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August 15, 2006

ゲド戦記

■岡崎公園周辺の散策

夏休みで愛知県岡崎市の実家に帰省中…。8月15日は中学時代の友人と岡崎城周辺を散策した。

この夏の最高気温を更新しそうな暑さのなか、まずは大手門から岡崎公園に入って、三河武士のやかた家康館に至る。

Ieyasukanこれは1983年の大河ドラマ「徳川家康」の放映をきっかけに開館した施設だ。たしか開館直後に見学したことがあるのだが、以来実に20余年ぶりの訪問なのであった。
(ここで愛知県以外でかつ日本史に詳しくない人のために補足しておくと、岡崎は徳川家康が生まれた地である)。

それで、たいていこういう自治体の施設は、開館時にはお金をかけて整備しても後はそのままに放置され、ずっと古びた展示が続けられがちである。ここのその例に漏れないんだろうな思って入館したところ、展示は予想外に新しい。最近リニューアルしたらしい。

そのことは映像コンテンツを映し出すテレビが液晶になっていることからもわかる。AQUOSが揃っているのだ。おお〜。ほしいぞAQUOS!!

展示そのものは館の名称の通り、家康の生涯と、それを支えた三河武士にフォーカスを絞ったもの。まさに徳川家康ファン(…なんているのか?)には垂涎の内容だといえよう。

なかでも関ヶ原の合戦の1日の流れをダイナミックに再現した動くジオラマは一見の価値あり。小学生あたりの年頃ならばかなり喜びそうなギミックである。


Okazakijo家康館を出て園内を散策し、続いて岡崎城の天守閣に登る。

この天守閣もずいぶん久しぶりなんだけど、前回はいつ来たのか覚えていない。

最上階から回りを見渡すと、岡崎も随分マンションが増えたなあ、と思う。もしかしてこの岡崎城天守閣よりも高いマンションもいくつかあるのではないだろうか。城のありがたみがちょっとだけ薄れた気がした。

それにお城の南西にはもう一つ、西洋式の城を模したような建物が建立されているではないか!? さぞやモダンな建築の屋上の外壁には、「ホテルおしゃれ貴族」とある。

うーん、これは夜になると派手なネオンサインとライトアップで、岡崎城よりあっちのお城のほうが目立ってしまうのだろうなあ。まさに不夜城…そしてそのなかではあんなことやこんなことが。わぁぁっ。


天守閣からの眺望で思わずあらぬ方向に想像に及んでしまったのを、なんとか心を落ち着かせる。

こんどは最終目的地・八丁蔵通りに向かう。

実は岡崎市民を長いことやっていながら、八丁味噌の本場というのを見たことがなかった。だいたい、岡崎といっても北のはずれの僻地に住んどるんだもんね。もともと合併された地域だで、いわゆる街の岡崎には縁が薄いんだわ。

それが今日改めて訪れてみたのは、ズバリ朝の連ドラの影響である。岡崎市を舞台にした「純情きらり」のせいで、岡崎ナショナリズムに目覚めてしまったのだ。

といっても正直、ドラマそのものはさほど熱心に観ていないんだけどね。でも、たまにチャンネルを回した時に放映していて、宮崎あおいチャンが「だで」とか「だらー」などの三河弁を口にしているのを聞くとたまらなく萌えてしまうのだ。あぁ…。


Hacchomisoその「純情きらり」のロケにも使われた菅生川の河原を通って、国道1号線に出る。そのまま歩いて八丁蔵通りへ。

八丁味噌メーカーとして有名なカクキューの建物が見えた。駐車場には観光バスやら自家用車やらたくさん停まっている。やはりドラマの効果が現れているのだろうか…ちなみにその前の道路は「きらり通り」と名付けられていた。なんともわかりやすい街おこしであるな。

賑やかな空間をちょっと折れ曲がっていくと、いかにも味噌問屋という壁が並ぶ一角に出る。ドラマにありがちな光景。数10メートルの距離を、写真など撮ったりしながらてくてくと歩いて抜ける。


そしてそのまま康生町に停めていた友人の車に戻り、市街地を後にしたのであった。その後はとりあえず近場のコメダ珈琲に入り、休息をとってだらだらした。


■ゲド戦記を鑑賞する

晩飯を食った後、予定にはなかったのだが友人の提案で映画館に行くことになる。安城のコロナへクルマで向かう。岡崎から映画館がなくなってこの方、三好のイオンのMOVIXには行ったことがあるけれど、コロナは初めてだ。

友人は「ミッション・インポッシブル3」を、僕は「ゲド戦記」を鑑賞する。

ゲド戦記は、予告編を見るたびにその最後で、「宮崎吾郎第1回監督作品」とナレーションが入っていて、それを耳にするたびに「わざわざ初めてですなんて強調しなくてもいいのに。それともこれは何かのエクスキューズなのだろうか…」といぶかしく思っていた。

そんなわけでどのような出来の作品か興味があったのである。


観終わった感想を端的に表現すると、正直消化不良、といったところだろうか。というのも、あまりに多くのことが作品中で説明されていない印象を抱いたのだ。

それらはもしかすると観客が想像して結論を出すべきことなのかもしれないけど、アニメーション作品として万人受けするスタイルをとって上映しているのではいささか不親切な気がする。

具体的に列挙してみる。

・なぜアレンは父王を殺したのか。
・なぜ、ハイタカはゲドなのか。ゲドが本当の名前なら、ハイタカと名乗っている理由は何なのか。
・テナーはハイタカに救われたと言っているが、それはどんなできごとなのか。
・クモはいったいなぜハイタカを憎んでいるのか
・ゲド戦記の世界では本当の名前を言うと魂をコントロールされてしまうみたいなのだが、そのことが唐突に出てきて説明が足りない。
・テルーは、なぜに人なのに竜なのか。

うーん、いずれもストーリーの根幹に関わることにも関わらず、全くよくわからないことだらけだ。

もしかして、原作には全て述べられているのだろうか。それとも、宮崎吾郎第2回監督作品「ゲド戦記2」が作られてそこで明らかにされるのだろうか。


途中テルーが歌を口にするシーンがあって、新人である手嶌葵さんの澄んだ声と物哀しい詞にひきこまれてしまう。ただ、それが物語の展開に何か意味をもたらしているわけでもないように思う。

そういえば手嶌葵でありテルーの声を演じているのだが、その他の声優は概して大物俳優が揃っている。が、あくまで俳優であって声優のプロでないせいであろうか、どうも声に抑揚、ダイナミックさが足りないように思う。何となくおしなべて棒読みしているような印象を抱くのだ。

思うに、俳優で求められる声の使い方と声優としての声の使い方は違うのではないだろうか? 正直、違和感がないのはゲド(ハイタカ)の菅原文太さんとウサギの香川照之さんくらいかな、と思った。だから無理して俳優を揃えなくてもよいのに、と思った。

たとえば「となりのトトロ」で、サツキとメイのお父さんがどうも棒読みしているような声だなあと思ったら糸井重里さんだったりとか、意外性のある配役だったらそういう部分部分で隠れ技のように使うのがよいのではないかと思うよ。

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