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January 21, 2007

硫黄島からの手紙

まわりで「よかった」という声が多かったので、「硫黄島からの手紙」を観に行く。


ここ数年、近現代史の本をよく読み、アジアにおける第二次世界大戦前後の歴史にも興味を抱いている僕だけど、戦争をテーマにした映画というのは、実はあまり好きではない。

それは日本が敗れた戦(いくさ)であるから悲惨、ということもあるけれど、本を読めば読むほど、あの戦争には多様な側面があったということを実感するからだ。勝者の視点、敗者の視点。加害者の視点、被害者の視点。祖父やその兄弟も出征したというあの戦争のことを、僕はとても一言では言い表せない。

しかし映像化という試みには、そこにある数多くの断片を集めて再構成し、ストーリーに仕立て上げる。それは起こったことを一つの解釈にそって観客の前に提示する行為である。そうでなければ映像作品にはならないのだから、それ自体はまったく必要なことだ。

しかし一つの解釈のもとに編み上げられるということは、そこで切り捨てられているものがある、ということの裏表である。その切り捨てられたもののなかに何があるのだろう、そこにも実は大切なものがあったんじゃないか、と僕は思う。


とはいえストーリーとして組み立て、映像化というわかりやすい手段を選ばなければ、その歴史的事件そのものが知られずに沈んでいく。そういうことを考えると、これはこれで意味あることなのだろう。

もっとも現実にその時代を生きた人からすれば、おまえはいったい何を知っているのかということになるだろう。いかに知識として仕入れたって、先人たちが生きて実感したことを理解するのは難しい。だからなんだかんだ言っても、生半可さということではたいして変わらないのかもしれない。


さて、この「硫黄島からの手紙」が評判になっているのは、既にあちこちで言われていることだろうけど、米国映画にもかかわらず、日本の立場から戦場を描いたからだろう。

勝者と敗者という立場で明確に分断されたものが、60年という歳月を経てかつての勝者のなかに、かつての敗者の内側の視点を取り込む土壌が出てきた、ということか。

米国映画なので、日本の映画やテレビにおける日本軍の描き方とちょっと違うなあ、と思うところがあった。そもそも日本で製作される作品は、あの戦争への反省の思いが強いせいか、軍部の高級将校はよい描かれ方をされることが少ない。ささやかな生活への希望を赤紙によって絶たれた善なる一兵卒に対して、軍の幹部はそうした兵のことを思わず不条理な作戦を決行する人物として描かれることが多い。

それを、司令官を主役の一人に持ってきて、しかもその人物が高潔な合理主義者だったという設定をしたところに、日本のステレオタイプにとらわれない、米国製作ならではと感じる。善なる一兵卒というもう一人の主役はやはり出てくるんだけど、その一兵卒と司令官の交流という話の作り方が、なんとなく舶来ものっぽいんだよね。

おまけにその司令官、渡辺謙演じる栗林中将なんだけど、やたら部下の体にボディタッチする。これも米国っぽいなあと思った。よろしく、ポンポンって感じである。日本の作品を見ていてそういう軍人はあまり見たことない。日常的なふるまいとして昭和前期の日本にそんな行為が浸透していたのか疑問である。こういう描写はやっぱり米国映画のゆえかな、と思ってしまった。

まあ、それにしてもかつての敵国の立場を認め尊重し、そこから見た戦争というものを描いたという点で秀逸な映画であることは間違いない。


ここで僕が思い出したのは、米国の学者がかつて著した1冊の本だった。そのタイトルは、「容赦なき戦争」。

後に日米合作の戦後という観点で占領期をみつめた「敗北を抱きしめて」という本で有名になる、ジョン・ダワーさんが80年代にしたためた本だ。

この書は米国と日本、それぞれの国における当時の人種偏見について論じた本だ。あの時代、米国は日本人を「黄色いサル」とみなし、日本は敵国を「鬼畜米英」と呼んだ。お互いの相手を人間ではないものと定義し、翻って自らは文明化された高潔な民族だとしていた。

それをそれぞれの陣営が製作した膨大なプロバガンダや記事、漫画、映画などから詳らかに明らかにしたのが「容赦なき戦争」なのである。

その書は、勝者と敗者として規定された絶対性を、相対化を試みたものだった。今回の映画もまた、そうした視座と同一線上にあるものだといえるだろう。専門書という形をとった研究者の問題提起から、映画という大衆作品として現れるまでに約20年の時を経たわけだけど。

あと、「容赦なき戦争」は勝者の側にも偏見があったという、ネガティブな側面に注目した書であるのに対し、「硫黄島からの手紙」は、敗者の側にも守らなければいけないものがあったという、言ってみればポジティブなものを強調した作品という違いはある。


あと補足しておくと、映画では、かつて「青の炎」で若いながらも好演していた二宮和也クンが善良なる一兵卒を演じ、今回もなかなかたいしたもんだという感想を抱かせてくれた。

また、鑑賞し終わってから今回の二部作の片方、米国側の視点で描いた「父親たちの星条旗」もがぜん見たくなった。そこでレンタルショップでちょっと探したけど、まだDVD出てないのね…。

というわけで「父親たちの星条旗」、DVD化されたらぜひ観なければ、と思っている。

冒頭になんだかんだ書いたけど、観終わってそう思っているあたり、クリント・イーストウッド監督の術策に僕もすっかりはまってしまったということか。


 

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