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August 30, 2006

太陽

たしか、「シンボル」という題名だったかと思う。

かつて読んだ清水義範さんの小説「騙し絵 日本国憲法」の一編。パステーシュ小説という新たな境地を切り開いた清水さんが、その書では日本国憲法をまな板に載せ、いつもどおりの抱腹絶倒、慈愛とアイロニーに満ちたストーリーを展開していた。

その小説では、憲法の各章ごとにテーマを関連づけてそれぞれ独立したストーリーが展開されるのだが、「第1章 天皇」にひもづけられた作品、それが「シンボル」(たぶん)だった。

お話は、働き盛りの男が主人公。普通にサラリーマン生活を送っていたのだが、ふと知り合ったフランス人の留学生から「天皇をどう思いますか!?」という質問を受けて違和感を抱く。むむ天皇なんて、とくに考えたこともない。なんか感覚が違うんだよな〜、と同僚たちとの酒の席の肴に語る彼。

さて、順風満帆だった男の人生だが、突如として歯車が狂い始める。ある日会社では左遷され、家庭もうまくいかなくなる。人生最大のピンチ。男は寝込む。「大変だと思いますが…」弱気になった男の夢枕に、彼の父親にも似たその人は佇んでいた。

「なんとか元気を出してくれることを…希望します」。猫背気味のその姿勢。…それは、昭和天皇だった。


まあ、なにせもう10年以上前に読んだ本ゆえにうろ覚えで、しかも僕の要約が悪くて作品の雰囲気がかなりそがれてしまっているのだが、その声に男は励まされて、もう一度やってみるかという気になる、というエンドだった。

それが、僕がかつて目にした、天皇を題材にしたファンタジー。


 
 (写真はgoo映画 http://movie.goo.ne.jp/ からの引用)


何か面白い映画ないかなあとインターネットを探っていたところ映画「太陽」が隣の駅の映画館で公開されていることを知る。なんと、いつの間に!?

イッセー尾形が昭和天皇を演じたロシア映画で、海外では高い評価を得ている。しかし、日本では天皇タブーがあるから公開が難しい—。たしかそんなことを、けっこう前に週刊誌アエラの記事で読んだと思う。それでちょっと興味を抱いて、記憶に残っていた。ふうん、結局公開されたってことか。

思えば「ホテル・ルワンダ」の時もそうだった。なんだかんだ言って一見難しそうでも、話題を呼びそうな作品は公開されるのである。といっても自然におそらく本作品も、公開めざして裏方で駆け回った人が少なからずいたわけで、それには感謝するべきなのだろう。いい世の中になった。もっとも、その恩恵に預かれるのはいまだ都会のみなんだろうけど。


さて、観てわかったのだけど、これは昭和天皇を主人公にしたファンタジー映画とでも呼ぶものである。

正直なところ、僕はもう少し歴史ドキュメンタリー色の強いものを予想していたのだが(たとえば「ラストエンッペラー」とか「ヒトラー最期の12日間」みたいな…)、実際にはそうではなかったわけだ。観ながら考えていたのだけど、史実と重なるシーンはほとんどない。だいたい玉音放送が終戦後で、その内容は「人間宣言」という設定なのである。

あくまで終戦前後の天皇を素材として、この監督が想像したイメージを託した幻想的映像作品といえるだろう。そして天皇ファンタジーということで、冒頭の短編を連想したわけだ。

考えてみれば昭和天皇はその地位と人生と、そして彼の帝国のたどった運命を思えば、他に類を見ない非常に魅力的な人物と言える。多くの日本人にとっても右も左も、老いも若きも、全ての人がそれぞれこの人に何かしらのイメージを託していた。かつて清水義範さんが筆をとったように、空想していたのはこの映画のソクーロフ監督だけではないのだ。


まあ、映画自体はファンタジーなんだけど、やっぱり見事なのは天皇を演じるイッセー尾形! ほとんど彼の一人芝居である。彼が演じる威厳とユーモアと、朴訥さは、うんうん、人間・昭和天皇ってこんな感じだったかもしれないなあ、と思わせる。そして脇役もまた絶妙だね。侍従が佐野史郎で、皇后が桃井かおり。もし、天皇が主人公の作品じゃなかったとしても、こんな配役のマイナー映画があったらそれだけで少なからず興味をそそる。これはホントにロシア人監督の映画か?

希望をいうと、マッカーサーにはもう少しカンロクある役者を持ってきてほしかった。役者さん本人には悪気があるわけじゃないんだけど、これではいささかショボすぎる…。


次は元帥ファンタジーもお願いしますぜ! カントク!!


 

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August 27, 2006

ゆれる

予告編のラストにある文句のとおり、心が揺さぶられる映画であった。観てよかったと素直に口にできる、かな。

27日の夜、新宿で鑑賞した映画「ゆれる」。

こんな感想を抱いてしまったのは、ちょうど僕が男二人の兄弟に生まれたからかもしれない。そう、この映画はそれぞれ異なる人生を歩んでいる兄弟が主役の映画。二人が久々に再会した時、吊り橋から幼なじみの女性が落ちるという事故(あるいは事件?)が起きる。

そして映画の題名「ゆれる」とは、実際に事故(または事件)の起こった吊り橋そのものの揺れにかけて、微妙に揺れ動く兄弟の心理を象徴的にあらわしたタイトルである。うん、たしかに観ている間、ずっと揺れていた気がするよ。


スクリーンの向こう側で田舎町で家業を継いだ兄を演じるのは香川照之、東京のカメラマンである弟は、オダギリジョーが演じる。繰り返しになるけど同じ男2人の兄弟という立場で、ちょうど同年代くらいの主人公たち。だからついつい自分の経験と比較したり、投影したりしてしまったのだ。

もっとも我が家の場合、東京に出てきて働いているのは兄のほうだし(弟は地元で一人暮らし)、両親はまだ健在で継ぐべき家業があるわけでもないし、とくに一人の女性を奪い合うような関係もない。だから早川家の場合より事態はずっとよいといえる。

しかし、とはいえ我が家も元農家であるから、昔から伝わる家屋とか土地とか墓とかの管理は今後考えていかなきゃいけないだろうし、しかしそれにしても二人ともまだ結婚もしていないし、一方で法事や盆の帰省なんかで弟と会話すると、「結婚するつもりはない」とのたまったりして、将来をちゃんと考えているのか考えていないのかよくわからないし、共に同じ親の子として育った記憶を共有する関係ながら、おいおいいつからこんなふうに違ってしまったのだ、と思うことがないわけでもないのである。

そんなわけで、スクリーンの向こうに映し出される兄弟の関係と、彼らが互いに織りなす感情の振幅に、僕のハートもビビッドに反応してしまったのだ。


監督のプロフィールを見ると1974年生まれ、とある。1974年か、弟と同い歳だ。まだ若いのに優れた才能をもち、しかも女性であるのにも関わらずこの映画では男兄弟の関係をうまく描いていて、ふうむと思ってしまう。

ミニシアター系なんだけど、かなりプッシュしたい映画だといえる。個人的には、香川照之の豹変ぶりに注目か。そう、兄というのはだいたいにおいて“いい子”なのだろうけど、その実、内面はそれだけ屈折しているのですよ、フッフッフッ…。

間宮兄弟」が満足できた人に。あるいは「間宮兄弟」が十分満足できなかった人に、それぞれオススメしします。


 

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August 15, 2006

ゲド戦記

■岡崎公園周辺の散策

夏休みで愛知県岡崎市の実家に帰省中…。8月15日は中学時代の友人と岡崎城周辺を散策した。

この夏の最高気温を更新しそうな暑さのなか、まずは大手門から岡崎公園に入って、三河武士のやかた家康館に至る。

Ieyasukanこれは1983年の大河ドラマ「徳川家康」の放映をきっかけに開館した施設だ。たしか開館直後に見学したことがあるのだが、以来実に20余年ぶりの訪問なのであった。
(ここで愛知県以外でかつ日本史に詳しくない人のために補足しておくと、岡崎は徳川家康が生まれた地である)。

それで、たいていこういう自治体の施設は、開館時にはお金をかけて整備しても後はそのままに放置され、ずっと古びた展示が続けられがちである。ここのその例に漏れないんだろうな思って入館したところ、展示は予想外に新しい。最近リニューアルしたらしい。

そのことは映像コンテンツを映し出すテレビが液晶になっていることからもわかる。AQUOSが揃っているのだ。おお〜。ほしいぞAQUOS!!

展示そのものは館の名称の通り、家康の生涯と、それを支えた三河武士にフォーカスを絞ったもの。まさに徳川家康ファン(…なんているのか?)には垂涎の内容だといえよう。

なかでも関ヶ原の合戦の1日の流れをダイナミックに再現した動くジオラマは一見の価値あり。小学生あたりの年頃ならばかなり喜びそうなギミックである。


Okazakijo家康館を出て園内を散策し、続いて岡崎城の天守閣に登る。

この天守閣もずいぶん久しぶりなんだけど、前回はいつ来たのか覚えていない。

最上階から回りを見渡すと、岡崎も随分マンションが増えたなあ、と思う。もしかしてこの岡崎城天守閣よりも高いマンションもいくつかあるのではないだろうか。城のありがたみがちょっとだけ薄れた気がした。

それにお城の南西にはもう一つ、西洋式の城を模したような建物が建立されているではないか!? さぞやモダンな建築の屋上の外壁には、「ホテルおしゃれ貴族」とある。

うーん、これは夜になると派手なネオンサインとライトアップで、岡崎城よりあっちのお城のほうが目立ってしまうのだろうなあ。まさに不夜城…そしてそのなかではあんなことやこんなことが。わぁぁっ。


天守閣からの眺望で思わずあらぬ方向に想像に及んでしまったのを、なんとか心を落ち着かせる。

こんどは最終目的地・八丁蔵通りに向かう。

実は岡崎市民を長いことやっていながら、八丁味噌の本場というのを見たことがなかった。だいたい、岡崎といっても北のはずれの僻地に住んどるんだもんね。もともと合併された地域だで、いわゆる街の岡崎には縁が薄いんだわ。

それが今日改めて訪れてみたのは、ズバリ朝の連ドラの影響である。岡崎市を舞台にした「純情きらり」のせいで、岡崎ナショナリズムに目覚めてしまったのだ。

といっても正直、ドラマそのものはさほど熱心に観ていないんだけどね。でも、たまにチャンネルを回した時に放映していて、宮崎あおいチャンが「だで」とか「だらー」などの三河弁を口にしているのを聞くとたまらなく萌えてしまうのだ。あぁ…。


Hacchomisoその「純情きらり」のロケにも使われた菅生川の河原を通って、国道1号線に出る。そのまま歩いて八丁蔵通りへ。

八丁味噌メーカーとして有名なカクキューの建物が見えた。駐車場には観光バスやら自家用車やらたくさん停まっている。やはりドラマの効果が現れているのだろうか…ちなみにその前の道路は「きらり通り」と名付けられていた。なんともわかりやすい街おこしであるな。

賑やかな空間をちょっと折れ曲がっていくと、いかにも味噌問屋という壁が並ぶ一角に出る。ドラマにありがちな光景。数10メートルの距離を、写真など撮ったりしながらてくてくと歩いて抜ける。


そしてそのまま康生町に停めていた友人の車に戻り、市街地を後にしたのであった。その後はとりあえず近場のコメダ珈琲に入り、休息をとってだらだらした。


■ゲド戦記を鑑賞する

晩飯を食った後、予定にはなかったのだが友人の提案で映画館に行くことになる。安城のコロナへクルマで向かう。岡崎から映画館がなくなってこの方、三好のイオンのMOVIXには行ったことがあるけれど、コロナは初めてだ。

友人は「ミッション・インポッシブル3」を、僕は「ゲド戦記」を鑑賞する。

ゲド戦記は、予告編を見るたびにその最後で、「宮崎吾郎第1回監督作品」とナレーションが入っていて、それを耳にするたびに「わざわざ初めてですなんて強調しなくてもいいのに。それともこれは何かのエクスキューズなのだろうか…」といぶかしく思っていた。

そんなわけでどのような出来の作品か興味があったのである。


観終わった感想を端的に表現すると、正直消化不良、といったところだろうか。というのも、あまりに多くのことが作品中で説明されていない印象を抱いたのだ。

それらはもしかすると観客が想像して結論を出すべきことなのかもしれないけど、アニメーション作品として万人受けするスタイルをとって上映しているのではいささか不親切な気がする。

具体的に列挙してみる。

・なぜアレンは父王を殺したのか。
・なぜ、ハイタカはゲドなのか。ゲドが本当の名前なら、ハイタカと名乗っている理由は何なのか。
・テナーはハイタカに救われたと言っているが、それはどんなできごとなのか。
・クモはいったいなぜハイタカを憎んでいるのか
・ゲド戦記の世界では本当の名前を言うと魂をコントロールされてしまうみたいなのだが、そのことが唐突に出てきて説明が足りない。
・テルーは、なぜに人なのに竜なのか。

うーん、いずれもストーリーの根幹に関わることにも関わらず、全くよくわからないことだらけだ。

もしかして、原作には全て述べられているのだろうか。それとも、宮崎吾郎第2回監督作品「ゲド戦記2」が作られてそこで明らかにされるのだろうか。


途中テルーが歌を口にするシーンがあって、新人である手嶌葵さんの澄んだ声と物哀しい詞にひきこまれてしまう。ただ、それが物語の展開に何か意味をもたらしているわけでもないように思う。

そういえば手嶌葵でありテルーの声を演じているのだが、その他の声優は概して大物俳優が揃っている。が、あくまで俳優であって声優のプロでないせいであろうか、どうも声に抑揚、ダイナミックさが足りないように思う。何となくおしなべて棒読みしているような印象を抱くのだ。

思うに、俳優で求められる声の使い方と声優としての声の使い方は違うのではないだろうか? 正直、違和感がないのはゲド(ハイタカ)の菅原文太さんとウサギの香川照之さんくらいかな、と思った。だから無理して俳優を揃えなくてもよいのに、と思った。

たとえば「となりのトトロ」で、サツキとメイのお父さんがどうも棒読みしているような声だなあと思ったら糸井重里さんだったりとか、意外性のある配役だったらそういう部分部分で隠れ技のように使うのがよいのではないかと思うよ。

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August 05, 2006

ハチミツとクローバー

映画を観ていて、なんだか大学生の頃を思い出した。

蒼井優チャンと櫻井翔クンとその他大勢の若者が出てくる映画「ハチミツとクローバー」だ。えーと、人気少女漫画が原作の映像化作品なんですかね。みんながみんな片思いをしていて、告白もできずにうじうじしているというストーリー。


思い出したというのは、それは、この主人公たちのように俺も片思いしていて告白もできなかったなあ、と自分を重ねたのはまず大きい。当時の優柔不断ぶりを思い出して胸がキュンとする。僕はいまでも全然モテないのだけど、ただ、いまの経験を持ってあの歳に戻れたら、つまり多少の度胸とか開き直りとかを身につけていたら、幾人かの女性の心を射止めていたであろう(…って全くの希望的観測)。

スクリーンのなかでの片思いぶりに、僕の記憶のスクリーンが重なったというわけだけど、大学時代を思い出したのもそれだけではない。

登場人物たちがそれぞれ個性が強く、みなユニークな面々が揃っていたからだ。


いやあ、俺も大学の頃って、周囲はそうだったよなあ。もちろん「ハチミツとクローバー」は映画だから、ストーリーにあわせてやや都合良くそれぞれのキャラが造形されていた感はあるけど…でも、大学ってとにかくヘンな奴が多かった。

考えてみれば社会人になって、会社に勤めるになってからは、みんな常識人でかつてのような面々に囲まれない。お互いが想定の範囲内で、当たり障りのない会話を交わすことになってしまう。寂しい、実に寂しい限りだ。

という話を、僕と同じくこの映画を鑑賞した同僚にしたところ、さっくりと「いや、俺の大学はとくにそういうことなかったな」と言われた。

うーむ。やはり僕が学んだのが「文学部人類学科」というところだったからなのだろうか? そこには、民族学と考古学を愛する若人たちが集っていた。ちなみに学科の男女の比率は半々か、やや女性が多いくらいだった。ロマンスはなかったけど(僕には)。


それは、僕の青春だった。

土器の文様を調べると製作した縄文人が右利きだったか左利きだったかわかると教えてくれる授業。「最近何に興味があるの?」と聞いたら「うーん、馬具かな」と答える考古学専攻の女の子。イスラムに改宗しようか迷っている民族学専攻の男。エジプトに旅行してカイロでピラミッドのてっぺんまで登って地元の警察に捕まった後輩の男。ベトナムの宗教を卒論のテーマに選び「ベトナムには、ココナッツを飲んで健康になろうというココナッツ教ってのがあるんだよ!」と目を輝かせ報告するゼミの同級生…。

僕がすっかり、普通の真人間に見えるくらいだった。いや、普通だったんですけどね。

あの頃は本当に楽しかった。みんな自分が追究するものを持っていた。小難しい理屈をこねくりまわし、他人にはよくわけのわからない話題を口走っても、お互いの会話が成り立った。みんなとんがろうとしていたし、いかにとんがっているかが価値だった。

映画「ハチミツとクローバー」を観てそんな時代のことを思い出したのだ。美大と文学部の違いはあれど同じ空気を感じたのだ。そしていまやサラリーマン化してすっかり丸くなってしまったわが身に立ち返り、深く反省したのだ。実に。

もっとヘンにならなきゃダメだ。変わらなきゃ!


それにしても、ところどころで劇中に登場していた、ぼやけた黒猫の姿。あれはなんだったんだろう?何かを象徴させているのかと思って、出てくるタイミングを自分なりに注意して観ていたのだけれど…結局よくわからなんだ。むむむ。みゃあみゃあ。


 

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