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April 30, 2006

ニュー・ワールド

Soba_1大型連休の2日目。朝食に蕎麦をゆでて食べる。

蕎麦をゆでるのは、ささやかながらこの4月に始めた習慣の一つ。僕の生活のけっこうな部分を依存している近所の百円ショップで、ふと蕎麦も売られているのが目についた。昨年末に大きめの鍋も買ったところで、ゆでるのに丁度具合がよい。

ここでたんにゆでるだけでなく、蕎麦を打つ、とまで言えばかなり格好もつくだろう。でも、そこまでの手間をかける意思は全くない。日々の食材の話である。これまではコンビニの弁当コーナーで売られているざる蕎麦を買って食べることがあったけど、自分でゆでることにすれば100円で5食。原価が圧倒的に安い。

この先、僕の朝食の定番メニューとなりそうだ。

ちなみに、竹製のざる蕎麦用盛り皿も同じ百円ショップで調達。ああ、百円ショップの存在は、僕の生活をいかばかりか豊かにしてくれていることであろうか。


暇なので一人映画館に出かけて、「ニュー・ワールド」を見る。

そういえば、このところあまり映画を観ていない。だからこのむびろぐの更新も数えるほどだ。なんでだか、僕にどうしても観ておかなければと思わせるようなタイトルがこの春先は少なかったんだよね。

ゴールデンウィークに突入した今週も、どうもその傾向は変わらない。それでも、映画館の会員カードのポイントがかなりたまっていてタダで1, 2本鑑賞できるくらいあったので、とりあえず足を向けた。


さて、映画の感想なのだが…端的に言ってしまえば、低温体質向け恋愛叙情劇といったところかな。

実は最近(というかだいたいいつもそうなんだけど)わりとテンションは低めで、ゆえに愛だの恋だの素直には受け止められない心持ちになっている僕(ああ、よろしくないですね)。そんななかでうかつにも見てしまった愛のお話であった。ふぁ〜。まあ、一方で歴史時代を舞台にした物語は好みなので、そっちからの興味で観たいと思ったんだけどね。

ポカホンタス、という名前はディズニー映画でアニメ化されたことがあるので、聞いたことはあった。でもそれ以上の知識はない。この映画を観て彼女が数奇な人生を送ったお人であったことはわかった。舞台は17世紀初頭の新大陸、アメリカ開拓時代の初期。原住民の王の娘ポカホンタスとイギリス人入植者ジョン・スミスの間に、種族を越えた愛が花開く。

最初のほうではノロケの場面とかもあったりして、このままこの二人、勝手に盛り上がって行くのかなあ、なんだかどうでもいいなあと思っていた。けれど、予想に反してそれ以上に盛り上がっていくことはなかった。控えめで淡々とした雰囲気のまま、終盤に至ってしまった。これは人によって好みのわかれるところかもしれないけど、それは観ている僕の気分的にとってはちょうどいいくらいの抑え方だった。


ポカホンタス役は新人女優さんらしいのだけど、やや照れ気味で逡巡するようなまなざしをつねに見せていたのが、また初々しくてよかったかなあ。

全編を通して叙情的で、まるで詩のような感覚の映像に満ちていた。登場人物もみんな口数少なく、セリフはまるで独り言をつぶやいているかのようだった。おそらく、この映画の出演者たちはセリフを覚えるのに苦労しなかっただろう。実にリリカルな作品だった。

人によってはかなり、退屈に思うかもしれないけど。


そういえば映画「ニュー・ワールド」といえば、こんな発表もあったナ…。

 シーンに応じて香りが発生、NTT Comが映画「ニューワールド」を香りで演出
 http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/04/11/11594.html

ふうむ。

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April 22, 2006

天国の本屋〜恋火

休日。とくに予定もなく、おかげでまた誰とも会わず、誰とも会話しない1日を迎えてしまった!

まったり自分のペースで過ごせてそれはいいんだけど、1人でいるとやはり、だんだん気分が暗くなってくる。うぅ…。


そんな鬱状態になって夜を迎えると、NHK BSで映画「天国の本屋〜恋火」を放送していた。


 


かつて映画館で竹内結子チャン(この時はまだ独身…)のさわやかな横顔が写るポスターを見かけて気になっていたタイトルである。その時は結局見逃してしまったのだが、これ幸いと鑑賞する。しかし—TVで見る時はだいたいそうなるんだけど、途中でながら視聴に移行してしまった。よって、一応最後まで観たのだけどストーリーがさほど頭に入っていないのであった。

そもそも僕は奇跡をベースにした映画を、どうも受け付けないようだ。

そう。まがりなりにももっともらしい理屈をつけてSF仕立てにするか、あるいはかなりシュールなレベルまで昇華されるとかしてくれないと、僕の脳は面白がらない。理由もなく奇跡を許容してしまうと、そのとたんにどんな恣意的で都合のいいストーリー展開が可能だしなあ。そう思うと萎える。いや、リアリストなんですね、僕は。

まあ、こんなことは女性と初めてデートする日の映画のチョイスの際には、口が裂けても言ってはいけない。言ってしまいそうだけど。いや、それはデートできるようになってから悩め。


それにしても竹内結子チャンって、死んでいる人の役が多いな。「黄泉がえり」とか「いま、会いにゆきます」とかね。まだ若いのに…ちょっと死に過ぎである。現実世界では長生きしてください。

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April 16, 2006

純情きらり

僕の生まれ育った愛知県岡崎市を舞台にした連続テレビ小説、「純情きらり」の放送がこの4月から始まった。地元が舞台のNHKドラマは、僕が小学校5年の時の大河「徳川家康」以来ではないかい。


 Aoimiyazaki


ドラマの主役である女学生を演じているのが、宮崎あおいチャン。昨年話題になった映画「NANA」での演技の記憶も新しい。若い女優さんたちのなかでもバツグンにキュートなお人だ。そんな彼女がセーラー服にくるまって、三河弁を話してくれるのだろうか…。

僕がかつてふれあった女子中高生たちと同じく、「やだげー」「ほだら」「やめりん」とか、滑舌よく喋ってくれるのであろうか。

萌え…。


ということで朝からチャンネルを回し、ブラウン管から三河弁が流れてくるのを聞くと、なんとも嬉しくなってしまう。といっても、登場人物たちが喋っているのはずいぶんライトで、スロウな三河弁だな。これは、もしかすると地元で視聴している人にとっては、標準語に聞こえてしまうかもしれない。

なにせ生まれた時から三河弁が当たり前だで、地元におると何が標準語で何が方言なのかという区別がつかんのだわ。

僕もかつてはそうだった。それでも、就職して関東地方に出てきた結果、日常で地元の言葉を聞くことがなくなってしまい、たまに帰省した時に三河弁を意識できるようになった。家族との会話もそうだけど、暇つぶしに車で喫茶店に行った時なんかそうですね、お店でたむろっとるおじちゃんおばちゃんたちの会話が、もぉみんな典型的な三河弁。おそらく、本人たちはわかっとらんのだろうけど…。


僕の見る限りドラマのなかでは、宮崎あおいチャン本人のセリフにはさほど三河弁が混じらない。これはちょっと不満に感じるところだ。彼女には、ぜひ共演する戸田恵子さん並みの三河弁を期待したい(…戸田恵子さんは名古屋の出身だけど、彼女のお父さんが三河の出身らしく、劇中でも一段レベルの高い三河弁を駆使している)。

このままでは萌えが足りないのだ。もっと萌えを!


もっとも、このドラマのなかの時間は、ただいま昭和12年(1937年)。この設定に従うと当時16歳の有森桜子(宮崎あおいチャン)は、死んだ僕のばあちゃんよりは年下だけど、親父やお袋よりはずっと年上だ。

と、そのことに気づいてから僕の想像力は、禁断の妄想を描き始めてしまった。いまはピチピチな彼女のお顔に、しわとかしみが生じて、白髪にまみれたらどんなふうになるのだろうと、イメージを膨らませてしまうのだった。

萎え…。


ついでにいうと僕の実家のある地域は、昭和30年(1955年)の、いわゆる昭和の大合併の時に岡崎市に編入された地域だ。だから実のところ昭和12年の宮崎あおいにとっては、僕らはよそものなのであった。

越えられない一線。ああ…。

ブラウン管に映し出される岡崎は、昔ながらの岡崎。岡崎城や、乙川噴水や、八丁蔵通り。これらは街の岡崎の風景だ。僕の実家からそんな街の岡崎に出るのには名鉄バスで30分。郊外の農村地帯に生まれた身としては、ドラマとはまた違う風景のなかで生きてきたのであるよ。

ああ。街の生活が、街の宮崎あおいがまぶしい。


 

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April 14, 2006

県庁の星

就職戦線異状なし」で、バブル真っ最中の時世に理想の就職活動を模索する大学生の姿を演じ、「踊る大捜査線」では大組織の論理に翻弄されつつも生真面目であろうとする若い社会人を演じていた俳優・織田裕二さん。

そんな彼も38歳…。精悍な顔立ちはずっと変わらないが、内に青臭さを残して正論を梃にがんばる役回りだけではそろそろしんどいのではないかと、数年前から心配になっていた。たとえばそこが湾岸署なら、いつまでも下っ端刑事の役回りじゃないだろう。部下もつくだろうし、とすれば上司との間に立って折り合いをつける場面も出てくるだろう。普通の組織ならそんな年次なのだ。

現実問題、30代にもなって青島刑事みたいな人って、職場にいたら困りませんか?


さて、おそらく「踊る大捜査線」以外では、「ホワイトアウト」以来の映画作品になるんじゃないかと思う、「県庁の星」。こたび彼が演じた役は、地方公務員のエリート候補生であった。うーん、徐々にエスタブリッシュメントに近づいていっているようですねえ。

僕は、原作の小説を既に昨年の秋読んでいた。なるほど、映画化するにはちょうどよい案配のストーリーだと思っていた。ただ、原作の印象からすると、織田裕二は年齢がいささか上だし、柴崎コウは若過ぎる。そうですね、織田裕二は伊藤英明で、柴崎コウは桃井かおり(!)くらいな感覚だったかなあ。

映画としては、典型的な職業理解を背景として、典型的なストーリーを典型的な配役でこなしているというところか。これはたぶん、ある種のわかりやすさを譲れないお約束として求められたのだろう。そのなかで、製作者や出演者のみなさんはそれなりにがんばったということなのだろう。


ところで話を戻すと、何が仕事上のリアルって、年代によって変化するよね。だから20代後半の青島刑事の時に見えた組織のリアルと、30代後半の野村係長(本作品で織田裕二さんが演じている役)から見える組織のリアルって違うだろう。どこをリアルの落としどころとするか。

そこをこの映画では、原作にはない要素をいくつかと付け足してラストに見せているのだが。これが成功していると感じるか、失敗していると感じるかは人それぞれかもしれない。ご覧になってみてください。

ただ、行政のリアルという観点では、きわめて基本的なところで疑問符がつく。なぜ一介の行政職員が、選挙によって選ばれた代表である県議会議長と、県議会(のようなところ)で対峙できるのかが不思議。権力分立の前提からしてありえないと思い、この、あまりの非現実的な場面に僕はひるんだ。おいおい、見る側になじみの薄い世界だからといって、こんな描き方をしてもよいのか?

いや、そう思うのが間違いなのかもしれない。考え直すとしよう。これはフィクションなのだ。おそらく映画「県庁の星」の日本には、われわれの日本国憲法はなく、地方自治法もなく、そこには別の法治が働いているものと考えよう。つまりこれは、われわれの知るガバナンスとは異なる精神によって築かれた世界の、行政改革の話なのですよ。たぶん。


って深く考え過ぎかな。織田裕二さんや柴崎コウさんが演じるお話って、そもそもが万事そんな程度のものなのかもしれない。


  

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April 01, 2006

東京フレンズ

■東京って、やっぱり憧れの大都会だと思う。

「いちばん最初に描いた夢を、あなたはいまも覚えてる?」

ストレートで、ギクリとさせられてしまう言葉だよね。ましてや、大塚愛チャンにそんなことを問いかけられたら、真剣に考え込んでしまうだろう。もともとは“夢”を抱かず、現実しか見ていない僕ですら、思わず「え!? オレってどんな夢あったんだっけ」と、なかったものを探し出しそうになる。


東京って、やっぱり憧れの大都会だと思う。もしここを読んでいる人が地方に生きてきた人なら理解してくれるだろう。東京と聞くと、そこにはあらゆる夢と希望が詰め込まれて、刺激に満ちていて、全てがキラキラと輝いている気がしたんだよね。そう、あれは僕が大学生の頃。社会というものをだんだんと理解するようになって、フィールドを広げて、取材や就職活動で東京を訪れる機会を持つようになった。上京するたびに、ああホントすげぇ街だなと感動した。

こんな刺激に満ちた環境に身を置きたいと思ったから、就職して東京勤務を希望したのだ。

実際に社会人になって出てきた東京は、悲しいかな、学生時代と違ってもはや自分には自由な時間のない身だし、寮は都心までかなり遠いところだったし、そして気づいてみると地元での生活と違って、会社の同僚や先輩以外知り合いもいないし、思い描いていたものとはだいぶ違った。不安で、心細くて、ウキウキするようなものではなかった。それでも、苦闘しつつなんとか10年ちょっとの間、この都会で自分なりのものを築こうとしてきていまに至っている

そうそう、大学の頃に流行ったトレンディ・ドラマで「東京ラブストーリー」というものがあった。小田和正さんが主題歌「ラブストーリーは突然に」を歌い、鈴木保奈美チャンが織田裕二クンに「セックスしよ」と投げかける、あのドラマだ。東京とつけば、そんなものだってリアルに感じられた。

実際にはのんべんだらりとした日常を送っていて、そんなことは全然起こらない。まあ、落ち着いて考えればそういうのは東京だからとか東京ではないからとか、あんまり関係ない。でも当時は、東京にいるだけで、ドラマになりそうなそんな素敵な何かがあるような気がしたんだ。まあ、いまだったら、ニューヨークってとこかな。

東京という地名は、やはりそういうイメージを抱かせる。というところで目にしたのが「東京フレンズ」というタイトルなのである。

東京フレンズ。東京の友達。

くぅ〜。そう聞くと、ただの友達じゃない雰囲気が漂ってきますね。やっぱり東京というからには、バツグンにかわいい女の子とか、クールでスマートな男子とか、夢とか野望とか卓越した才能とか、そういうものを秘めたやつが友人にいてもおかしくない気がする。そこにたとえば、大塚愛チャンがいたっておかしくないわけだ。


 Tokyofriends

  http://www.tokyofriends.jp/


 Amazon.co.jp:東京フレンズ プレミアムBOX: DVD
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00081U4DY/


ドラマ「東京フレンズ」。これは大塚愛を、地方から上京してきた主役の女の子に据えた物語であった。もっともドラマといっても、TVドラマではないし、もちろん映画でもない。セルDVD限定で大塚愛初主演作品が提供されるということで、一部では話題になったパッケージだ。そんな話題性もあったし、なにより1話を見始めたところで存外ひきこまれたので、レンタルを繰り返して全5話を見終えた。いささかご都合主義的でソフトクリームみたいに甘いストーリー展開が気にはなるんだけど、主役・脇役の女の子たちは悪くかなかったから、まあいいとしよう。

そのドラマで毎回愛ちゃんが問いかけてきたセリフが冒頭のメッセージなのだ。つくづく思う。やっぱり東京って、夢を叶えるために存在している場所なんだよなあ。

僕らにとっては、そうなのだ。そういうところだったのだ。


■さほど夢を抱かない僕が東京に出てきて

さほど“夢”を抱かない、現実主義者の僕が東京に出てきて耽読していたのは、清水義範さんの小説。「青山物語1971」「青山物語1974」だった。

大学生だった僕がインタビューしたこともある清水義範さん。言葉の醍醐味を駆使し、パスティーユ小説という新たな領域を切り開いた名古屋出身の作家だ。教師だった僕の父と同じ愛知教育大学を出ていて、普通なら当然教師になるべきなんだろうけど、作家になるという夢を胸に秘め大学を出ると同時に上京した。といってもすぐに小説家になったのではなく、青山の小さな会社に勤めてサラリーマン生活を送りつつ文芸活動を続けたのだ。その風景をつづった自伝的小説が、「青山物語」だった。

それは織田裕二くんや鈴木保奈美さんのようにイケメンと美女の織りなすドラマではなく、地方から出てきたちょっと気弱な青年の、純真で健気な奮闘ぶりを描いたお話だった。1995年の僕には、清水さんほどの大望はなかったわけだけど、この小説には東京に出てきたばかりの自分の境遇を重ね合わせ、大いに共感させてもらったものだ。

そういえば「東京ラブストーリー」も、原作の漫画版は地方出身者たちの不安というものが登場人物たちの根底にみえた作品だったよなあ。ドラマは結局途中までしか観られなかったから、僕にとってのT.L.Sは、漫画版なんだよね。東京というのは全く、夢と希望に満ちて輝いていて、でも時にはそれに潰されそうになって、戻ることもできなくて、寂しさのあまり人を好きになって傷つけたり傷つけられたりして、そんな街だった。

一方で、清水さんの代表的作品「金鯱の夢」には作家にならなかった清水義範という人物が登場する。名古屋に幕府が開かれ、名古屋弁が標準語になり、そして平成日本の首都も名古屋だったらどうなっていたかという、壮大な歴史パロディのこの作品。小説の結末に、小学校の教師として暮らすもう一人の清水義範の姿が描かれるんだよね。名古屋という日本の中心の大都会に生まれたおかげで、野心も努力も抱かず作家になりたいという希望もたんなる夢で終わったという…。そう、東京に夢を重ねられたというのも、ある種の特権ではあり、チャンスではあったんだよね。たぶん。


東京ラブストーリー」と「青山物語」と、そして「東京フレンズ」。僕にとってはもう過去のものともいえるし、現在進行形で10年たったいまもまだ続いているともいえるんだけど、この都会を前にして抱いてきたいろんな思いが、鏡のように映し出される作品たちではある。


「いちばん最初に描いた夢を、あなたはいまも覚えてる?」。

うーん、ギクギクッ。


  

  

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