いた仕上がり。映画のシンボルマークがちょっと「スウィング・ガールズ」にも似ているんだけど、いささかコミカルで完全にフィクションだったあの作品に比べるとずっと真面目なストーリーである。

青春の物語というのは、こんな配役で、こんな展開で作ればいいんだなあ、と、クールに考えながら鑑賞してしまった。

東京などの大都会から離れた地方で青春時代を過ごした人なら、この映画の冒頭にある主人公の叫びはよくわかるはず。「このままこの常呂で就職して、常呂で結婚して子供をたくさん生むの? そんなのいや〜!」。田舎に埋もれたまま終わりたくない、もっと便利で刺激の多い環境に触れてみたいという切望の感覚と、かといってじゃあ何をどうしたらそこから脱出できるのか、思いつくものが何もないという閉塞した気分。同じ立場にいたことのある人なら、身に染みて頷けるだろう、と思った。


 

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February 15, 2006

B型の彼氏

僕を取り囲む250人の女性たち。しかもみんな年頃…。こんな空間に紛れ込んで、いったいどうふるまえばよいのだろう。


勤務先がノー残業デーである水曜日。飲み会の予定も何もなかったので映画を観に行くことにした。タイトルはもちろん、先日見逃して残念な思いをした「B型の彼氏」である。

会社帰りに旧有楽町そごう、いまはビックカメラが入居する読売会館の7Fに位置する、有楽町シネカノンで鑑賞した。

そしたら満席となった劇場で、観客はほとんど全て女性だったのだ。かろうじて確認できた男子は5人。彼女に連れられてカップルで来ているのが2組。中年のオッサンが2人。そして僕だ。場合によっては僕も分類されてオッサンが3人ということになるのかもしれないけど。

僕がこの映画を鑑賞したかったのには、理由がある。ズバリ、血液型恋愛映画だったからだ。そのストーリーは、こんなものだ…(goo映画より要約)。

女子大生のハミは運命の出会いを信じている女の子。ある時ヨンビンと偶然の出会いを果たし、「彼こそ運命の相手」とロマンチックな妄想にはまりこむ。でも、実はヨンビンはB型の男の子だった! そう、巷で恋人にしたくない男性1位に輝く、わがままで自意識過剰で自己チューなタイプ。一方、ハミは小心で慎重なA型、全く違う性格のヨンビンに惹かれていくのだが…。

以上。とはいえ、同じストーリーでも、これが邦画だったら観る気は起きなかっただろう。韓国映画だというところががぜん知的好奇心の対象になった。日本以外でも、血液型性格診断が受け入れられている国があるんだということ。そこにまずインパクトを受けた。

そしてそれが韓国ということで、なるほどとも思った。隣国であり、文化、社会、経済のさまざまな側面でこの国とよく似たものをもつ国だ。それゆえに、血液型性格診断は大衆娯楽の1作品のタイトルとなっておかしくない程度には受容されているのだろうか。

そもそも血液型性格診断は、日本以外の社会でも普遍性をもつ慣習かというと、そうとは思えない。同じアジアの一角にあって、同質性のある韓国の社会だからこそ受容されたのは間違いない。それはどのように浸透したのだろうか。同時に日本でいうそれとの間にいかばかりか相違は生じていないのだろうか。

このように、この作品は僕のなかに眠る、文化人類学根性をえらく刺激した。これを観ずして、他にどんな映画を観ろというのだ。そう思わせるタイトルだったのだ。


こんなふうに理屈で考えていることからお察しがつくように、血液型性格診断を僕は好きじゃない。おそらくそれは生物学的にも心理学的にも、根拠のないものだと思う。「いやいや、よく当たっているんだよ」という御仁もいるかもしれないが…なるほどたしかに色眼鏡をかければ、そのレンズは補強する方向にしかものごとを映さないものだ。

でも冷静になって考えてほしい。血液型が性格との関連において、特別な地位を占める必然性があるのだろうか? そもそも血液型とは何か。われわれの体内を循環する体液のなかで、酸素分子を運搬する役割を担う成分がある。その成分は、他の身体から同じ成分を混入した時に、凝集反応を示したり示さなかったりする。その組み合わせを血液型という。

この程度のものが性格に何らかの影響を与える因子となるのなら、われわれの身体をつくる要素には、もっと性格に影響を与える因子があってよいように思われる。たとえば心臓の脈拍数は? 精液に含まれる精子の数は? 虫歯の数は? 小腸の柔毛の密度は?

こうした、われわれの身体を構成する要素と性格の関係は考慮されないのに、なぜ赤血球という成分の凝集の組み合わせだけがこんなにも結びつけられているのだろう。何も合理的な説明は見出されていないというのに。


血液型の存在が知られるようになって約1世紀。現代日本で血液型による分類は、主にパーソナリティを対象として行なわれる。しかし当初は民族の優劣と結びつけて考えられていた。そのことを知ったのは、大学時代。こちらの本を読んでからだ。


 ketsuekigata_cover

 「血液型と性格」の社会史 血液型人類学の起源と展開
 松田 薫 (著)
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/430924145X/


血液型が注目されたのは第一次大戦の頃。傷病兵の手当のために、輸血の必要性が迫られたからだ。

そしてわかったこと。ヨーロッパの民族は、A型が多い。一方、ヒヒなどの血液型はB型。アジアやアフリカの民族も、B型の比率が比較的多い。このことから類人猿はB型から始まりA型に徐々に進化したとされ、よってA型が多いほど優れた民族の証しとする。そんな研究があらわれた。

冷静に考えれば不思議に思うだろう。たかが赤血球の凝集反応の組み合わせである。それが社会進化論と結びついた時、民族の優劣を規定する因子とされたのだ。ある種のものごとがその元来の範疇を越えて、社会的な信条、文化的な背景を映し出す鏡に変貌するのは、むかしもいまも変わらない。


B型の彼氏」のような映画が製作されるということは、韓国社会においても血液型性格診断は受容されている。その受容のさまを、できることなら日本のそれと比較して知りたいと思うが、残念ながら韓国における血液型性格診断の歴史的経緯を記した文献を、いまの僕は知らない。
 
まだ見ぬ文献に代わって、この映画を僕は一つの資料として、民族誌として鑑賞した。
 
ふと感じたのだが、もしかすると韓国における血液型性格診断は、日本に比べた場合は浸透の度合いはそれほど高くないといえるのかもしれない。なぜなら劇中では登場人物の一人が勤める、血液型に注目した結婚相談所があえて斬新なビジネスモデルとして紹介されている。また、B型の典型的性格(と信じられているもの)を懇切丁寧に説明している。これらのシーンを眺めていてそう見受けられた。

しかし同時に各血液型の典型的な性格分類は、日本とほぼ共通であった。これは注目すべきことだろう(ま、だから日本で映画として公開できるわけだが)。このことは2つの国の血液型性格診断は、その根源において同じものであることを示している。日本で血液型性格診断がブームを呼んだのは1970年代以降のことだという。おそらくそれより後に、この慣習は韓国に伝播したのだろう。


そのような分析的な視点で眺めてしまったわけだけど、映画自体はなかなかよかった。けっして主演がドラマ「夏の香り」で注目した女優ハン・ジヘだからだけではない。ストーリーはそこそこ愉快で、笑いの湧く場面も数多くあった。おそらく血液型性格診断に抵抗がなく、かつB型以外の人であれば純粋に楽しめる映画なのだろう。同じ空間にいた僕以外の、250人の女性たち(と4人の男性)がそうであったように。

個人的には、僕は鑑賞する直前までこの映画のタイトルを「B型の彼女」だと思っていた。ところが“彼女”ではなく「B型の彼氏」と知ってかなりの違和感があった。なぜ彼女ではなく、彼氏なの? だって、わがままで、身勝手で、気を遣ってもそんなこと忘れたかのように裏切ってくれる存在。それはつねに女性の側じゃないか。少なくとも僕の経験では、そういう記憶しかないのだ。

でも、タイトルは間違いなく「B型の彼氏」だった。女性は女性で、男性の身勝手を実感して生活しているのだろう。映画を鑑賞し終わって、異性が僕らの性に対して抱く感覚を想像した。

男という性に生まれつくか、女という性に生まれつくか。この身体的特性だけは、僕らの社会で顕著な差異を生じさせていることはまがいもない(もっともその差異の多くは生物学的に生じたというよりは、それを記号として活用する文化の大系が生み出したものであろうけど)。この差異のせいで僕らは同じ文脈を前にしても、違う解釈で読み解くがごとく生きている。しかし、あたかも遊園地のコーヒーカップという遊具の内で両端に座った時のように、まわりまわって360度回転した結果、結局同じものを見ているに過ぎないということもあるのだ。


 

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February 12, 2006

ミュンヘン

■我が家であぶられる漆黒の煮汁

1月にいちど催したのがけっこう楽しく、その記憶が僕の脳内をリフレインしていたのでまた鍋パーティーを企画した。2月11日、前回とは別のメンバーで、友人・知人、5人が僕の部屋に集まり、鍋を囲んだ。

1回しか使っていないにも関わらず土鍋がヒビ割れているなどのトラブルがあったのだけど、普通の鍋に変えてなんとかスタート。そして煮立って、器に盛ったらこんなものだった。


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漆黒の液体が、灰色に染まった白菜やしめじ、豚肉を浮かべてたゆたっている。なんとも食指をそそられる一品じゃありませんか。え、何か違う?

今回作ろうとしていたものは、ごま風味の豆乳鍋だったはず。それを選んだ深い理由はとくになくて、新聞の家庭欄に、たまたまレシピが掲載されていたことによる。

レシピには、必要な食材として豚肉、野菜、調味料などと並び「ねりごま(白)」とあった。自分史のなかでも料理という経験には関わって日の浅い僕。ねりごま〜、そんなものどこに売っているんだ? と思って近所のスーパーの棚を物色していると、見つけた。なんだ、普通にあるじゃんと、カゴのなかに入れた。

鍋を待ちわびる来客たちの前で、調理を進める。鍋のなかにねりごまにだしつゆ、それから水と酒を入れ、煮込む。続いて白菜、葱、しめじ、肉、豆乳を入れ、アクをとる。

その結果、できあったものが上の写真なんだけど…。

途中から、色合いがどうもおかしいと思っていた。レシピには白いスープに浮かぶおいしそうな鍋が写っているのに、目の前で湯立っているのは、それとは全く装いが異なる。こ、これは…灰汁を煮込んでいるようだ。

原因は、すぐに判明した。ねりごまだ。レシピにねりごま(白)と明記されていたのに、僕が買ったのはねりごま(黒)だったのだ。「えー」と軽く批判のまなざし。しかしスーパーの棚にはそれしか売っていなかったのだからしかたないよ。

この鍋は、その場で腹黒鍋と名付けた。なぜならその場に居合わせた(女性以外の)出席者が、その名にふさわしい面々だったからだ(まあ腹黒というより、腹太なんじゃないかという話もあるけど)。ちなみに色は妙でも味は普通、食感もおかしくない。舌に広がるのはごまと豆乳のシンフォニー。マイルドにしてヘルシィで、腹太な人にもたぶんおすすめできる一品である。


■ミュンヘンかルワンダか、それが問題だ。

ミュンヘンホテル・ルワンダどちらがいいかなあ」

その腹黒鍋の席で、同じ三十路独身男で同期の友人I君がつぶやいた。なんと、最近新たな出会いがあったのだという。僕をさしおいて…これは聞き捨てならん。さっそく僕をはじめ同席者から質問攻めに会う。「次に会うのはいつ?」 それが明日だと言うではないか。

男性的なアピールは全くないけれど、理系の男らしくまじめでマメで、いわゆる“いいやつ”のI君。そんな彼にも、再び春がめぐってくるのだろうか。もしかすると君にとってこれが人生最後かもしれない、がんばるのだ。

デートには彼女の希望で、映画を観に行くことになっているらしい。どちらかのタイトルを観たいと挙げられたようで、上の相談になるわけだ。「ミュンヘン」と「ホテル・ルワンダ」って。…もしかして、かなり硬派の彼女なのか? これは手強そうだ。

僕は本棚からさっそく2冊の本を取り出し、「ホテル・ルワンダを観に行くなら、これで予習していけ」と薦めた。もちろんその本は、「ジェノサイドの丘・ルワンダ虐殺の隠された真実」(上・下)である。そしてNEWSWEEK日本版のバックナンバーを探し、ルワンダ虐殺10年の記事のページも開く。

しかし、彼は同席した先輩女性のアドバイスに耳を傾けていた。「有頂天ホテルが面白いよ。カップルで観に行くならこっちのほうがええで」「そうですかぁ」。おい、社会派の彼女を攻略するんじゃないのか…? 「そういう性格ではないと思う。でも、たんに東京ウォーカーで2つの映画の記事を読んだみたい」。けっこう普通の人らしい。ふーん。じゃあどっちでもいいや。

その後は、やはりデートに行くならお台場だとか、早く本当のホテルに行けとか、映画よりプラネタリウムに行くべきだとか、日本科学未来館のが素晴らしいとか、そういう話題で盛り上がったのである。しかしデートできるって、つくづく羨ましい。出会って2回目…ただただ脳内に妄想を繰り広げ、ひたすら先の展開を期待して胸膨らむ頃ではありませんか。ああ、羨ましい。

I君のお台場デート、いったいどうなったのであろうか。まだ、報告を受けていない。


■シンプルなメッセージを奥ゆかしく

そんな僕も翌日、映画を観に行った。「どっちの映画がいいかなあ」と口に出そうにも会話の相手はいない。春の来たI君と違って、僕はひとり映画館に来ているのだった。今頃I君はお台場でウキウキして、これからあんなことやこんなことを…あぁ。いや、むなしいのでよそう。

僕がこの日迷った選択肢は、「B型の彼氏」か「ミュンヘン」だった。話題の「ホテル・ルワンダ」は先日観てしまっていたのだ(その時のブログ)。

実は映画館に着いた時点では決めていた。断然、「B型の彼氏」である。ポップでコメディタッチの韓流恋愛映画で、一人ウキウキするに限る。なにせ今週末くらいでもう公開が終わってしまうのだ。早く観なければ。

と決意していたのに。いざチケット売り場に並ぼうとしたところディスプレイの上映時間に、“満席”の印が。そんなあ。がっかり…。

しかたがないので、第2候補であった「ミュンヘン」をチョイスしたのである。ふぁあ。3時間の社会派大作映画、だらだらと眺めるか。


観終わって思った。これはきわめてシンプルな問題意識を、実際の事件に託して長時間の物語として作り上げた作品だなあ、と。

(ここから先はネタバレで書きますけど;)

ニューヨークの摩天楼を背景にした公園でのラストシーン。「御前の祖国に帰れ」と諭す、イスラエルの諜報機関モサドの上司。それまでパレスチナのテロリストたちを手にかけてきて、精神が破綻しそうになりつつも家庭に戻った主人公は答える。

「こんなことを続けていては、永遠に平和は訪れない」。

背景に写る国連本部のビルから、カメラは方角をずらし、9.11で崩れ去ったワールドトレードセンターの双子のビルを映し出す。そしてそのまま、エンディングのスタッフロールが重なる。この象徴的なシーンに、この映画のメッセージが凝縮されていると思った。たぶん、多くの人も同じだろう。


しかしこの主人公の俳優、優男ふうで一見、暗殺者を演じるとは思えないのだけど、この映画のなかでは妻子を愛し料理を振る舞いながら、しかし祖国には忠誠を誓って4人の仲間とテロリストたちを殺していくのである。この一見ミスマッチな配役は、物語に独特の立体感を醸していて、イイ!と思った。きっとそういうものなんだよね。

イスラエルでは和平推進勢力の再結集をはかったシャロン首相が脳梗塞に倒れ、一方パレスチナ自治区では過激派勢力であるハマスが選挙で躍進する。トリノでは、そんなことと関係なく冬季オリンピックが開幕する。映画の公開にあわせたかのような時事ネタがよくもタイミングよく集まったものだ。けっして、よいニュースではないのだけど。


B型の彼氏」を観てほどよく能天気な気分になるはずが、一転して重々しい世界の現実に思いを巡らせることになった、日曜日の午後であった。

次回こそは「B型の彼氏」を観よう。上映期間が終わってしまう前に。そう思いつつ、川崎のヨドバシカメラに寄ってうろうろした。時節柄、大型画面の薄型テレビに関心があったのだ。

しばしテレビ売り場を徘徊する。テレビを眺めていると画面に川嶋あいが出て歌っていた。なんだかかわいいお嬢さんだなあ、と思った。萌え…を感じる。そのままCDショップに向かい、新星堂で彼女がボーカルを務めるI WiSHCDを買って、電車に乗って帰宅した。


 


iPodで♪明日への扉なんて聴いて、胸がキュンとする…(´・3・`)

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February 01, 2006

オリバー・ツイスト

 
 (写真はSankei Web http://www.sankei.co.jp/news/060201/sha094.htm より引用)


「ただいま地震が起きましたため、列車を停車しております…」

車中にアナウンスが流れた。

この日はノー残業デーで、とくに飲み会の予定も入っていなかった。だから早く帰ることになるだろうと思っていた。しかし、午後からモスバーガーのハンバーガーが無性に食べたい気分に包まれ、そこで最寄りの店舗に立ち寄って晩飯にハンバーガーを食らっていたのだ。

満足して横浜方面の京浜東北線に乗って、帰途に着く。列車が停まってアナウンスが流れたのは蒲田を出たあたりの頃だ。電車に乗っていたので揺れには全く気づかなかったのだけど、大きかったのだろうか? ふぁあ、会社の近くでハンバーガーなど食わなきゃよかったな。


僕がかねてより願っていることの一つが、東京で大地震には遭いたくないということ。東京は危険がいっぱいのような気がするのだ。高層建築。ビルの密集した繁華街。多数の人が集まる施設。そして満員の通勤電車…。相当悲惨なことになりそうである。

こう言う人もいる。「東京でもどこでも、大地震に遭えば死ぬ時は死ぬし、助かる時は助かる」。もちろん大地震は東京であれ、どこであれ起こってほしくないできごとだろう。もちろんそうである。しかし僕がとくに問題にするのは、自分が致命的な事態に陥る確率である。

これが僕の地元なら、人の数といってもたかだか知れている。民家は点在して道も広いし、街といっても高い建物など全くない。東京にいる時に比べれば災害時に影響を及ぼす係数がかなり少ない気はする。

僕の地元である西三河地方も東海地震の想定地域になっているわけで、決して地震に関して安全な地方ではない。だけど東京で大地震を迎えるよりはマシだろう。だからつねづね、首都圏直下型地震が起こる前には東京の生活を離れたいものだと考えている。といって、日々の仕事があるからにわかに、というわけにはいかないのだけど。


最も避けたいことが、通勤電車のなかで地震に遭うことだ。満員の車両が脱線でもしたら、相当悲惨な事態に巻き込まれそうである。

そしてこの日、ついに電車のなかで地震に遭う事態に遭遇してしまった。しかし幸いに車中では全く揺れを感じない程度のものだった。電車の停車時間が長引くにつれ苛立ちを見せる乗客たちのなかで、僕はたいした地震ではなかったことを心の中で感謝していた。震度6や7だったら電車は軌道を維持することはできない。

それでも停車を続けているということは、もしかすると地上では、それなりに揺れたものだったのだろうか…。

「この電車は、次の川崎駅まで行って運転を停止します」

5分ほどたった頃アナウンスが流れて電車は動き出し、そして僕と乗客たちは川崎駅で降ろされた。


川崎駅で放り出されてしまったのが午後8時50分くらい。京浜東北線だけでなく、横浜方面に向かう全てのJRの路線がストップしている。京急が動いているか確かめてそれに乗ってもよかったのだけど、ちょうどレイトショーが始まる時間帯だったので、携帯で上映時間を調べて映画館に向かうことにした。2、3時間潰している間に、JRもきっと運行を再開するだろう。

チケットを買う時まで気づいていなかったのだけど、この日は映画の日だった。鑑賞したのは、「オリバー・ツイスト」。原作はチャールズ・ディケンズチャールズ・ディケンズで、文芸名作モノの映画化作品である。


 
 (写真は、Amazon.co.jp http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4042110169/ より引用)。


チャールズ・ディケンズというと、「クリスマス・キャロル」は、幼少のみぎり児童向けの抄訳版で読んだり、アニメーションや映画作品を観たことがある。だけど、「オリバー・ツイスト」については全く触れたことがなかった。映画を観て、初めてその物語世界を知った。

でも、基本的にこういう映画は好きなのである。どういうところにひかれるかといえば、当時の時代の風景をリアルに再現していることだ。歴史的な光景をいま目前にできるというのは映画ならではの愉しみである。もちろん、時代の再現には相当お金がかかるわけで、これは大作映画にしかない醍醐味である。

ということで電車が停まった結果、この晩はロンドンの貧民窟を舞台にしたストーリーを僕は堪能し、オリバー少年の運命に涙し、その純粋な精神には感動したのだった。しかし、オリバーを囲む人物たちが、悪漢も善人もなんとも人間味に溢れていたなあ。原作がもともとそうなのだろうけど、物語になんともいえない深みを醸していた。


19世紀のロンドンから21世紀の川崎に復帰すると11時半頃。JRの駅に向かうとまだ電車は動いていない。おお、なんということだ。

駅は騒然としていた。横浜より先、いわゆる湘南のあたりの住民となると、東海道線しか路線がなく、それが停まるとみな往生してしまう。そうした乗客たちが往生している。

僕も以前鎌倉市内の寮に住んでいた頃は、災害時に電車の運行状況にはかなり過敏だった。長距離通勤になればなるほど、その距離に応じ線路上にトラブルが発生する可能性は高くなる。
いまでも忘れられないのは8、9年前に大雪が降った夜のこと。7時に会社を出て満員の東海道線の車両に押し込まれたのに、架線に雪が積もって電車は駅間で動かなくなってしまい、結果寮に辿り着いたのは午前3時くらいだった。あの時は本当にひどい目に遭った。当然、翌朝は定刻通り出社しないといけないわけだし…。

ふだんから長距離で満員の電車を我慢して通っているのに、トラブルで停まって帰れなくなるというのはまさに災難以外のなにものでもない。自分の経験もあって、僕はこういう時の湘南方面の住人には大いに同情するのである。まあ、湘南みたいなええところに住んでいるってことでおあいこだよ、とあえて言い放つこともできるのだけど。

僕についていうと、いま住んでいるのは川崎のすぐ近くの駅が最寄りで、京浜急行の沿線でもあるので京急電車に乗り換えて帰宅した。京急もひどい混雑だった。


部屋に入ってから、新聞社のニュースサイトをチェックした。

2月1日午後8時36分発生した地震は、埼玉県や神奈川県の一部で震度4を記録した。JR東日本の横浜方面の在来線は線路の安全点検のため運転を見合わせ、4時間近くたった2日午前0時10分頃から再開した。23万7000万人に影響が及んだという。

 Sankei Web 社会 埼玉、神奈川で震度4 東海道線一時止まり24万人に影響(02/02 01:05)
 http://www.sankei.co.jp/news/060201/sha094.htm

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