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February 04, 2007

幸福な食卓

やべ。いまの俺には、「切磋琢磨」(せっさたくま)も「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん)も書けないな~。

そんなことを、観ていて思った。

映画「幸福な食卓」。

この作品が映画デビュー作となるらしい、主演の北乃きいの表情が初々しくてかわいい。


僕が個人的に思っていることなのだが、年々変になる一方なのが子供の名前。太郎とか花子といった名前は絶滅して久しいわけだが、最近はたとえば女の子の名前であれば、定番の○子といったものが激しく減っているような気がする。

それに対して、増えているのが耳になじみのない、まるで外国人か漫画の主人公のような語感の名前。そんなん名前にしていいの?と思うものがたまにある。まあ、具体的に挙げるといろいろ支障があるのでここには書けないけど。

ただ思うに伝統を重視することを唱えたり、祖国とは国語であると信じているような方々が、なぜ最近の命名の風潮には異論を唱えないのだろうか。抗議の声を上げないのだろうか。うーん…やはり孫がかわいくて盲目になっているのだろうか。

きいもそうだ。

なんだその名前は、と最初思った。きいってなんだよキィィッ。カギじゃないだよ。あるいは、なにやらイエローなつもりなのか? 全く奇異な名前だ、と文句の一つも言いたくなっていたのだが…。

しかし劇場に入ってスクリーンを眺めると、ご当人はなんともかわいいではないか。まあ僕からみればかなり年齢差があって(1991年生まれの15歳ですぜ!)、だから恋愛の対象になるとかそういう感覚は全くないのだが。ただ、小声で「えっ!?」とか「おっす。」とかつぶやくその姿に、ついつい萌えの感情を抱く。

ということでずばり言ってしまえば、この映画の価値の大半(85パーセントくらい)は彼女の魅力を知ることに尽きると思う。で残りの15パーセントが、家族というものが担っている役割の意味を考えさせる、ということですかね。


映画は、父親が自殺未遂をし、母親が家を出て、兄が進学をやめて農業を始めるという風変わりな家庭を持つ主人公の女子高生・中原佐和子が、同級生の大浦君と、さわやかに恋愛していく風景を描く。

でもって、彼氏と彼女が一緒に机に向かって勉強しながら、「中原、おまえ“せっさたくま”って書ける?」なんて話を向けるわけだ。二人で同じ志望校(勉強しないと入れない進学校)に挑戦して合格して、一緒に高校に通ったりして楽しい日々を過ごすのだ。

若い二人だ。

青春だ。

そして思う。俺にはそんな青春なかったなあ、と。


だいたい僕が通った高校は、進学校でもなんでもなく、中学校の成績がオール3くらいあれば狙えるところだったからなあ。

思えば中学の頃とことん勉強しなかった。頭は悪かったわけではないと思うけど(たぶん)、もともと自分の好きなことはとことんやるけど、興味がないと全く手をつけないというのが僕の性格(これはいまもたいして変わらない)。加えて当時未熟だった僕は、世の中における努力とか野心とか、そういうものの重要性を全く認識していなかった。

そんな呑気な中学生だったから、よって成績は右肩下がりに落ち、結果としてその時の内申で相応に入れる高校に進学した。その高校は、生徒の進学先を見ると大学と専門学校と、そして就職がちょうど同じ比率になるくらいのところだった。見方によっては普通の家庭の普通の子がいく、普通の高校だったので決して悪いところではないと思うけどね。

ただ、互いに向上心を持ったカップルが、それこそ“切磋琢磨”しながら青春を送るなんて光景とは無縁ではあった。あの時、日々がんばって成績を伸ばして、地域の進学校に進んだら、もしかするとこんなさわやかな高校生活を送ったのかなあ、と映画を観ていてちょっとだけ思った。もしかするとわしも勝地涼になれたかもしれん。

もっとも環境が違えど自分は自分だとするならば、やっぱりさわやかさは無縁だという気もするのであった。

きぃぃっ。


 

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