« 幸福な食卓 | Main | バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 »

February 12, 2007

マリー・アントワネット

3連休の最終日に、TOHOシネマズ川崎で映画「マリー・アントワネット」を観る。


このブログでもなんどか触れているとおり僕は歴史にはかなり関心がある。だから、歴史を舞台にした作品はできるだけ観るようにしている。

ということで、「マリー・アントワネット」も外せないと思って映画館に足を運んだわけだ。

といっても、普通の歴史映画ではなさそうだなあという気もしていた。監督はソフィア・コッポラさんということを知っていた。この人の映画を僕は観たことがあるわけではないけど(たしか東京を舞台にした「ロスト・イン・トランスレーション」という作品がありますよね)、インタビューなどを読んでいる限りでは歴史大作を撮りそうなお人ではない。

そんなところで観に行ったらやはり歴史大作というよりは、ロックのリズムに乗ってマリー・アントワネットがお菓子を食べまくるという映画だった(予告編がそうだったから、まさにその通りである)。

まあ、それがいけないというわけではなくて、歴史が舞台だからといって必ずしも重厚長大な叙事詩的作品にしなくてもいいともいえるので、これはこれで映画の作り方なのだろう。これはこれで楽しめるとは思った。

ただ、それでもあえて述べることを許してもらうなら、ちょっと中途半端かな、という気がした。スクリーンを眺めていて初めのうちは、マリー・アントワネットを宮廷の規則にがんじがらめにされ、それこそ“産む機械”であることを求められた悲劇の女性として描くのかな、と思ったら、そうでもない。

夫君がその気になってくれなくて苦労するんだけど、なんだかんだで苦労のかいあって、結果としては子宝には恵まれる。

あるいはマリー・アントワネットといえば、箱に入れられて育って世間知らずの無垢なまま王妃になって、贅の限りを尽くす、という展開がありがちな描き方。それを全否定した新たなマリー・アントワネットを打ち出してもよいと思う。実際、彼女が発したとされる、有名な「パンが食べられないなら、ケーキを食べればいいのに」という言葉を、劇中でさっくり「そんなこと言わないわ」と否定する場面がある。

とはいえ、そう口にしているだけで、そこに描かれているのはやっぱり贅沢な生活を送る王妃である。虚飾のイメージであるとして全否定するほどの果断さはない。

結局古典的なイメージとしてのマリー・アントワネットを追認することは避け、重厚長大でもなく、ポップなイメージで装いを新たにし、宮廷の悲劇の女性という側面をもったり、あるいはそれなりの賢さを抱いた女性であることを強調して、でも愛人がいたり贅沢をしたことも無視できないので、定番的な要素も加えて王妃を描きなおした映画だといえるだろうか。

うん。

あ、ちなみに登場人物はフランス語ではなく、みんな英語を喋っております。ハイ。米国映画だからそれはしかたないですね。


この3連休は、いつもなら予定がないといって嘆くのだけど、珍しく2日間にわたって人と会う約束が入ったりした。ということで、それなりにスケジュールが詰まった連休だったといえよう。たまにはこういうこともある。

でも、最後の日だけは何の予定もなくぽっかりと空いていた。そこで日中はだらだらとし、夜、映画館に足を運んで締めとしたのであった。


 

|

« 幸福な食卓 | Main | バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference マリー・アントワネット:

« 幸福な食卓 | Main | バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 »