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July 15, 2006

もののけ姫

むかし大学の一般教養科目として受講した経済学の講義で、担当していた若い講師がこんなことを言っていた。

「みなさんサークルのジャケットによくSince 1995とか刷り込んであるじゃないですか。あれってやめたほうがいいですよ。あえて歴史がないことを示す必要はないから」

経済学とは関係のない話題だったので、たぶん何かの雑談だったのだろう。その講師が留学経験として語った話によると、欧米であえてSince ~で年号を入れるのは、その団体に歴史がある時に限られているらしい。

ふむ。

そんなことを思い出したのは、いま、映画館でさかんに流されている「ゲド戦記」の予告編を観たからだ。予告編自体はよい出来で、この映画を観たいと思わせるものなのだけど、なぜか最後にこの一言が入る。

「宮崎吾郎第一回監督作品 ゲド戦記」。

あの、あえて「第一回」監督作品って…。なんでわざわざ銘打つのだろう。経験がなく未熟で、もしかすると駄作かもしれないよ、ということを観客に知らしめているだけじゃないだろうか。

僕は宮崎吾郎さんという人は寡聞にして知らなかったのだけど、どうも宮崎駿さんのお子さんらしい。有名人の子供ということになる。ご本人にとって血や環境がどの程度プラスに働いたのかわからないけど、とにかく「第一回監督作品」を強調するのは止めたほうがいいんじゃないかと思った。


「ゲド戦記」の予告編ばかり見せられているせいか、ふとむかしの宮崎駿監督の作品が観たくなった。

タイトルは、「もののけ姫」。

 


長編アニメーションとしては久々の登場となった作品だ。それ以前の作品となると「紅の豚」「魔女の宅急便」となっていささか古くなるし、それ以降は「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」だからまだ記憶に新しい。時間的にそろそろもう一回観てもいいかな、と思う頃の作品が「もののけ姫」だった。

それに「もののけ姫」は、一連のシリーズではかなり転機になっている作品だと僕は思う。

この作品以前の宮崎駿作品は、あきらかに万人受けする、わかりやすいストーリーだった。しかし久々に製作されたこの「もののけ姫」を境に、単純なわかりやすさはなくなり、奥深くマニアックなストーリーに転じたと思う。正直言って、いったい何が面白いのかよくわからない。

そのくせ、観客動員数は増え続け、公開されれば1,000万人近い観客が劇場に押し寄せる。これは不思議だ。いったい日本国民はどうなってしまったのか?


まあ、その理由を推察するのは僕の手には余りすぎる。「もののけ姫」のDVDをレンタルしてきて部屋で鑑賞したのは、7月15日の土曜日、3連休の最初の休日だった。エアコンを効かせた部屋で、画面に没頭する。

「もののけ姫」が僕にとって印象深いのは、これは「風の谷のナウシカ」のストーリーの裏返しになっているからだ。これは有名な話だし、映画を観て気がついた人も多いと思うのだけど。もういちどストーリーをなぞって、それを検証してみたかった。

主人公のアシタカはペジテのアステルだろう。もののけ姫であるサンはナウシカ。トルメキアの女司令官であるクシャナは、エボシ。

たたら衆は鉄を作るために森を切り開き、禿山にしてしまう。いわばトルメキアだ。怒る森のもののけたちは、「ナウシカ」でいえば腐海の蟲たち。そしてナウシカで描かれた王蟲の突撃は、今回はイノシシたちの猪突猛進として描かれる。

ただ「ナウシカ」では、主人公ナウシカが立つ〈自然〉側が“善なるもの”として描かれたのに対し、この作品では単純な善悪の判断はつけていない。自然破壊者の筆頭エボシはしかし、たたらの女や男たちを守護する存在でもある。ラストに至っても、善悪の判断はつけられず、サンは〈自然〉側として、アシタカは〈人間〉側として、互いを認めつつも袂をわかって生きていくことになる。

こういう描き方は、僕は好きだ。ま、映画として面白いものかどうかはまたべつだけど。

だいたい、「風の谷のナウシカ」は僕はあまり好きではなかった。あの作品は、ストーリーとしては完全に破綻していた。あのストーリー展開で論理的に納得のゆく結末は、王蟲の突進によって風の谷が滅ぼされるか、よみがえった巨神兵が王蟲を焼き払うかのどちらかしかない。しかし奇跡という禁じ手を持ち込むことによって、そのどちらのラストも回避し、巨神兵に寄らず谷は守られ、王蟲たちは自発的に帰っていく。なんだそりゃ!

そりゃ、奇跡が起こればどんな展開でもできちゃうよ。どんな展開もできてしまうからこそ、それでラストの落とし前をつけるべきではないのである。まあ「風の谷のナウシカ」はそれが許された--つまりアニメーションが実写の映画やTVドラマより一段低く、子供の見るものとして扱われていた時代だからできた芸当である。

 


実はその「風の谷のナウシカ」には、もう一つのストーリーがある。「風の谷のナウシカ」はアニメージュ誌に連載されていた、宮崎駿さん自身の手による漫画が原作で、映画はそのごく初めを大幅に改編して1本の独立した作品にしたに過ぎない。

原作の漫画は映画公開後も延々と連載が続き、1994年に完結する。そのラストに至る過程で善なる〈自然〉というモチーフは失われ、実はその時代の人間たちはナウシカを含め、腐海の不浄の環境のなかでも生き延びることができるように“改造”された存在、という設定になっている。

純粋な自然のたまものではなく、不浄のなかでしか生きられない人間。

この作品で最終的に到達したものが、そのままこの1997年の「もののけ姫」につながっていると思う。だから舞台を中世日本に移し、歴史学者である網野善彦さんの学説を取り入れて非農業民たちの世界を描きつつ、人物造形は「ナウシカ」のまんまだし、視点はかつての「ナウシカ」とは逆というお話になったのだろう。


ということで3連休の初日、ほぼ9年ぶりに「もののけ姫」を鑑賞したのだった。

べつに新たな発見とかはとくにないんだけど、ホント、わかりやすいまでに裏「ナウシカ」だよなあ、とやはり意を強くしたのだった。


部屋のTVで「もののけ姫」を観終わって、その日の夕方は新大久保で食事会があったので出かけていった。メニューは、韓国料理。

Koreanpartyたまたま共通の知人を介して知り合った韓国人の友人がいて、その彼に「韓国料理の食事会を企画しよう!」とお願いして、この日に店をとってもらったのだ。集まった人数は、計7人。焼肉やキムチなどなどに舌鼓を打つ。日中暑かったから、ビールがおいしい!

ちなみに店の名前は「大長吟」だった。つまりNHKで放映中の「チャングムの誓い」の韓国での題名である。ヒットしたドラマにあやかっているのかなあ、と思ったら、店内に入れば主演イ・ヨンスのポスターはあるし、ドラマの解説は貼ってあるし、チャングムのフィギュアも飾られていたりして、ほぼ完全に便乗商法的なお店であった。

まあ、おいしかったからいいんだけどね。

ドラマ終わっても、店名はずっと同じなんだろうか?

  

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